魏の使者の到達場所 ― 2025年08月11日 00:10
魏の使者の到達場所(ぎのししゃのとうたつばしょ)は3世紀の倭国に派遣された魏の使者は倭国のどこまで来たかという古代史の論点である。
概要
魏の使者が邪馬台国に来たか、倭王に面会したかは、位置論とも関わる重要な論点となる。到達説と非到達説を対比して述べる。
到達説
魏志倭人伝に「正始元年 太守弓遵 遣建中校尉梯儁等 奉詔書印綬詣倭國 拝暇倭王」と書かれる。すなわち「西暦240年に楽浪太守の弓遵は建中校尉の梯儁らを遣わし、詔書、印綬を奉じて倭国に詣り、倭王に拝仮した」と書かれている。 「拝仮」は別記事で論じているが、謁見あるいは拝謁したと解釈できる。その通りに解釈すれば、投馬国から「水行十日、陸行一月」の旅程をたどって梯儁らは女王の居所まで到達したことを意味する。 到達説の例として、近江昌司他(1992)は「(弓遵の部下の)梯儁は魏の王の詔書と印綬を奉じて倭国にやってきて倭王に面会し、金、木綿、錦、毛織物、刀、鏡を倭王に授けました。・・・倭王は・・感謝の言葉を述べました」(近江昌司(1992)、p.35)と解釈する。
冊封使として
ここで重要なことは、梯儁等は冊封使という位置付けである。冊封儀礼の本質は、皇帝の命令(詔勅)を持参し、冊書と印綬を授け、倭王に直接面会して任命を伝える事である。卑弥呼が「親魏倭王」になるためには、面会は必要不可欠とされる。そうだとすれば梯儁らは倭王の卑弥呼本人に拝謁し、実際に邪馬台国(邪馬壹國)まで到達したと考えられる。その証拠に、『魏志倭人伝』は倭王の警備の様子、周囲の状況、人にめったに会わないなどの行動様式を具体的に記述している。宮殿構造、楼閣、警備、侍婢制度などの記述は卑弥呼の居所への訪問経験もしくは詳細な報告に基づいた描写と見る事ができる。 その他の論点として、梯儁等の冊封使は単に金、木綿等の物品を運ぶだけでなく、文化的・儀礼的な行動を重視していた。『魏志倭人伝』には書かれないが、冊封使は中国官人の服装で威厳を示し、冊封儀式として天子の命を伝える使節として、王の前で行程の詔を読み上げる。倭は歓迎の酒宴を開いて、歌舞等を冊封使に披露する。
非到達説
魏の使者は伊都国までしか行っていないとする邪馬台国非到達説がある。 非到達説は、伊都国以後の記述に具体性が欠けるという「反証的視点」を提供している。さらに伊都国以降は方角・距離・戸数・官名などの記述方法が変化して、「余」の表記がなくなり、表記が日数に切り替わることを挙げる。 水野祐(1987)祐は「正始元年に帯方郡使梯儁が倭国に至り・・・女王の代行者である一大率に対し、封印された物品の遺漏なきを確かめ、女王に間違いなく伝達するよう命じた」(水野祐(1987)、p.540)と書く。明らかに非到達説で、伊都国までしか行っていないことの説明である。
非到達説と到達説の評価
非到達説は根拠と説得力に欠けると見られる。『魏志倭人伝』は旅程記事と政治記事をまとめて構成しており、伊都国以後の記述だけが抽象的だからといって、「邪馬台国に未到達」と断定するのは難がある。邪馬台国の宮殿の様子の具体的な記述について、伝聞だけで説明するのは根拠が弱い。一方、『拝假』表現が曖昧との指摘もある。実際に面会したのか、または形式的な上申のみであるのか、評価は分かれる。 一大率に代行してもらい、冊封儀式を疎かにするのは魏の時代にあったという証拠は見当たらない。魏晋の外交では対匈奴、対鮮卑など皇帝の冊命を現地使節を通じて直接執行する例が多いとされる。つまり実際に使節を派遣し、官位や称号の授与(王号)を相手の王がいない現地で行った記録がある(『魏書』匈奴伝、鮮卑伝)。後代になると、唐の太宗(李世民)がヒルティック・カガン(突厥)との交渉時、河川を挟んで会見して交渉を行い、冊封を想起させる地位を与えた記録がある。明の永楽帝は、チムール(ティムール朝)の後継であるシャー=ルフとの外交関係において、冊封式を巡り柔軟な対応を取っているとされる。しかし明朝・永楽帝や唐の太宗(李世民)における事例は魏の時代からは遠いので、政治体制・外交制度の発展段階が異なるため、直接的な類推により魏の時代に面会せずに任命したかどうかは注意が必要となる。 また『魏志倭人伝』の伊都国以後の旅程全体を否定するためには評価の材料が不足しているといえる。
考察
古代史の専門家は概ね「拝仮」を正しく解釈しているといえるのではないか。倭王が感謝の言葉を発したということ、宮殿の様子の具体的な描写は実際に倭王に面会した証拠とみることができる。
参考文献
- 石原道博編訳(1951)『新訂魏志倭人伝・後漢書倭伝・宋書倭国伝』岩波書店
- 西嶋定生(1994)『邪馬台国と倭国』吉川弘文館
- 近江昌司、置田雅昭他(1992)『卑弥呼の時代』学生社
- 水野祐(1987)『評釈 魏志倭人伝』雄山閣
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