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加美遺跡2025年02月09日 20:08

加美遺跡(かみいせき)は、大阪府にある弥生時代中期から古墳時代までの複合遺跡である。

概要

遺跡は沖積低地上で範囲は東西900m、南北1200mである。

調査

1942年(昭和17年)に現在の府道大阪港八尾線と大和路線が交差する地点の地下道建設の際に、弥生時代後期の広口壺ならびに古墳時代前期の小型丸底壺が出土して発見された。 1976年に加美東5 丁目で加美小学校の分校(現在の加美東小学校)の建設に伴う発掘調査が大阪市教育委員会・難波宮址顕彰会・長原遺跡調査会により行われ、庄内式期の竪穴建物、多数の溝、井戸などの集落遺構が検出され、銅鏃3 点や鉄剣形銅剣が1 点弥生時代後期末の溝から出土して著名となった。 1984年(昭和59年)の一次調査では加美東6丁目を対象とし、古墳時代初期の集落跡と墓、その下層から弥生時代中期の2基の墓(Y-1号墓・Y-2号墓)が検出された。庄内式土器や布留式土器を伴う大溝や竪穴式住居跡、井戸、土壙、小溝群を伴う集落跡を検出した。 古墳時代後期頃の加美遺跡は生産域とみられている。1984年(昭和5 9年)11月23日早朝、東西両区において調査中の方形周溝墓から出土した土器が盗難にあっていることが判明した。

遺構

  • 方形周溝墓、木棺墓、土器棺墓などの墳墓群が発見された。下層から弥生時代後期前半の水田跡、弥生時代中期後半の2基の巨大な墳丘墓が検出された。

弥生時代から古墳時代

  • 方形周溝墓
  • 掘立柱建物
  • 竪穴建物
  • 墳丘墓
  • 土器棺墓
  • 井戸
  • 土坑

弥生後期

  • 土坑
  • 柱穴

弥生庄内式併行期

  • 木棺直葬(組合式木棺)

古墳時代前期

  • 小溝群
  • 柱穴
  • 土器集積
  • 土坑
  • 河川

古墳時代

  • 土坑
  • 土器棺1
  • 水田
  • 大溝
  • ピット
  • 貼石

遺物

弥生時代

  • 弥生土器
  • 石鏃
  • 鉄剣形銅剣1
  • 内行花文鏡(鏡片)1
  • 碧玉製管玉
  • 小型倭製鏡(内行花文鏡Ib)
  • 石製鐓
  • ガラス製玉
  • 小型倭製鏡(鏡片)1
  • 小型倭製鏡1
  • 銅鏃4、
  • 銅釧2、
  • 内行花文鏡(銘文なし、破片、1984年発掘)
  • 小型倭製鏡(銘文なし、完形8.37cm、1984年発掘、大阪市文化財協会蔵)
  • 倭製内行花文鏡(銘文なし、完形、1984年発掘、大阪市文化財協会蔵)、
  • 碧玉製管玉
  • ガラス製玉
  • 弥生土器
  • 石庖丁

古墳時代

  • 土師器
  • 礎板
  • 柱材
  • 土師器
  • 須恵器
  • 土師器
  • 木製品
  • 鉄鎌
  • 土師器
  • 木製品
  • 臼玉
  • 木器

時期不明

  • 銅鏃2
  • 鉄鏃1

階層差の証拠

上層の方形周溝墓は集落跡の北側にあり、小規模な方形周溝墓は集落の周辺に築造されていた。墓主とみられる5号主体部は墓壙の規模が他より大きく、木棺も底板以外はすべて二重であった。共同体首長とその近親者とみられる。

アクセス等

  • 名称:加美遺跡
  • 所在地:〒547-0002 大阪府大阪市平野区加美東6丁目15
  • 交通:JR新加美駅から徒歩8分

参考文献

  1. 江上波夫(1993)『日本古代史辞典』大和書房
  2. 田中清美(1985)「大阪府大阪市加美遺跡の調査-弥生時代中期後半の大型墳丘墓を中心に-」『日本考古学年報』37
  3. 大阪文化財研究所(2015)「加美遺跡発掘調査報告Ⅴ」

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