内裏塚古墳 ― 2026年04月13日 00:12
内裏塚古墳(だいりづかこふん)は、千葉県富津市に所在する古墳時代中期の前方後円墳である。小糸川河口付近の沖積低地に形成された微高地(自然堤防・砂州)上に立地する。
概要
墳丘の規模は、墳長約144m、後円部径約80m・高さ約13m、前方部幅約88m・長さ約78m・高さ約11.5mを測る。墳丘には円筒埴輪および朝顔形埴輪(Ⅳ式)が巡っており、これらの埴輪の型式や墳丘形態から、築造時期は5世紀中頃と考えられている。周濠からきぬがさ形埴輪が出土している。大正4年(1915年)、墳頂に石碑が作られた。 内裏塚古墳群は、30基以上の古墳で構成され、三条塚古墳、九条塚古墳、稲荷山古墳等、100mを超える古墳を含む南関東屈指の古墳群である。同古墳群は多数の古墳から構成され、前方後円墳・方墳・円墳など多様な墳形が確認されており、地域首長層の継続的な墓域として形成されたとみられる。
内裏塚古墳は、内裏塚古墳群の中で最大規模を有し、古墳群形成の初期段階に位置づけられる前方後円墳である。内部主体の調査は1906年(明治39年)に行われ,2基の竪穴式石室が検出された。東側の石室(長さ5.75m、幅0.75mから0.88m)から2体の人骨、直刀5点、鉄剣2点、鉄小刀1点,鉄鎌1点及び鉄鏃など、西側の石室(長さ7.55m、幅1m)から鏡1点,直刀5点,鳴鏑9点,金銅製胡籙金具1点及び鉄鏃などが出土した。 主体部は後円部において2基の石槨(甲石槨・乙石槨)が確認されており、複数の埋葬施設を有する点から、追葬や被葬者の継承関係が想定される。 金銅製胡籙金具や鹿角製鳴鏑は武装に関わる威信財であり、その出土は畿内王権との関係を示唆する。また、金銅製胡籙金具は朝鮮半島南部の伽耶地域にも類例がみられることから、本古墳の被葬者が広域的な対外交流ネットワークの中に位置していた可能性が指摘される。鹿角製鳴鏑は全長7.5cmの大型であり、このサイズは他の類例が少ない。
以上の点から、内裏塚古墳は東京湾沿岸地域における有力首長墓として、ヤマト王権との政治的関係および対外交流の実態を考えるうえで重要な古墳と評価される。
遺構
- 前方後円墳
- 円筒埴輪
- 朝顔形埴輪
遺物
- 鏡
- 鉄刀
- 鉄槍
- 鉄鏃
- 鹿角製鳴鏑
- 金銅製胡籙金具
指定
- 令和7年9月18日 国指定史跡 「内裏塚古墳群」
展示
- 古墳の里ふれあい館
- 国立歴史民俗博物館
アクセス等
- 名称 :内裏塚古墳
- 所在地 :千葉県富津市二間塚字東内裏塚1980
- 交 通 :
参考文献
- 小林洋(1992)「上総南西部における古墳終末期の様相」国立歴史民俗博物館研究報告 第44集
- 千葉県教育振興財団(2012)「古墳時代中期の房総」研究紀要 27
コメント
トラックバック
このエントリのトラックバックURL: http://ancient-history.asablo.jp/blog/2026/04/13/9848094/tb
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。