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須玖タカウタ遺跡2023年06月03日 22:53

須玖タカウタ遺跡(すくたかうたいせき)は福岡県春日市にある弥生時代の集落・工房遺跡。ある。

概要

魏志倭人伝」に書かれた奴国の中心的な集落である須玖遺跡群のひとつである。弥生時代の強国である奴国の中心地とされた。東西約210m、南北約400mの微高地である。巨大な支石墓の下の合口甕棺から、銅鏡30数面、細形銅剣1丁、銅矛・銅戈8口以上、ガラス璧、ガラス勾玉・管玉などの副葬品が見つかった。

調査

竪穴建物などから、石製・土製あわせて35点の青銅器の鋳型が出土した。石製鋳型の9点は、すべて滑石系の石材であった。 2015年、春日市教育委員会が調査し、弥生時代中期前半の青銅鏡の滑石製鋳型を発見した。青銅鏡は多鈕鏡とよぶ鈕が二つある朝鮮半島系のものである。本鋳型は国内最古の鏡鋳型である。日本で発見されるのは始めてえだった。それまで多鈕鏡はすべて朝鮮製と考えられれていた。日本で様々な青銅器を一斉に作り始めた可能性を示す。 さらに土製鋳型の一つが、把頭飾の鋳型である可能性が極めて高いことが判明した。弥生時代中期前半・紀元前2世紀頃で、朝鮮半島を含めても出土例がなく、国内初である。鋳型片は長さ3.5センチメートル、幅2.6センチメートル、厚さ2.7センチメートルで、鋳型全体の6分の1の大きさである。鋳型が完形品ではなく、出土例がないため断定は難しい。「日本最古級の銅戈の土製鋳型」も見つかっている。鋳型の時期は同時に見つかった土器から弥生時代中期前半(約2200年前)とみられる。

土製鋳型の出土

銅戈の鋳型では一対になるもので、鋳型を縛って重ねたと思われる幅約1cmの帯状の窪みがあった。鋳型がずれないように凹凸を付ける「ハマリ」など鋳型を固定する工夫が見られる。蛍光X線分析では銅、錫、鉛の成分が検出されているため、鋳型で青銅器製品を製造していた証拠となる。

遺構

遺物

  • 有柄式銅剣の鋳型 – 朝鮮半島系
  • 銅矛の鋳型
  • 銅戈の鋳型
  • 小銅鐸の鋳型
  • 把頭飾の土製鋳型
  • 青銅鏡の滑石製鋳型
  • 銅戈の土製鋳型

指定

  • 令和2年2月21日 - 市指定 有形文化財

参考文献

  1. 文化庁(2018)『発掘された日本列島 2018』共同通信社
  2. 「把頭飾の土製鋳型、初出土」産経新聞, 2017年7月25日

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