八幡塚古墳 (世田谷区) ― 2026年08月31日 00:05
八幡塚古墳 (世田谷区)(はちまんづかこふん)は東京都世田谷区尾山台に所在する古墳時代中期末の造出付円墳である。
概要
国分寺崖線上の高台に所在する野毛古墳群のなかの1基である。墳丘長約33m、円丘部径約30m、高さ約4mで、小さな造出がついた造出付円墳である。
調査
調査史
1935年(昭和10年)、西岡秀夫が「(西岡)14号墳」として名付けた。1936年(昭和11年)、考古学者の後藤守一が古墳の測量図と写真を報告した。1951年(昭和26年)、大谷勀は付近の農家に保管されていた出土品の石製模造品と銙帯金具破片を紹介した。1971年、早稲田大学により墳丘測量調査が行われた。1975年の墳頂部の立会調査では、世田谷区郷土資料館が参加し、泥質凝灰岩製の箱形石棺とみられる遺構が確認された。1995年2月、現地踏査の際に墳丘上に鉄刀が露出していることが確認された。これを受け、同年4月21日から5月10日にかけて埋葬施設の精査と墳丘測量が行われた。八幡塚古墳整理調査会を立ち上げ、2012年9月18日から2013年3月18日の期間で調査報告書を作成した。
1992年(平成4年)発掘調査
1992年(平成4年)の発掘調査で3基の埋葬施設が確認された。そのうち最も北側に位置する北主体部は長さ約3.85m、幅1.25mの箱形木棺である。
八幡塚古墳整理調査会(2013)によれば、棺内からガラス小玉924点(世田谷区公式では899点)、「乳文鏡」が鏡面を上にして出土した。棺外から鉄刀1本、鉄槍1本、鉄鏃1束(約30本)とが出土している。八幡塚古墳整理調査会(2013)では、ガラス小玉は頚部、銅鏡は胸部に置かれていたと判断された。
銅鏡は世田谷区ホームページでは「獣形鏡」となっているが、報告書(八幡塚古墳整理調査会(2013))では「乳文鏡」となっている。写真から判断すると、明らかに同じ鏡と判断される。 出土品は世田谷区宇奈根考古資料室に収蔵されている。
調査史のまとめ
- 1935年 西岡秀夫による命名
- 1936年 後藤守一による測量・写真報告
- 1951年 大谷勀による出土品紹介
- 1971年 早稲田大学による測量
- 1975年 墳頂部立会調査
- 1992年 発掘調査、3基の埋葬施設を確認
- 1995年 鉄刀露出を契機とした埋葬施設の精査・墳丘測量
- 2012~2013年 整理調査
- 2013年 報告書刊行
八幡塚古墳の位置付け
八幡塚古墳整理調査会(2013)では、野毛古墳群の築造順序を「上野毛稲荷塚→野毛大塚→天慶塚→八幡塚→御岳山→狐塚→尾山北原塚」としている。。
遺構
- 古墳(周溝墳丘主体部)
遺物
- 獣形鏡、
- 鉄刀、
- 鉄槍
- 鉄鏃
- 石製模造品
- 小玉(ガラス製)
- 埴輪
- 須恵器
- カ帯金具
指定
築造年代
展示
アクセス
- 名称:八幡塚古墳 (世田谷区)
- 所在地:東京都世田谷区尾山台2丁目11
- 交 通: 京王線「飛田給」駅下車 300m。
参考文献
- 後藤守一(1936)「東京府下の古墳」『東京都史蹟名勝天然記念物調査報告書』第13冊
- 西岡秀夫(1936)「荏原台地に於ける先史および原始時代の遺物と遺跡」『考古学雑誌』26巻5号
- 八幡塚古墳整理調査会(2013)『八幡塚古墳』世田谷区教育委員会
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