加茂遺跡(川西市) ― 2026年04月26日 00:17
加茂遺跡(川西市)(かもいせき)は兵庫県川西市に所在する弥生時代の大規模集落遺跡であり、近畿地方における弥生社会の発展を示す代表的な遺跡の一つである。環濠内中心部の一部が国の史跡に指定されている。
概要
本遺跡は、猪名川流域に形成された伊丹台地上(標高約40m)に立地し、東側および北側は猪名川とその支流最明寺川によって刻まれた比高差約20mの急崖に囲まれる。こうした地形は、水資源の確保と防御性を兼ね備えた立地条件として評価される。
1911年(明治44年)、遺跡東側の崖下から弥生時代終末期頃の大型銅鐸である「栄根銅鐸」が出土したことにより、その存在が広く知られるようになった。この銅鐸は当該地域における祭祀活動や広域的な交流を示す重要資料である。そのほか出土遺物は弥生土器の壺、甕高坏、鉢、水差形土器、蛸壺、鉄剣形石剣などがある。
加茂遺跡は弥生時代中期初頭に成立し、中期中頃から後半にかけて急速に発展し、最大時には約20ヘクタールに達する近畿有数の大規模集落となった。弥生時代中期には、東西約800m、南北約400mの約20haに及ぶ。この段階では、下加茂遺跡・栄根遺跡・小戸遺跡など周辺集落を統合する地域中核的な拠点であったと考えられている。
しかし弥生時代後期になると、集落は東西二つに分かれて規模が縮小し、出土土器の量も大幅に減少する。この変化は、弥生時代末期における社会構造の変動や集団再編を反映するものと考えられており、中国史書『三国志』魏志倭人伝にみえる「倭国乱」との関連を指摘する見解もあるが、現時点では慎重な検討が必要とされる。
近代以降の研究史としては、1936年(昭和11年)に地元の宮川雄逸が収集資料の保存・公開を目的として宮川石器館を開設したことが特筆される。その後、1952年(昭和27年)から1954年(昭和29年)にかけて関西大学および関西学院大学による発掘調査が実施され、1968年(昭和43年)には報告書『摂津加茂』として成果が公刊された。
加茂遺跡は、大規模集落の形成・発展・縮小という過程を通じて、弥生時代における地域社会の統合と変動を具体的に示す遺跡として重要である。
遺構
- 掘立柱建物6棟,
- 竪穴住居40棟,
- 方形周溝墓22基,
- 木棺墓
- 土器棺墓12基,
- 土坑墓 竪穴建物1
- 土器棺墓1
- 環濠
- 壺棺墓
遺物
- 弥生土器
- 壺
- 甕・
- 高坏
- 鉢
- 水差形土器
- 蛸壺
- 鉄剣形石剣
指定
- 平成12年7月31日 国史跡指定
展示
- 川西市文化財資料館
アクセス
- 名称:加茂遺跡
- 所在地: 兵庫県川西市加茂1丁目111-19
- 交 通:阪急川西能勢口駅から南西徒歩20分
参考文献
- 大塚初重(1995)『日本古代遺跡辞典』吉川弘文館
- 西市教育委員会(2016)「史跡加茂遺跡 保存活用計画書」
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