五番田遺跡 ― 2026年08月25日 00:05
五番田遺跡(ごばんだいせき)は、新潟市江南区茅野山に所在する縄文時代から弥生時代にかけての遺跡である。砂丘下の埋没地形から発見され、縄文時代前期から弥生時代にかけての遺構・遺物が確認されている。
概要
2021年の試掘調査で発見された。地表から約2.5~3.3m掘り下げた砂丘下層から遺構・遺物が発見された。まとまって出土した石や当時の地形が確認されている。縄文時代から弥生時代にかけての遺構と遺物が発見されている。 遺構は
- ①縄文時代の建物1棟及び弥生時代の建物1棟が発見されている。
- ②人為的に集められたと見られる石10数か所が見つかった。
- ③当時の川跡が確認されている。
- ④縄文土器がまとまって配置されたとみられる遺構がある。
川跡
川跡の確認により、縄文時代から弥生時代にかけての遺跡周辺の地形や、水辺と砂丘との位置関係を復元する手掛かりが得られた。川跡(特に水気が残る低湿地)は空気に触れにくいため、通常の土壌では腐って消えてしまう木製品や植物の種、骨などが腐らずにそのまま残ることがある。川跡に積もった土の層(地層)や、そこに含まれる火山灰・土器の破片を分析するにより、「何百年前に川が干上がったか」「いつ洪水が起きてルートが変わったのか」といった自然環境の変化を調べることができる。
土器
2,000年前の「弥生土器」
ほぼ原形を留めた形の土器が発掘されている。この時期には水稲農耕が各地に広がっており、弥生土器は煮炊きや貯蔵など、日常生活のさまざまな用途に用いられた。
2,900年前の「縄文土器」
川跡や砂丘の調査において、「きれいに敷き詰められた状態」や、地面に「上下逆に置かれた状態」で見つかった土器がある。縄文土器には集中して配置されたものや逆位の状態で検出されたものがあり、その配置状況は、土器が単に廃棄されたものではなく、何らかの意図をもって置かれた可能性を考える上で注目される。祭祀的行為との関連を示す可能性が指摘される。 他の可能性として、墓(埋設土器)としての利用で、亡くなった幼児や子供の遺骨、または胎盤などを土器に入れ、蓋をするように「逆さま」にして土に埋める風習(再葬墓や埋設土器)が当時の日本各地で見られたことである。
5,500年前の「縄文土器」(縄文時代前期)
五番田遺跡で確認されている最も古い段階の土器で、縄文時代前期から晩期、さらに弥生時代に至る各時期の遺物が確認されており、長期間にわたって砂丘とその周辺環境が繰り返し利用されていたことを示している。
利用形態
建物が少なく、恒常的な居住を示す痕跡が限定的であることから、五番田遺跡は大規模な定住集落ではなく、周辺の集落から人々が訪れて一時的・季節的に利用した場所であった可能性が考えられている。縄文時代の人が主に活動したと考えられる範囲がほぼ判明する成果があった。弥生時代前期の土器も出土し、この時期にも遺跡周辺が人々によって利用されていたことが明らかになった。
遺跡の特徴
五番田遺跡の大きな特徴は、「まとまって出た石」が非常に多く見つかっている点である。これらは縄文時代晩期(約2900年前)の遺物と推測されている。五番田遺跡では、石がまとまって検出された地点が10数か所確認されている。これらがどのような目的で集められたのかは、石材の種類や配置状況、周辺の遺構との関係を含めて検討する必要があるが、人為的な集積である可能性が注目されている。 砂丘の下に埋没していた縄文時代前期から弥生時代に至る複数時期の活動痕跡が確認され、建物跡、石の集積、川跡、土器の特徴的な出土状況などから、人々と砂丘・水辺環境との関係を考えることができる
調査
遺構
- 縄文時代の建物
- 弥生時代の建物
- 集石遺構
遺物
- 弥生土器
- 縄文土器
指定
時期
アクセス
- 名称:五番田遺跡
- 所在地:新潟市江南区茅野山 (亀田総合体育館付近)(国道403号沿い)
- 交 通:JR「亀田駅」西口からバス(江南区区バスまたは住民バス「カナリア号」)で「アスパーク亀田」下車 徒歩
参考文献
- 新潟市文化財センター(2025)「新潟市遺跡発掘調査説明会2025」
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