纒向型前方後円墳 ― 2025年03月11日 00:40
纒向型前方後円墳(まきむくがたぜんぽうこうえんふん)は奈良県桜井市の三輪山西麓の纒向遺跡周辺で発生した前方後円墳の形態をいう。
概要
纒向型前方後円墳は前方部が短いホタテ貝古墳に近い形状である。出現期の大型前方後円墳であり。古墳時代中期の帆立貝式古墳とは異なり、全長・後円部・前方部の長さが3:2:1となっている。纏向遺跡が3世紀初めに出現し、最古の纏向石塚古墳が造られた。纏向石塚古墳は前方後円墳が定型化する以前の全長96mの帆立貝形前方後円墳であり、周濠から大量の土器、弧文円板と呼ばれる木製品が出土した。これ以降、前方後円墳は王権の象徴となる。纏向勝山古墳の周濠のくびれ部埋土中から見つかった檜材は、年輪年代測定法による調査の結果、AD203年から211年の間に伐採された木と判定され、伐採後すぐに古墳上に建てられたとされる。定型化された前方後円墳は箸墓古墳で確立される。 纒向型前方後円墳は古いタイプの前方後円墳とされ、寺沢薫によって纒向石塚古墳をはじめとする奈良県の纒向古墳群の検討から提唱された考え方である。
弥生墳丘墓説
纒向型前方後円墳は弥生時代の墓であるため「弥生墳丘墓」とする説もある。
寺澤薫による説明
寺澤薫(2008)は最古の定型化した前方後円墳である箸墓古墳の直前に作られた6基の古墳を纒向型前方後円墳とする。纒向型前方後円墳は定型化した前方後円墳に比べると前方部が未発達であり、前方部が小さくその先端は明確でないものが多い。前方部の長さは後円部の直径に比べると約2分の1となる。纒向型前方後円墳は、纏向から全国に広がり、南は鹿児島から、北は福島県に及んでいる。柳本古墳群では6基が「纒向型前方後円墳」とされる。
事例
- 石名塚古墳 - 奈良県天理市柳本町石名塚、
- マバカ古墳 - 奈良県天理市成願寺町、-纏向石塚古墳 - 奈良県桜井市太田字石塚、
- 矢塚古墳 - 天理市萱生町、全長96m、前方部幅34m、後円部径62m
- ホケノ山古墳- 奈良県桜井市大字箸中字ホケノ山
- 纏向勝山古墳 - 奈良県桜井市東田字勝山、
- 神門4号墳 - 千葉県市原市
- 山戸4号墳 - 兵庫県姫路市
参考文献
- 寺澤薫(2008)『王権誕生』講談社
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