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ヒメヒコ制2024年10月11日 13:43

ヒメヒコ制(ひめひこせい)は古代日本におけるヒメとヒコによる二重主権の政体である。

概要

古代の政治は軍事と内政を担当する男性首長(ヒコ)と祭政に関わる女性首長(ヒメ)の二重主権が言われていた。高群逸枝(1938)は「姫彦統治制度にあつては、姫神が神事を、彦神が政事を分掌するが、この二神が一体となって即ちここに祭政一体の統治が行われる」と指摘する。「姬彦統治制度にあつては、姬神が神事を、彦神が政事を分掌するが、この二神が一體となつて卽ちここに祭政一體の統治が行はれるから、或時は姬神が表面に立ち、また他の時は彦神が立つてすべてを執行する」(高群逸枝(1938))とヒメとヒコが一体的に行動することが示されている。

副葬品にみる女性首長墓

今井(1982)は、女性の首長墓に男性被葬者と同様に武器・祭器・農工具が副葬されている事実から、祭祀だけでなく軍事・生産にも女性が関わっていたと主張する。 関口裕子は、「男女の役割分担は流動的・相互移動的であり、男女が軍事指揮権に対等に関わった時期があったが、5~6世紀にはヒメ・ヒコ制が男性優位なものに変化する下で、軍事指揮権の男女対等が失われたと指摘する。 川西宏幸・辻村純代や清家章(1998)などは、特定の種類の武器・武具は女性被葬者には副葬されないことを見いだした。一部の例外をのぞき、女性被葬者には甲胃と鎌は伴わず、女性被葬者に伴う武器は万・剣・槍などの刺突武器だけであった。女性被葬者には甲胃と、武器の主力の一つである鏃、すなわち弓矢が副葬されないとされていた。しかし前期古墳を調査すると、女性被葬者にも刀・剣が副葬されていた。それでも、女性被葬者の副葬された刀・剣は全長20cm未満のきわめて短いものであった。女性被葬者に対する葬送儀礼は男性に対するそれよりも箪事色は強くなかったと判断できる(清家章(1998))。田中良之の研究にでは、古墳時代後半期からは初葬者は男性優勢になるとされる。岸本直文(2021)は前方後円墳の形状からみた丘築造規格の検討をつうじて、一貫して政祭が分離しており、王権構造が聖王と執政王という二系列が古墳時代中期まで続いたとすることは、清家章(1998)の研究と一致する結果である。

二重主権

鳥越(2020)は、倭国古代の統治体制は、第一次統治権者として祭事権をもつ姉(または妹)と第二次統治権者として軍事権・政治権をもつ弟(または兄)との祭政二重主権であったとする。これは『魏志倭人伝』に書かれる卑弥呼と男弟との統治形態に当てはまる。 4世紀頃までは姉の女首長のもとで弟が補佐して統治する形態が地方の国々に見られると指摘した(鳥越憲三郎(2020)、p.68)。隅田八幡宮の「人物画像鏡」には、大王と男弟王が記されており、兄と弟の二重主権が見られる。

事例

  • イザナギとイザナミ(『古事記』)
  • イナダネ(伊那陀禰、建稲種命)とイナダヒメ(『古事記』)
  • ウサツヒコとウサツヒメ(『日本書紀』神武天皇即位前記甲寅年条)

考察

古い時代の古墳の被葬者に女性が半数程度あったことは、古墳時代中期まで女首長が一般的であったことが証明できる。推古と厩戸皇子との関係も二重主権と評価することができる。

参考文献

  1. 清家章(1998)「女性首長と軍事権」待兼山論叢. 史学篇 32,pp.25-47
  2. 高群逸枝(1979)『母系制の研究』講談社
    1. オリジナルは高群逸枝(1938)『母系制の研究』理論社
  3. 今井発(1982)「古墳時代前期における女性の地位j『歴史評論』歴史科学協議会編(383), pp2-24
  4. 関口裕子(1987)「卑弥呼から女帝へ」脇田晴子ほか編『日本女性史』古川弘文館
  5. 鳥越憲三郎(2020)『倭人・倭国伝全釈』角川書店
  6. 田中良之(1995)『古墳時代親族構造の研究』柏書房
  7. 田中良之(1993)「古墳被葬者とその変化」『九州文化史研究所紀要』第38号。
  8. 岸本直文(2021)『倭王権と前方後円墳』塙書房

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