一宮八王子遺跡 ― 2025年01月24日 00:10
一宮八王子遺跡(いちのみやはちおうじいせき)は愛知県一宮市に所在する弥生時代から古墳時代、古代に渡る複合遺跡である。
概要
日光川左岸の自然堤防上に立地し、南北を丘陵に挟まれる遺跡である。尾張地域で最古の八王子銅鐸が発見された。南西約1kmに山中遺跡(弥生前・後期)をはじめとする萩原 遺跡群が同じ自然堤防上に展開する。弥生時代には、中央を南西に幅100mを超える巨大な 自然の谷が走っており、その北で弥生時代前期の環濠1条、総延長約70mにわたり見つかった。環濠の外では石器製作時の石屑を捨てた土坑2基と1辺3mの小型で四隅に陸橋部をもつ方形周溝墓を1基検出した。
調査
弥生時代
弥生時代中期の集落は谷の北岸を中心にして展開していたが、弥生時代後期の遺構群は谷を挟む南側を中心とした集落構造に大きく変化した。 玉作りに用いた可能性をもつ溝の刻まれた砥石2点のほか、100点を超える多量の石鏃が出土した。
弥生時代終末期・古墳時代初頭(廻間I 式・II 式期)
山中II 式期から廻間I 式期初頭にかけて谷の急激な埋没が見られる。廻間I 式期には、それまでの通常の集落景観は一変し、異様な構造物が出現する。大型建物や巨大な区画が設定され、一般集落とは異なる空間となる。溝の中に大型掘立柱建物は一辺12m ほどの規模が1棟だけある。区画内にはその他の施設は存在しない。 長方形区画は南北約80m 東西40m の規模をもち、二重の溝で囲まれていた。付近には複雑なクランク状の区画溝が見られる。一過性の単発的な建物と想定されている。大型建物と泉は弥生時代には見られない。出土遺物は、最古のS字甕と人面文、小型の精製土器群、模造品など古墳時代を予想させるものであった。S字甕はそれ以前の伝統的な煮沸具や台付甕の常識を覆す革命的なものであった。 対岸の左岸には東西100m、南北200mの区画があり、その中に柵で囲まれた総柱の掘立柱建物や独立棟持ち柱をもつ建物群によって構成される注目すべき遺構群が見られる。一般集落とは異なる特異な空間が作られていた。
規模
遺構
弥生時代
- 竪穴住居
- 環濠
- 方形周溝墓
- 溝
- 土坑
古墳時代
- 掘立柱建物
- 竪穴住居
- 溝
- 土坑
- 井泉
遺物
弥生時代
- 弥生土器
- 石器
- 玉
- 土偶
- 銅鐸
- 砥石
古墳時代
- 土師器
- 須恵器
- 木製品
- 銅鏃
- 玉
八王子銅鐸
弥生中期の居住地から、倒立状態の埋納で発見された。外縁付鈕式で県内では最古の銅鐸である。高さ21cm、底部の長径11.3cm(鰭間で13.4cm)、短径7.8cmの小型品、鐸身に流水文が描かれている。埋納場所は集落内であり、類例の少ない倒立埋納である。1997年に愛知県埋蔵文化財センター主任専門員樋上昇氏が発見した。 鈕に明瞭なヒモ擦れ痕跡が見られるため、「鳴らす銅鐸」を裏付けるものである。
放射性炭素年代測定
八王子遺跡より検出された土器付着物試料14点について、加速器質量分析法(AMS 法)による放射性炭素年代測定を行った(愛知県埋蔵文化財センター(2002))。 PLD-1023の1σ暦年代範囲が cal BC 400 - 360 (81.9%)、PLD-1023がcal BC 325 - 280 (40.5%)、PLD-1027がPLD-1023といずも紀元前390年から300年の弥生時代を示している。弥生時代終末期の土器年代と整合性がある。
時期
- 弥生時代中期から古墳時代初頭
展示
- 一宮市博物館
指定
- 平成21年6月24日 一宮市内指定文化財、八王子遺跡出土銅鐸1点
アクセス等
- 名称:一宮八王子遺跡
- 所在地:愛知県一宮市大和町苅安賀
- 交通:名鉄尾西線 苅安賀駅 徒歩25分
参考文献
- 愛知県埋蔵文化財センター(2002)「八王子遺跡」愛知県埋蔵文化財センター調査報告書第92集
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