八幡山古墳(行田市) ― 2025年02月02日 00:06
八幡山古墳(行田市)(はちまんやまこふん)は埼玉県行田市にある円墳である。 日本百名墳に選出されている。
概要
若小玉古墳群の中心となる古墳時代末期の古墳である。 大型の石室が露出しており。、考古学者の大場磐雄が「関東の石舞台」と言ったことでしられる。 石室から最高級の棺である漆塗木棺が見つかっており、葬られた人物の権力の大きさを忍ばせる。石室内は土曜日・日曜日・祝日の10時から16時まで公開される。石室に八幡社の石祠が置かれている。かっては9.5m程の高さの墳丘盛土があり、石室は墳丘の中に築かれていた。江戸時代後期の『新編武蔵國風土記稿』、『増補忍名所図会』等に八幡山古墳が記される。「聖徳太子伝暦」に登場する武蔵国造の物部連兄磨の墓とする説がある。
墳丘の破壊
1934年(昭和9年)11月に八幡山古墳の小針沼(現行田浄水場)の干拓事業が始まり、三方塚古墳、愛宕山古墳等当時残っていた若小玉古墳群の多くの古墳が崩され、その土が沼の埋め立てに使われた。八幡山古墳も崩され、翌年1月までに墳丘盛土の大半が取り去られ、巨大な石室が現れた。
調査
墳丘の破壊に気付いた太田村村長は埼玉懸史編纂掛に調査を依頼し、同年5月に発掘調査が行わた。昭和19年3月31日付で、石室部分が「八幡山古墳石室」として埼玉県指定史跡に指定され、保存された。昭和54年から昭和56年に復元整備された。副葬品として昭和10年に須恵器長頸壺、銅鋺、青銅製八花形棺金具、直刀、乾漆器が出土した。さらに昭和52~54年の復元工事の際に、中室から夾紵棺片、銅鋲、鉄釘、銀製弓弭金物、鉄鏃、銅漆装方頭把頭、金銅装鞘尻金具が出土した。須恵器長頬壷は7世紀中頃に現在の静岡県湖西市にあった湖西窯で作られたものである。布を漆で貼り重ねて棺とする夾紵棺は、大阪の阿武山古墳や奈良の牽牛子塚古墳など、地位がかなり高い人物の墓と考えられている古墳でのみ確認されている棺であり、東国での発見例は当古墳のみである。
規模
- 形状 円墳
- 規模 径66m、高9.5m
遺構
- 室・槨 横穴式石室。構造は羨道・前室・中室・奥室、全長16.7メートル、奥室の高さ3.1メートルである。
- 奥室・中室・前室・羨道からなる。奥室の平面型は胴張り。
- 棺 乾漆棺片が出土
遺物
- 耳飾類
- 直刀 鉄刀片
- 鉄鏃
- 須恵器壺
- 乾漆
- 青銅製八花形棺金具
- 銅鋺
- 須恵器長頸壺
- 金銅装鞘尻金具
- 銀製弓弭金
- 鉄鏃
- 銅漆装方頭把頭
- 夾紵棺片
築造時期
- 7世紀中葉~後半
被葬者
- 伝・物部連兄麿
展示
- 埼玉県立さきたま史跡の博物館
指定
- 昭和19年3月31日 埼玉県指定史跡
アクセス等
- 名称:八幡山古墳
- 所在地:〒361-0016 埼玉県行田市藤原町1-27-2
- 交通:JR高崎線行田駅 市内循環バス 15分 南大通コース(工業団地由行き)藤原町下車 藤原町 徒歩 5分
参考文献
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