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割見塚古墳2026年05月04日 00:39

割見塚古墳(わりみづかこふん)は、千葉県富津市に所在する古墳時代終末期(7世紀前半)の方墳で、内裏塚古墳群に属する首長墓の一つである。大型の横穴式石室と整った墳丘規格を備える点で、同古墳群の最終段階を代表する古墳として重要視されている。

概要と立地

本古墳は内裏塚古墳群の一角に築かれた方墳で、墳丘は一辺約40メートル、高さ約5メートルを測る。古墳群は東京湾岸地域の有力首長層の墓域と考えられており、本古墳はその終末期における政治的・葬制的変化を示す資料である。

墳丘と周濠

昭和58年度・59年度の発掘調査により、墳丘の周囲には内濠と外濠からなる二重周濠が巡ることが確認された。これにより、墳丘と周濠を一体として設計された計画的な築造が明らかとなっている。

埋葬施設(横穴式石室)

埋葬施設は横穴式石室で、前庭部を含めた全長は約18.75メートルに達する大型のものである。石室は、入口通路である羨道、副次的な空間である前室・後室、そして遺体を安置する棺室から構成される複室構造をとる。

岩井直人(2016)は東日本の横穴式石室を分類し、本古墳を「奥室中心型」と位置づけた。これは、遺体を安置する奥の棺室を中心に、前室や羨道が付加された構造を特徴とする形式である。

出土遺物

本古墳は盗掘を受けていたが、前庭部などから以下の遺物が出土している。

  • 直刀
  • 馬具
  • 銀製・金銅製の刀子装具
  • 鉄鏃
  • 弓金具
  • 土師器・須恵器

これらは被葬者が武人的性格を有する有力首長であったことを示唆する。

古墳群内での位置づけと終末期方墳

内裏塚古墳群では、7世紀前半になると首長墓の形態として方墳が採用されるようになり、最終段階には方墳のみが築造される傾向が認められる。これは前方後円墳に代表される従来の墓制からの転換を示すものであり、政治体制や葬送儀礼の変化を反映すると考えられる。

割見塚古墳はこのような流れの中に位置づけられる「終末期方墳」の典型例である。

墳丘規格と設計論

小沢洋(1992)は、本古墳の墳丘および周濠の規模について、設計に一定の尺度が用いられた可能性を指摘している。具体的には、以下の数値が高麗尺(1尺約35cm)に基づく規格に近いとされる。

  • 墳丘一辺:約40m(約120尺)
  • 内周堀外辺:約63m(約180尺)
  • 外周堀外辺:約107m(約300尺)

さらに、内周堀幅・周堤幅・外周堀幅についても、それぞれ約30尺・40尺・20尺に相当する値が認められ、全体として統一的な設計思想に基づいて築造された可能性がある。

総括

割見塚古墳は、

  • 大型横穴式石室
  • 二重周濠を備えた計画的墳丘
  • 規格的設計の存在
  • 終末期方墳への転換

といった特徴を備え、内裏塚古墳群の最終段階を理解する上で重要な古墳である。同時に、古墳時代から律令国家形成期へ移行する過程における葬制変化を示す考古資料として高い学術的価値を有する。

遺物

  • 土師器
  • 須恵器
  • 馬具
  • 刀子
  • 鉄鏃

指定

展示

アクセス等

  • 名称  :割見塚古墳
  • 所在地 :千葉県富津市二間塚字割見塚1754
  • 交 通 :JR内房線 青堀駅出口から徒歩約17分/1.3km

参考文献

  1. 小沢洋(1992)「上総南西部における古墳終末期の様相」国立歴史民俗博物館研究報告 44,pp. 329-366
  2. 岩井直人(2016)「東日本の横口式石榔」国士舘史学 巻 20,pp.85-106

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