Bing
PVアクセスランキング にほんブログ村

五色塚古墳2026年04月27日 00:10

五色塚古墳(ごしきづかこふん)は、兵庫県神戸市垂水区に所在する古墳時代前期末から中期初頭に築造された前方後円墳である。明石海峡に面する海成段丘の縁辺部に立地し、前方部を南に向ける。墳頂からは明石海峡を一望でき、古代の海上交通を意識した立地と考えられている。

概要

墳丘の規模は全長194mを測り、前方部は幅82.4m、高さ13.0m、後円部は直径125.5m・高さ18.8mである。墳丘は3段に築成され、各段に平坦面(テラス)を有する。海成段丘上に築かれた大規模前方後円墳として知られており、瀬戸内海沿岸地域における有力首長墓の一つに位置づけられている。

墳丘表面には葺石が施されており、中段および上段の葺石は分析の結果、淡路島から搬入された円礫であることが判明している。使用された石材は、上段・中段では径15cm〜30cm程度、下段では径5cm〜10cm程度のものが用いられている。葺石は総数約223万個、総重量約2,784トンに達すると推定されており、大規模な労働力動員を示す。なお、これらの葺石は、一般に見られる基底石(基礎となる石)を用いずに直接斜面に葺き上げる技法が採用されている点に特徴がある。

埴輪は円筒埴輪を主体として配列され、約10mあたり18本(約0.5m間隔)の密度で樹立されている。さらに、各段のテラス上には鰭付円筒埴輪や朝顔形埴輪などが配置され、その総数は約2,200本にのぼると推定されている。これらは墳丘の外観を強調するとともに、祭祀的空間の形成に関与したと考えられる。

出土遺物としては、後円部墳頂から軟質の碧玉製合子の破片が確認されている。碧玉製品は威信財としての性格を持つことから、被葬者の高い社会的地位を示唆する資料といえる。一方、後円部に存在するとみられる埋葬施設については本格的な調査が行われておらず、構造や副葬品の内容は明らかになっていない。このことは、未盗掘の可能性を含め、今後の研究において重要な意味を持つ。

また、『日本書紀』神功皇后摂政元年二月条にみえる陵墓築造記事を本古墳に比定する説があるが、裏付けとなる確証はなく、学説の一つとして位置づけられている。

以上のように、五色塚古墳は大規模な墳丘構造、精緻な葺石技術、密な埴輪配置などを備えた古墳であり、瀬戸内海沿岸における古墳時代の政治勢力と海上交通との関係を考える上で重要な遺跡である。

2026年4月18日に五色塚古墳館(ガイダンス施設)が古墳の北側に開館した。パネルや映像、古墳から出土した埴輪や土器、石製合子などを展示する。

五色塚古墳=海上交通支配論

五色塚古墳は、兵庫県神戸市垂水区の明石海峡に面する海成段丘上に築かれた全長194mの前方後円墳であり、その立地と構造は単なる首長墓にとどまらず、古墳時代における海上交通支配の象徴的拠点として理解することができる。

まず注目されるのは、その立地である。古墳は明石海峡を見下ろす段丘縁辺に築かれており、墳頂からは播磨灘と大阪湾を結ぶ要衝を一望できる。この海域は、瀬戸内海航路の東端にあたり、畿内と西日本を結ぶ物流・交流の結節点であった。したがって、この地点に巨大古墳を築くことは、当時において航行する船舶に対する視覚的威圧と領域支配の誇示という政治的意図を帯びていたと考えられる。

次に、墳丘規模と構築技術が示す動員力である。全長194mに及ぶ三段築成の墳丘、約223万個・総重量約2,784トンと推定される葺石、さらに約2,200本に及ぶ埴輪の配置は、極めて大規模な労働力の動員を必要とする。特に、葺石の一部が淡路島から搬入されている点は、海上輸送を前提とした広域的な資源調達体制の存在を示す。これは単なる技術的問題ではなく、海峡を掌握し得る政治勢力の存在を前提とするものであり、五色塚古墳の被葬者が海上交通の管理・統制に関与していた可能性を強く示唆する。

また、埴輪列の高密度配置も重要である。約0.5m間隔で並ぶ円筒埴輪列は、墳丘外観を際立たせると同時に、海上からの視認性を高める役割を果たしたと考えられる。すなわち、五色塚古墳は陸上の墓制でありながら、海上交通路に対して「見せる」ことを強く意識したモニュメントであった。このような構造は、単なる葬送施設を超え、政治的メッセージを発信する視覚装置としての性格を帯びる。

さらに、碧玉製合子の出土は、被葬者の威信財保有を示すとともに、広域交易ネットワークへの関与を示唆する。碧玉は産地が限られるため、その流通には特定の権力関係が介在すると考えられ、五色塚古墳の築造主体が海上流通と密接に関わっていたことを補強する資料である。

以上を総合すると、五色塚古墳は単なる地域首長墓ではなく、瀬戸内海東部における海上交通の要衝を押さえた政治勢力の象徴的墓制と位置づけられる。その築造は、航路の掌握、物流の統制、さらには外来文化・物資の受容を背景とした権力形成と密接に結びついていたと考えられる。すなわち本古墳は、古墳時代における「海の支配」を可視化したモニュメントであり、ヤマト王権の形成過程における瀬戸内海航路の重要性を具体的に示す考古学的証拠の一つといえる。

遺構

  • 前方後円墳
  • 葺石

遺物

指定

  • 1921年3月3日(指定) 1974年5月22日・1979年7月2日・2006年7月28日(追加指定)

展示

  • 神戸市埋蔵文化財センター
  • 五色塚古墳館(ガイダンス施設)

アクセス等

  • 名称  :五色塚古墳
  • 所在地 :兵庫県神戸市垂水区五色山4丁目1番地
  • 交 通 :山陽電鉄霞ヶ丘駅から徒歩5分

参考文献

  1. 神戸市教育委員会(2006)「史跡五色塚古墳・小壺古墳 発掘調査・復元整備報告書」

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://ancient-history.asablo.jp/blog/2026/04/27/9851079/tb