松岳山古墳 ― 2026年09月03日 00:05
松岳山古墳(まつおかやまこふん)は松岳山古墳は大阪府柏原市に所在する古墳時代前期(4世紀前半頃)の前方後円墳である。わが国最古の墓誌として国宝に指定されている『銅製船氏王後墓誌』が松岳山古墳群から出土したと伝えられることで知られている。
概要
大和川左岸の断崖上に築かれた前方後円墳である。 墳丘や石室には約500m東の芝山で産出するカンラン石玄武岩の板石が用いられている。石棺には香川県産と推定される柘榴石角閃石安山岩などが使用されている。 墳長は130m、後円部径は72m、後円部高さ16m、前方部幅は32m、前方部長さ56m、 前方部高さ5mである。岸本直文(2013)は、墳丘裾をもう少し大きく考え、墳丘長を約150mと復元している。前方部は2段築成以上、後円部は4段築成以上である。
円筒埴輪は円筒Ⅱ式とされる。円筒形の胴部にタタキ目や刷毛目が残り、2条から4条の突帯がめぐらされている。 墳丘の調査は1985年に前方部前面、1986年には墳丘南側の後円部・くびれ部・前方部が行われた。
松岳山古墳の後円部の石室は1878年に当時の堺県令の税所篤によって発掘され,その際に石棺内から管玉と石製品、棺外から鏡2、勾玉、管玉、刀剣片などが出土している。さらに1955年の大阪府教育委員会の調査の際に管玉や石製品などのほか、鏡破片、鍬形石片1点,石釧片27点以上、多数の刀剣,鉄鏃片,銅鏃のほか鉄鎌・鉄鍬などの農工具片などが採取された(白石太一郎(2003))。石室の主軸は北西向きで、内法は長さ約1.6m、幅約0.35m、床面は北西部に高く南東部に低くなっている。石棺の側石には、香川県産と推定される柘榴石角閃石安山岩や凝灰岩が使われた。
後円部墳頂には、板石を積み上げた竪穴式石室が築かれ、その内部に組合式の石棺が置かれていた。石棺は底石・側石・蓋石を組み合わせたもので、内面には朱が塗られている。組合式の石棺が置かれており、後の長持形石棺につながる形式と評価されている。 白石太一郎(2003)は、茶臼塚古墳は松岳山古墳の前方部前面の第1段(前方部の茶臼塚古墳に面する墳裾)に、約20mの間隔で築かれ、墳丘端を板石を垂直に積み上げる共通の手法が見られるとした。
松岳山古墳の意義
大和川と龍田道が交わる交通上の要地に位置することから、水運や陸上交通と関係する首長の墓と推定する見解がある。
交通と物流の要衝
大阪府柏原市にある古墳時代前期(4世紀前半頃)の全長130mの前方後円墳ある。大和と河内を結ぶ水路(大和川)と陸路(龍田道)の双方が交わる要地に立地する。
水運の監視
大和川水運を統括した首長の墓と推定する見解がある。
特異な構造
近隣の山で採れる板石を積み上げて墳丘や石室を造る。 大型の楕円筒埴輪が出土しており、長径70cm・短径40cm・高さ143cmの個体や、高さ158cmの個体がある。柏原市指定文化財の楕円筒埴輪は、楕円筒埴輪として日本最大とされる。
見どころ
①板石を積み上げた特異な墳丘構造、②後円部墳頂に残る石棺、③石棺の前後に立つ円孔をもつ巨大な立石、④大型楕円筒埴輪、が見どころである。
築造時期
- 古墳時代前期
被葬者
- 被葬者は不明
展示
- 柏原市立歴史資料館で楕円筒埴輪や壺形土器、家形埴輪を所蔵(展示される場合もある)
- 船氏王後墓誌は三井記念美術館所蔵
指定
- 1922年(大正11年)3月8日 国の史跡指定
アクセス等
- 名称 :松岳山古墳
- 所在地 :大阪府柏原市国分市場1-6-21
- 交 通 :近鉄大阪線 河内国分駅から1.4km(徒歩21分)
参考文献
- 柏原市教育委員会(1987)『柏原市文化財概報1986-2:松岳山古墳墳丘範囲確認調査概報:1986年度』柏原市教育委員会
- 岸本直文(2013)「玉手山古墳群・松岳山古墳と河内政権論」百舌鳥・古市古墳群出現前夜(大阪府立近つ飛鳥博物館図録 60)
- 白石太一郎(2003)「考古学から見た聖俗二重首長制」国立歴史民俗博物館研究報告 第108集
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