王塚古墳 ― 2025年08月15日 00:08
王塚古墳(おうづかこふん)は福岡県に所在する6世紀中ごろの前方後円墳である。わが国で最も優れた装飾壁画がある。 「戸塚王塚古墳」とも言われる。
概要
遠賀川の上流である穂並川の右側台地上に位置する、本墳は全長82mの3段築成で埴輪が巡る。昭和初期の土取り工事で、後円部の主体部が発見された。初期の横穴式石室で、複式構造である。後室には石屋形がある。2体並葬の棺床を作り、その前面に石製の燈明台が左右にとりつく。古墳は盗掘を受けていなかった。 1934年(昭和9年)の工事中に偶然発見された。1934年の工事で半分以上が破壊されている。福岡県による調査が行われた。完全に復原した場合、墳丘の全長は約86m、後円部の直径約56m、後円部の高さ約9.5m、前方部の幅約60mであり遠賀川流域では最大の古墳である。 福岡県には、古墳時代に属する 60 数基の装飾古墳がある。保存のため通常は密閉されているが、春(4月)と秋(10月)の年に2回のみ公開される。
調査
1969年(昭和44年)に「装飾古墳保存対策研究会」が発足した。考古学、建築学、土木工学、保存科学、気象学など16名の学術研究者により調査研究が行われた。1982年(昭和57年)には、小林行雄京都大学名誉教授を委員長とする「王塚古墳保存調査委員会」が発足した。周濠があることが確認された。墳丘周囲が水田のため、裾部がかなり削られているようである。後円部は墓地として利用され、頂部の削平が激しい。
装飾
鉱物顔料により赤、黄、緑、黒、白の5つの色で彩られた壁画が石室内全面に施されており「装飾古墳の王者」と呼ばれる。「日本三大装飾古墳」と言われる。絵具に粘土が使用されている。石室内の全面に動物、靫、盾などの具象文様と三角形、蕨手、円などの幾何学文様が描かれる。奥の左右の仕切り石に赤毛、黒毛の騎馬像が向い合せに描かれる。馬の体には面繋、手綱、尻繋、鞍が付けられる。羨道は赤一色に塗られ、前室の奥の左右の仕切り石に赤毛、黒毛の騎馬像が向い合せに描かれる。馬の体には面繋、手綱、尻繋、鞍が付けられる。後室は奥壁と側壁の下部を花崗岩の大石で築き、その上を割石で積み上げ、上部を天井石で覆って造られている。正面には2体用の石枕がある石屋形が据えられる。
文様
壁画に雄描かれた文様は騎馬像、同心円文、三角文、珠文、双脚輪状文、わらび手文、靫、盾である。
火災
2025年4月15日の午後11時30分頃、「王塚古墳」に隣接する王塚装飾古墳館から出火し、事務室の一部を焼いた。同館は当面の間、休館している。再開の目途はたっていない。古墳への延焼はなく、出土品など館内の展示物にも目立った被害はない。電源や空調管理パネルも焼損し、事務室のパソコンなどが焼け、特別公開に向けて準備した物品も使えなくなった。
規模
- 形状 前方後円墳(帆立貝形)
- 墳長 45m
- 後円部径 径32m 高3.5m
- 前方部 幅14m 長15m 高1.5m
遺構
遺物
- 変形神獣鏡
- 大刀
- 鉾
- 刀子
- 鉄鏃
- 挂甲
- 鞍
- 輪鐙
- 轡
- 辻金具
- 金銅製杏葉
- 馬飾り
- 雲珠
- 管玉
- 棗玉
- 切子玉
- 小玉
- 耳環
- 銀鈴
- 土師器
- 須恵器 - 杯類、壺類
指定
- 1937年(昭和12年)6月15日 史跡名勝天然記念物
- 1952年(昭和27年3月29日)3月29日 特別史跡
展示
- 王塚装飾古墳館
- 京都国立博物館
アクセス等
- 名称:王塚古墳
- 形式:前方後円墳
- 被葬者: 不明 - ヤマト王権とつながりのある在地の大豪族
- 築造時期:6世紀中頃
- 全長:86m
- 前方部幅:60m
- 高さ:9.5m
- 所在地:〒820-0603 福岡県嘉穂郡桂川町大字寿命311番地
- 交通: JR筑豊本線「桂川駅」より徒歩約8分
参考文献
- 大塚初重(2019)『巨大古墳の歩き方』宝島社
- 財団法人和歌山市文化体育振興事業団(1984)『車駕之古址古墳 範囲確認調査概報』和歌山市文化体育振興事業団調査報告書 第 9集
小易・中川原遺跡 ― 2025年08月15日 00:23
小易・中川原遺跡(こやすなかがわらいせき)は、神奈川県伊勢原市にある縄文時代の遺跡である。
概要
新東名高速道路建設事業に先立ち、平成24 年9 月から発掘調査を実施し、現在も調査継続中である。標高108mから130 mの丹沢山地南東山麓から鈴川の右岸段丘面に立地する。縄文時代面では、谷地形へ落ち込む北側斜面で溝状遺構や陥穴状土坑などが発見されている。また墓域・祭祀域と想定される土坑墓群・配石墓群・配石遺構群が多く発見されている。
調査
2015年(平成27年度)調査で異形台付土器が見つかる。横倒しの状態で発見された。縄文時代後期中 葉の加曽利 B2~B3 式の土器型式と見られる。 2020年(令和2年度)調査で台地部分に縄文時代中期中葉~後葉および後期前葉~中葉の集落が発見されている。縄文中期の住居は、石囲炉と周溝を持つタイプで、住居主体部の直径は約3mから5 mと小規模な住居が多い。縄文後期の住居は、石囲炉の周囲および張出部にのみ敷石が配置されるタイプであった。 2021年(令和3年度調査)では敷石住居跡が2軒見つかったほか、線刻を持つ岩版が出土した。岩板の下半部は欠損する。 2022年(令和4年度)調査では過年度調査(平成29年度から令和元年度にかけて調査した古墳(7世紀後半))で発見されていた古墳の隣接地を調査し、古墳墳丘および周溝の続きを確認した。 また台地を南東に下る斜面の上部は居住域であり、敷石住居は3軒みつかっている。出入口は斜面下側の配石遺構に向かう。配石墓群は3群あり、合計1750の礫が検出された。ほかに高さ9.6cmの双口土器や高さ11.8cmの土偶が見つかっている。双口土器の表面に敷物の圧痕(痕跡)が確認できる。土偶は頭部と胴部が残る。
萪内型石刀
J1号配石遺構から石刀が出土した。東北地方北部の萪内型石刀と考えられている。石材は岩手県北上山地の粘板岩と推測されている。神奈川県内では初出土である(東京新聞、2023年9月22日)。出土した石刀は長さ31・8センチで、幅は最大2・5センチ、厚さは最大1・6センチである。柄に浅い溝があり柄と柄頭の間に線刻がある。表面は滑らかで、同様の石刀は山梨県、長野県、新潟県などでも出土する。
遺構
- 石敷溝状遺構
- 配石墓
- 土坑墓
- 敷石住居跡
- 陥穴状土坑
遺物
- 線刻を持つ岩版
指定
- なし
展示
考察
敷石住居から出土した土器の底面に敷物跡が観察されたことから(考古学財団発掘帳No39)、敷石住居でゴザ等を敷いていたことは間違いない。
アクセス
- 名称:小易・中川原遺跡
- 所在地: 神奈川県伊勢原市上粕屋字秋山
- 交 通:
参考文献
- 『縄文後期の「石刀」出土 東北産か』東京新聞、2023年9月22日
- 令和元年度「小易・中川原遺跡現場見学会」資料
- 令和2年度「神奈川県発掘調査成果発表会」資料
- 令和7年度「発掘された関東の遺跡2025」資料
- 考古学財団『発掘帳No39』、2023年第1号
勝坂式土器 ― 2025年08月15日 21:45
勝坂式土器(かつざかしきどき)は縄文時代中期に関東地方西部から山梨県、長野県に分布する土器形式である。
概要
勝坂式土器は紀元前4500年から紀元前3000年頃に作られた時代である。器壁が厚いことから鳥居龍蔵により厚手式と呼ばれる土器群とされた。神奈川県相模原市勝坂遺跡出土の土器を標識とする。縄文中期の前半に位置づけれられる。
形式分類
形式や文様構成からⅠ式、Ⅱ式、Ⅲ式に分類される。Ⅰ式(1段階)は結節沈線(半裁竹管などの工具を押し引いて沈線の中に節を創った文様)から横帯文(文様が横方向へ帯状に展開する文様)を多用する。Ⅱ式(2段階)は抽象文(人や動物のような形をした文様)となる。Ⅲ式(3段階)は口縁部を無文とするものと口縁部に文様帯が展開するものである。 粘土紐を貼り付けて造形される立体的な装飾装飾文様や顔面把手(顔を表現した取っ手)、粘土紐を多用する複雑な文様などを特徴とする。
発見
1926年に大山柏が率いる大山史前学研究所が現在の神奈川県相模原市南区磯部の勝坂遺跡での発掘調査により検出した土器群を山内清男は、『縄文土器の細別と大別』で中期初頭の五領ヶ台式と中期後半の加曾利E式の間に「勝坂式」として位置付けた。
出土例
- 深鉢形土器 - 武蔵多喜窪遺跡、国分寺市西元町一丁目、縄文時代中期前半
- 深鉢土器 - 下野谷遺跡、西東京市東伏見、縄文時代中期
- パネル文系の土器 - 市立第五中学校遺跡、東京都三鷹市、パネル文系の土器
- 丸山遺跡
参考文献
- 大山柏(1927)「神奈川縣下新磯村字勝坂遺物包含地調査報告」史前研究會小報1
- 山内清男(1967)「勝坂式」日本先史土器図譜第1部
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