土生遺跡 (佐賀) ― 2025年12月01日 00:23
土生遺跡 (佐賀)(はぶいせき)は、佐賀県小城市にある弥生時代前期末から弥生時代中期の農耕集落遺跡である。
概要
佐賀平野の北の天山山系を源流とする祇園川と晴気川によって形成された扇状地上に位置する。佐賀平野西部において最大規模の遺跡である。南北約150m、東西約250mの範囲に広がる平地集落遺跡である。 遺跡から住居跡が発見され、多数の木製農耕具・石器・土器などが検出された。本遺跡の性格は、伴出する城の越式土器などから、主として弥生式時代中期の農耕集落遺跡と見られる。出土した遺物には胴部に牛角状の把手をもつ壺や口縁部に粘土紐を貼り付けた瓶があり、朝鮮の無文土器の影響が指摘されている。住居跡と推定される柱根十数本は、直径30cm前後であり、底部には筏穴を設けるなど、弥生時代の建築部材としては独特である。住居跡・貯蔵穴・井戸跡などが確認されている。 朝鮮半島からの渡来人が在来の人々と一緒に居住していたことが判明している。 遺跡は土生遺跡公園として整備されている。
調査
1971年(昭和46年)8月27日、三日月町(現小城市)の石炭鉱害水田復旧工事現場で偶然発見された遺跡である。9月に緊急発掘調査を実施した。耕作土下25cmから多量の土器片と木片が出土した。1972年(昭和47年)10月に第二次調査を実施した。 多量の弥生土器(壺形土器、鉢形土器、甕型土器、蓋形土器、高坏形土器、器台形土器)と鋤や全長43cmの二叉鍬、全長62cmの板鋤、斧、柄鍬・竪杵・杓子・織具などの木製農工具、石剣、石斧、石戈、石包丁、漆器4例、3cm角の麻布、が発見された。 平成4年度に銅ヤリガンナ鋳型1点、13年度に青銅器鋳型2点、14年度には青銅器鋳型4点が出土した。
踏鋤
出土した踏鋤は木製の組合せ式であり、柄・鋤身・鐔・楔の四部材から構成されている。朝 鮮半島では「タビ」と呼ばれ、韓国大田出土の踏鋤は畑を耕す道具とされる。全体の形状がはっきりと判明する例は珍しい。
放射性炭素14年代測定
九州大学による鑑定結果は「BP2590±200」であった。紀元前650年頃であろうか。
遺構
- 土坑
- 柱穴
- 溝
- 河川
- 堰
- 包含層
- ピット
遺物
- 無文土器
- 靴形木製品
- 弥生土器
- 石器
- 木製品
- 土製品
- 青銅器
- 勾玉
- 管玉
展示
考察
指定
- 昭和48年(1973年) 国史跡に指定
アクセス等
- 名称 :土生遺跡
- 所在地 :佐賀県小城市三日月町久米2488-2
- 交 通 :JR小城駅 車 5分
参考文献
- 佐賀県教育委員会(1973)「土生・久蘇遺跡」佐賀県文化財調査報告書25集
新原・奴山古墳群 ― 2025年12月03日 00:27
新原・奴山古墳群(しんばる・ぬやまこふんぐん)は、福岡県福津市にある古墳時代の古墳群である。
概要
津屋崎古墳群の一部であり、東西約800メートルの台地に古墳が集まる。宗像地域を治めていた地方豪族の宗像氏が築いた大型古墳群である。津屋崎町教育委員会(1989)では、48号墳までが新原・奴山古墳群の構成古墳とされている。福津市教育委員会(2022)ではそれまでに総数59基を確認し、うち41基が現存し、内訳は前方後円墳5基、円墳35基、方墳1基である。これまでの調査において古墳群は5~6 世紀にかけて築造されたと推定されている。被葬者は沖ノ島祭祀を担う古代豪族の宗像氏と考えられている。
世界遺産登録
2017年(平成29年)、宗像・沖ノ島と関連遺産群の構成資産の一つとして、世界文化遺産に登録されている。日本の古墳として初めて世界遺産に登録された。(津屋崎古墳群全体が世界産登録されたわけではない)
調査
古墳の構成
1号墳
- 5世紀中頃に築造された全長50m、後円部径29mの前方後円墳である。巨大な天井石がある。道路建設や果樹造成に伴い、墳丘の前方部は削平された。石室から鍛冶具や木工具が出土した。葺石がある。墳丘上に須恵器大甕が底部を穿孔されて埋設されていた。須恵器取手付高坏片が出土する。石室は後円部に設けられた南西に開口する横穴式石室である。 石室付近に置かれた巨石は発掘調査で移動させた天井石である。 石室の副葬品にガラス小玉、短甲、鋲止金具片、短刀、直刀、刀、手斧、小札、肩甲、頸甲、衝角付冑のほか羨道から鍛冶工具等の出土がある。前方部は消滅している。石室は埋め戻したが大破し、石材が散乱している。
2号墳
- 2号墳は15m×8mの長円形の円墳である。石室は徹底的に盗掘されていた。浅い周溝あり。石室から鉄鏃と装身具が出土した。
3号墳
- 直径13.5mの円墳である。横穴式石室から武器、装身具が出土した。
4号墳
- 現存せず。
5号墳
直径13mの円墳であり、埋葬施設は横穴式石室である。墳丘中から多量の土器が出土し、珍しい皮袋型土器が出土した。
7号墳
- 5世紀前半に築造された方墳である。元は2mから2.5mの高さとみられる。墳丘上に鉄斧、琥珀原石等が散乱する。1辺24mの方墳で、1988年(昭和63年)に墳丘測量と範囲確認調査を行っている。宗像地域において方墳は希少で宗像地域唯一の方墳である。 墳丘上に玉砂利が敷きつめられ、鉄斧や琥珀原石が表面採集されたことから、古墳群築造に 際する祭壇とする説があある。2014年(平成26年)から平成27年(2015年)に地中レーダー探査と墳丘中央の腐植土除去を目的とする確認調査を行った。探査では、埋葬施設と考えられる強い反応が得られ、その深さや範囲が明らかとなった。
8号墳
- 径10m前後の円墳と見られる。
9号墳
- ほとんど削平を受けている。
11号墳
- みかけは12.5mから13mの円墳で、これより若干大きかったと想定されている・
12号墳
- 6世紀前半築造の全長43mの前方後円墳である。後円部に盗掘の痕跡がある。墳丘長は43m、後円部径は25m。元は後円部高さは6mと見られる。墳丘上から須恵器大甕が出土する。
15号墳
- 原状は18.5mから19mであるが、本来は20m前後の円墳とみられる。
21号墳
- 5世紀前半に築造された直径17mの円墳である。古墳上に中世の供養塔が建つ。「新原の百塔板碑」8基が存在する。121cmから89cmの玄武岩に刻まれた虚空蔵菩薩、金剛界大日如来、文殊菩薩等を線彫したものである。
22号墳
- 5世紀前半に築造された推定全長80mの前方後円墳である。方墳部分は削平された。古墳群中で最大規模である。墳丘に円筒埴輪が立っていた。後円部径54m、周溝幅は7.5mから11m。墳丘全長は75mから80mである。かっては社殿が建っていた。円筒埴輪が残る。焼成は良好である。
23号墳
24号墳
- 6世紀前半の全長53.5,の前方後円墳である。周壕と周溝が良く残る。
25号墳
2014年(平成26年)から2015年(平成27年にかけて墳丘法面の保存修理に伴う事前の調査を行った。崩落した墳丘の除去と墳丘盛土断面の記録を行い、10~30㎝程度のほぼ水平方向の層状盛土を確認した。
30号墳
- 5世紀中頃~後半に築造された全長54mの前方後円墳。
34~43号墳
- 6世紀の小円墳である。古墳が一列に並ぶ。
44号墳
- 直径15mの円墳で、6世紀中頃から後半にかけて築造された群集墳の1つである。1995年(平成7年)、ほ場整備に伴い発掘調査した。埋葬施設は複室横穴式石室で、石棚がある。装身具、馬具、工具(鋸、ヤス)等が出土した。現在は消滅している。
45号墳
- 現在は消滅している。
50号~59号墳
- 削平されて残らず。周溝のみ。
遺構
遺物
指定
- 2005年3月2日 国の史跡指定
- 2017年 世界遺産 - 「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」の構成資産
展示
アクセス
- 名称:新原・奴山古墳群
- 所在地:福岡県福津市奴山・勝浦
- 交 通: JR福間駅みやじ口から西鉄バス「JR東郷駅」行きに乗車。約25分で「奴山口」で下車し、徒歩約15分
参考文献
- 津屋崎町教育委員会(1989)「新原・奴山古墳群」
- 福岡県教育委員会(1977)「新原・奴山古墳群」福岡県文化財調査報告書第54集
- 福津市教育委員会(2022)「第2次 新原・奴山古墳群整備計画」
下古沢松ヶ枝遺跡 ― 2025年12月06日 00:21
下古沢松ヶ枝遺跡(しもふるさわまつがえいせき)は、神奈川県厚木市にある弥生時代、古墳時代、平安時代の複合遺跡である。
概要
厚木市西部の高松山丘陵と東側の丘陵に開削された台地から丘陵裾部への転換点に当たる位置にある。
調査
発掘調査は2023年8月1日から11月27日、2024年9月4日から11月26日にかけて行われた。第2地点から弥生時代から古墳時代前期、古代、近世以降の3時期が検出された。
弥生時代から古墳時代
竪穴住居跡は調査区の東側で2棟を確認した。平面形は楕円形と方形である。Y2号竪穴住居跡から柱痕4基、炉跡1基を確認した。Y1号は一部が調査区外である。
古代
古代の遺構は主として平安時代である。古代の住居跡は合計22棟が確認された。22棟中13棟で竈が確認された。住居の同じ方向に作り付けられている。平面形はすべて方形である。3m四方と5m四方の2種類がある。集落は長期に渡り存続した可能性がある。出土遺物は少なめであり、土師器、須恵器、灰釉陶器が多い。甲斐型坏、武蔵型甕も見られる。古墳時代後期の土器も確認された。
遺構
- 竪穴住居跡
遺物
- 土師器、
- 須恵器、
- 灰釉陶器
展示
考察
指定
アクセス等
- 名称 :下古沢松ヶ枝遺跡
- 所在地 :神奈川県厚木市下古沢字松ヶ枝347番地
- 交 通 :
参考文献
- 厚木市(2025)「令和7年度厚木市遺跡講演会」資料集
岩戸山歴史文化館 ― 2025年12月07日 00:16
岩戸山歴史文化館(いわとやまれきしぶんかかん)は岩戸山古墳や八女古墳群から出土した考古資料を展示し、地域の歴史を紹介するする歴史展示館である。
概要
岩戸山古墳を中心として、八女古墳群や八女市の遺跡から出土した資料を展示し、地域の歴史や文化遺産を展示・紹介する施設である。 2003年(平成15年)4月1日に開館し、2015年(平成27年)にリニューアルオープンした。
展示品
展示品は石造彫刻が多い。石盾、石人、石馬、石靫、石刀などである。これらは古墳の上部に置かれ、埴輪と同じような役割を果たす。 勾金とは古代の大刀の把の部分に取り付けられた装飾品である。石馬は武装した人物(武装石人)、裸の人物(裸体石人)、馬、鶏、猪、水鳥、盾、刀、壺、翳(さしば)、蓋(きぬがさ)などの形象彫刻であり、馬だけを表したものではない。石人石馬は古墳時代の北部九州において、人物、馬、鶏、水鳥、武装具や盾などの「器財」を表しす形象石像である。石材の武器や武具の持つ呪力が古墳を守ると考えられていたのであろう。石の素材は九州では主に阿蘇溶結凝灰岩(阿蘇石)が使われる。
常設展
第1章 八女英雄伝説への招待
古代史上の大きな戦乱とされる「磐井の乱」勃発に至るまでの経緯を解説する。現地では「岩井の戦い」ともいう。
第2章 太古への旅路
弥生時代、稲作技術や金属製品、またその加工技術がもたらされた。集団内に社会的な「格差」が生まれ、集団を指揮する「リーダー」が登場する。
第3章 磐井と石人・石馬
磐井の乱の勃発と戦乱後の磐井の行方をさぐる。
第4章 中央集権と地方豪族
磐井の乱の終結後はヤマト王権の直轄地が設けられ、筑紫君一族の存続策を探る。
- *展示品
- 石盾 - 国指定重要文化財
- 上半部 高さ:96.5センチメートル
- 下半部~基部 - 高さ:136.0センチメートル
- 武装石人頭部 県指定有形文化財
- 高さ:73.5センチメートル
- 靫を負う石人- 国指定重要文化財
- 高さ:154.0センチメートル
- 石盾 - 国指定重要文化財
- 高さ:111.0センチメートル
- 石靫 - 国指定重要文化財
- 高さ:80.5センチメートル
- 石盾- 国指定重要文化財
- 高さ:164.5センチメートル
- 石馬 - 福岡県指定有形文化財
- 長さ:163.0センチメートル 伝 岩戸山古墳出土
- 刀を帯び靫を負う石人 - 国指定重要文化財
- 高さ:約154.0センチメートル 岩戸山古墳出土
- 石刀 - 国指定重要文化財
- 長さ:95.5センチメートル 岩戸山古墳出土
- 石馬 国指定重要文化財
- 高さ:70.5センチメートル 伝 岩戸山古墳出土
- 石刀
- 長さ:31.0センチメートル 岩戸山古墳出土
- 勾金(付 三輪玉)
- 長さ:31.5センチメートル 伝 岩戸山古墳出土
- 勾金(付 三輪玉・直弧文) 〈国指定重要文化財〉
- 長さ:29.3センチメートル 岩戸山古墳出土
- 石刀 - 国指定重要文化財
- 長さ:81.5センチメートル 岩戸山古墳出土
- 石靫(上半部) - 国指定重要文化財
- 高さ:59.0センチメートル 岩戸山古墳出土
- 石蓋 国指定重要文化財
- 幅:59.0センチメートル 伝 岩戸山古墳出土
- 石壷 国指定重要文化財
- 高さ:70.0センチメートル 岩戸山古墳出土
- 石獣胴部 福岡県指定有形文化財
- 長さ:44.0センチメートル 岩戸山古墳出土
- 勾金(付 三輪玉) 国指定重要文化財
- 長さ:23.0センチメートル 伝 岩戸山古墳出土
- 力士の石人(上半部) 国指定重要文化財
- 高さ:69.0センチメートル 伝 岩戸山古墳出土
- 褌をした力士(腰部~脚部) 〈福岡県指定有形文化財〉
- 高さ:61.5センチメートル 伝 岩戸山古墳出土
- 刀を帯びた石人(腰部~基部) 国指定重要文化財
- 高さ:120.0センチメートル 岩戸山古墳出土
- 武装石人(胸部~脚部) 国指定重要文化財
- 高さ:102.0センチメートル 伝 岩戸山古墳出土
- 石人頭部 国指定重要文化財
- 高さ:45.5センチメートル 伝 岩戸山古墳出土
- 石人頭部 国指定重要文化財
- 高さ:41.5センチメートル 伝 岩戸山古墳出土
- 裸形女性の石人(胸部~腰部) 国指定重要文化財
- 高さ:82.5センチメートル 伝 岩戸山古墳出土
- 男根のある裸形の石人(下半部) 国指定重要文化財
- 高さ:66.5センチメートル 伝 岩戸山古墳出土
- 正座した裸形の石人 国指定重要文化財
- 高さ:80.5センチメートル 伝 岩戸山古墳出土
- 首飾りをした石人 国指定重要文化財
- 幅:77.0センチメートル 岩戸山古墳出土
- 武装石人 国指定重要文化財
- 高さ:158.0センチメートル 鶴見山古墳出土
施設概要
- 名称:岩戸山歴史文化館
- 場所:福岡県八女市吉田1562-1
- 開館時間:9:00から17:00まで(最終入館16:30まで)
- 入館料:入館無料
- 定休日:月曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始
- 交通:西鉄「久留米駅」から八女行きバス、「福島高校前」バス停下車
金隈遺跡 ― 2025年12月09日 00:48
金隈遺跡(かねのくまいせき)は福岡県福岡市にある弥生時代の遺跡である。
概要
福岡市の南東で、標高30m前後の地点に位置する。弥生時代前期中頃から後期前半に渡る約400年間の弥生時代の墓地である。
調査
昭和43年の春、桃畑の開墾中に遺跡が発見された。昭和44年から45年に遺跡を発掘調査し、弥生時代の前期後半から後期初頭にかけての甕棺墓348基、土壙墓119基、石棺墓2基が確認された。埋葬された遺体の骨の保存状態が良好であり、形質人類学上資料として意義あるものと認められた。発掘指導には岡崎敬九州大学教授(当時)、西谷正九州大学助教授(当時)も当たった。甕棺墓から136体の人骨が出土した。平均身長は、男性が162.7cm、女性が151.3cmである。祭祀遺物は193号甕棺の上面に高杯と円筒形の器台がみられる。土墳墓の発生は板付ⅡⅠ式期であった。 甕棺は成人用134基に対して、小児用は214基である。当時の幼児死亡率は高かったと推測される。金隈の弥生人は男女とも中頭型に属しており、土井ヶ浜の遺骨に近似する。
遺構
- 甕棺墓203
- 土壙墓92
遺物
- 弥生土器
- 人骨
展示
- 金隈遺跡甕棺展示館
指定
- 昭和47年5月17日 国指定史跡
アクセス等
- 名称:金隈遺跡
- 所在地:福岡市博多区金の隈一丁目39番52号
- 交通:西鉄バス「金隈遺跡前」から徒歩約5分
参考文献
- 福岡市教育委員会(1985)「史跡金隈遺跡」福岡市埋蔵文化財発掘調査報告書第123号
地乗り航法 ― 2025年12月10日 00:06
地乗り航法(じのりこうほう)は海における古代の航海法である。
概要
縄文時代から弥生時代の航海では海上から陸地の山、島、岩、岬、河口、樹木などの地形や海の色、潮の流れなどの目標物を目印として、それを頼りにする地乗り航法が使われた。 船員の経験と航海実績からえた知識が頼りであった。 逆に陸岸を遠く離れて走る「沖合航法」は、万葉集の頃でも「和磁石は存在せず、島や山の形状を確認するのが難しい広い海(灘)を直航することは」避けた(辻啓介(2023))。 袴狭遺跡(豊岡市出石)では、船団を組んで航海する船団が描かれている。一部は天測航法が使われていたかもしれない。天測航法は昼に太陽、夜には月や星の位置を観察して方角や緯度を推定する方法である。
万葉集
736年(天平8年)に新羅へ派遣された使人たちが海路で詠んだ歌に航路の途中の島や浦(停泊地)を詠んでおり、陸地の景色を見ながら航海する地乗り航法を示唆する。 例として「浦廻より漕ぎ来し船を風早み沖つみ浦に宿りするかも」(3646)を挙げておく。
魏志倭人伝
『魏志倭人伝』には「郡より倭に至るには、海岸に循ひて水行す。韓国を歴て、乍南乍東し、」 (從郡至倭 循海岸水行 歴韓国 乍南乍東)と書かれている。海岸に循ひて水行とは、陸を見ながら航行する説明であるから、明らかに地乗り航法である。
参考文献
- 茂在寅男(1977)「日本の古代航海に関する考察」『航海』52巻 pp.1-5
- 辻啓介(2023)「萬葉集に見える奈良時代の瀬戸内海航路」大島商船高等専門学校紀要
- 佐藤知美(2020)「弥生時代の鹿児島-沖縄間の黒潮横断航路」
- 田中聡一(2013)「対馬島と韓半島南海岸地域との海上交渉」
熊本県立装飾古墳館 ― 2025年12月11日 00:10
熊本県立装飾古墳館(くまもとけんりつそうしょくこふんかん)は熊本県山鹿市にある、装飾古墳専門の考古博物館である。
概要
熊本県立装飾古墳館は1992年(平成4年)4月15日に開館した。熊本県では装飾古墳は212基が見つかっており、全国849基の約25%となる。実物の装飾古墳は文化財保護のため見学できないものが多いので、熊本県立装飾古墳館では代表的な11の装飾古墳について古墳内部や石棺を忠実に再現した実物サイズのレプリカ展示を行う。 また出土した実物資料や、映像等によって装飾古墳を紹介する。全国初の装飾古墳専門の博物館である。
肥後古代の森
「肥後古代の森」は、文化庁が遺跡の広域保存・活用を目的として進めてきた「風土記の丘設置事業」の一つであり、全国で11番目の風土記の丘として平成4年度に開館した。「風土記の丘構想」に基づき、装飾古墳の保護・活用、そして研究のための施設として設置された。 また勾玉づくりをはじめとする古代体験ができる。館外施設として、移築保存された横山古墳がある。
装飾古墳の種類
装飾古墳には石棺系、石障系、壁画系、横穴系の4種類がある。石障系は石棺内部に板石を立て、その内側に装飾を施す。壁画系は石室の壁面や石屋形などに装飾を施す。横穴系は横穴墓の入り口付近の外壁や入口。または墓室内に装飾を施す。
館内展示の特徴
館内には、通常は石室内に立ち入りができない装飾古墳の内部をレプリカにより忠実に再現し展示する。また立体映像コーナーがある。地階屋外展示では、石棺やレプリカを展示する。 屋外には「はにわ公園」があり、古墳の間をウォーキングして楽しめる園路がある。台地の壁面には岩原横穴墓群がある。辻古墳出土の舟形石棺が置かれる。
展示
- 常設展示室
- 菊池川流域を中心に、県内の遺跡・出土品を紹介・展示する。
- 第二常設展示室 肥後古代の森エリアの史跡・出土品の紹介と展示である。
- 装飾古墳室
- 本館の中心的な展示スペースで、県内の12の装飾古墳の実物大の精密なレプリカを作り、出土した副葬品などとともに展示する。
- 鍋田横穴群第27号墓 - (山鹿市、7世紀)
- 鴨籠古墳石棺 - (宇城市、5世紀)
- 井寺古墳 - (嘉島町、6世紀)
- 小田良古墳 - (宇城市、5世紀)
- 千金甲1号古墳 - (熊本市、5世紀)
- 6世紀初めに作られた円墳である。装飾は浮き彫りに彩色を施し、横線で区画された石材に、対角線文と同心円文を交互に刻む。
- チブサン古墳 - (山鹿市、6世紀)
- 大坊古墳 - (玉名市、6世紀)
- 玉名市にある装飾古墳である。全長54mの前方後円墳である。石棺内の扉石、支柱石、内壁、袖石などに三角文や円文を赤と青で彩色する。
- 弁慶ヶ穴古墳 - (山鹿市、6世紀)
- 山鹿市にある直径15mの円墳である。石室に人物、ゴンドラの船、馬、鳥、太陽と考えられる同心円文が描かれる。
- 大村横穴群11号墳墓(人吉市、7世紀)
- 臼塚古墳石人- (山鹿市、6世紀)
- 永安寺東古墳 - (玉名市、7世紀)
- 直径13mの円墳である。連続三角文、円文、人物とゴンドラ形も船の絵柄がある。
アクセス等
- 名称:熊本県立装飾古墳館
- 所在地:〒861-0561 熊本県山鹿市鹿央町岩原3085
- 休館日: 毎週月曜日 (当日が祝日の場合はその翌日)、年末年始
- 開館時間:午前9:30~午後5:15 (入館は午後4:45まで)
- 入館料:一般:430円 (団体[20人以上]:300円/一人)
- 交通:「桜町バスターミナル」から「山鹿温泉行」乗車、「山鹿バスセンター」下車 .「山鹿バスセンター」から「玉名駅行」に乗換、「県立装飾古墳館入口」下車徒歩20分
参考文献
- 高木正文(1999)「肥後における装飾古墳の展開」国立歴史民俗博物館研究報告 第80集
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