Bing
PVアクセスランキング にほんブログ村

押出仏2026年03月23日 00:14

押出仏/阿弥陀三尊および僧形像/法隆寺/東京国立博物館

押出仏(おしだしぶつ)は薄い銅板を鋳造した原型に当て、鎚で打ち出して浮彫状に成形した金属製仏像である。打ち出し技法による仏像であることから、「鎚像(つちぞう)」とも呼ばれる。

技法

押出仏は金属加工技術を応用した造仏法の一つで、飛鳥時代後半から奈良時代にかけて盛行した。制作工程は次の手順である。

  • 鋳造しにより仏像の原型を制作する。
  • その原型に薄い銅板を当てる。
  • 背面から鎚で叩き、像の姿を浮き上がらせる。
  • 切り抜き・整形を行う。
  • 表面に鍍金や金箔を施す。

特徴

押出仏の最大の特徴は、同一の原型から複数の像を制作できる点にある。

素材は主に銅板で、表面に金鍍金や金箔押しが施される例が多い。鋳造仏に比べて軽量であることも特色の一つである。 久野健編(1976)は押出仏は同じ型を使用すると古式の仏像を後代に作ることができるので、製作年代の推定が難しいと指摘する。ただ同じ型を使用した遺品を比較すると、後から作られた押出仏は図像のふっくらさと鮮明さに欠けており、押出仏特有の柔らかさがないとされている。

日本最古の押出仏

久野健編(1976)は日本最古の押出仏は奈良県法隆寺の玉虫厨子の扉及び内壁の千仏像とする。打ち出された仏像の数は4468体とされる。『法隆寺資財帳』(747年、天平十九年、写本のみ現存)に「押出千仏像」と記載があり、8世紀には「押出」の用語が使われていた。 久野健編(1976)は技術的に優れた押出仏として「阿弥陀三尊及び二比丘尼像」(東京国立博物館蔵)を挙げる。阿弥陀像は座像で両手を胸に当て、その左右に腰を軽くひねった観音像と勢至像があり、中尊の阿弥陀と脇侍の間に比丘尼が写実的に表現される。もとは法隆寺の銅版後背に着いていたものであった。「阿弥陀三尊及び二比丘尼像」と同じ型を用いて作られたのが法隆寺に現存する「厨子入像」である。東京国立博物館蔵の方が図像は鮮明である。

歴史的背景

押出仏の成立には、中国・朝鮮半島の金工技術の影響が指摘されている。久野健編(1976)は6世紀から7世紀にかけて日本に伝わったと推定している。それ以前にも岡山県瀬戸内市出土の金銅製銙帯金具や滋賀県高島市の鴨稲荷山古墳出土の環頭太刀装具に型を使用した金属板の加工技術が見られたとされる。しかし、それらの国産技術の発展ではなく、押出仏は中国の六朝時代末、随、唐の押出仏が源流と見られている。 飛鳥時代は仏教受容とともに多様な造仏技法が導入された時期であり、押出仏はその中で技術的合理性と信仰需要の双方に対応した形式と位置づけられる。

奈良時代になると寺院だけでなく個人信仰の広がりが見られるため、金銅仏の需要増大が押出仏の普及を後押ししたと考えられているが、久野健編(1976)は押出仏の最盛期は白鳳時代であったとする。

考察

押出仏が奈良時代以後に衰退した理由は、いくつかある。第一は仏像に求める表現力である。奈良時代の後半から平安時代にかけて仏像のリアルな立体表現への要求レベルが高くなっていったと考えられる。押出仏は完全な立体では無く、平面的なレリーフである。裏側が空洞であるから、厚みのある表現ができず、木造仏や鋳造物の表現力には及ばなかった。平安時代初期には神護寺薬師如来像、室生寺金堂釈迦如来立像など重厚で威厳な表現が主流になっていった。 第二はコストパフォーマンスの問題である。押出仏は製造上の手間(コスト)と得られる効果を考えれば、割に合わないものであった。薄い銅板を型に当てて叩き出す際に、叩く回数多くなると銅板が硬くなったり破れたりする。型から抜きだした後も、細部をタガネで彫り直したり鍍金する手間が掛かるなど、人手を要する。一定の品質を保つことは難しい。第三に薄い金属板であるため大型化が難しいことである。第四に、より優れた技術の登場である。大量生産する目的なら、鋳造の方が立体的で重厚に作ることができるし、より頑丈である。

代表的作例

  • 那智山出土 金銅薬師如来立像(東京国立博物館蔵)
    • 飛鳥時代作とされる押出仏の代表例である。整った面相と簡潔な衣文表現を備える。押出技法による初期作例の一つとされる。
  • 押出阿弥陀三尊および僧形像(東京国立博物館蔵)
    • 飛鳥時代7世紀の作例。中央に阿弥陀如来を配し、両脇に観音・勢至菩薩を表す三尊形式。背面からの打ち出しによる浅浮彫が特徴である。
  • 押出仏 観音菩薩立像(奈良国立博物館蔵)
    • 奈良時代8世紀の作例である。均整の取れた体躯と整った光背表現を示し、押出仏の成熟段階を示す。

参考文献

  1. 青木繁夫・西川杏太郎(1976)「金銅押出仏の修復処置―三重県津市愛宕山古墳出土―受託研究報告第 39 号」
  2. 久野健編(1976)『押出仏と塼仏』』日本の美術 No 118,至文堂

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://ancient-history.asablo.jp/blog/2026/03/23/9843691/tb