粟生間谷遺跡 ― 2025年02月27日 00:11
粟生間谷遺跡(あわおまだにいせき)は大阪府箕面市にある旧石器時代の遺跡である。
概要
北摂山系から南方に延びる丘陵の頂部標高70mから75mの地点に所在する遺跡である。 7箇所の石器製作跡と1箇所の礫集中部を検出した。後世の包含層から旧石器が出土したが、石器製作跡出土資料とは若干異なり、国府型ナイフ形石器、翼状剥片石核などがみられる。火山灰分析により、ブロック3,6は、姶良Tn火山灰(約2万9千年前~2万6千年前)の降下以後の石器群とみられる。
調査
1996年から2000年に大阪府文化財調査研究センターが調査を実施した。11万m2を超える調査地内から7個所の遺物集中部を検出し、遺物総数は1806点に及ぶ。石器組成の明らかなブロック1,3,6はそれぞれ内容が異なる。ブロック1は小形ナイフ形石器が中心でチャートが主要石材である。ブロック3はサヌカイト主体で横長剥片製ナイフ形石器、掻器が出土した。ブロック6は切出形の小形ナイフ形石器、古府形ナイフ形石器、角錐状石器、円形掻器などが出土した。
遺構
- 石器製作址
- 礫集中部
遺物
- ナイフ形石器
- 角錐状石器
- 円形掻器
- 掻器
- 削器
- 2次加工ある剥片
- 微細剥離痕ある剥片
- 頁岩製剥片
- 石核
- 敲石
指定
展示
考察
アクセス
- 名称:粟生間谷遺跡
- 所在地:大阪府箕面市粟生間谷東3丁目
- 交 通:
参考文献
造山古墳 ― 2025年02月27日 23:02
造山古墳(つくりやまこふん)は岡山県 岡山市にある大規模な前方後円墳である。 「ぞうざんこふん」とも呼ばれる。
概要
独立丘陵を加工して築造したと推定されている。墳丘は3段築成である。平面積約7.8ha。水を湛える周濠は無かったと判断される。吉備地方において、それ以前のものとは規模と形態が大きく異なる。古墳の築造時には倭国で最大規模であったと考えられている。通説では大和(中央)政権に対抗した吉備地域地方政権の大首長とされているが、大和政権と対抗していたとの説もある。規模では全国第4位である。 前方部頂に刳抜式長持形石棺が安置される。別古墳出土ともいわれるが本墳に伴う可能性もある。中世に城として一部改変される。
調査
2009 年3月1日から3月311 日までの期間、岡山大学考古学研究室が主体となって調査を行った。12 月 18 日に後円部北側と前方部前面の民有地内でボーリング調査をおこない、層序の確認等を行った。 前方部第1トレンチでは地山に岩脈がみられたため、基盤層と確認した。古墳築造年代の指標となる埴輪の検出を目的として、前方部西側の墳丘裾に長軸が直交するように南北6m、東西7m の規模で調査区を設けた。古墳時代の面は中世頃に改変を受けていると推測された。出土遺物として埴輪片約 500 点、土器片約 50 点、木材2点が出土した。大半は円筒埴輪であるが、蓋形埴輪などの形象埴輪も数点出土した。後円部墳頂に形象埴輪、墳丘斜面の各段には大量の葺石と円筒埴輪列が確認された。盾、蓋、家形埴輪、鏡、砥石、鈴、多量の鉄器などが出土した。内部の主体部は不明である。 後円部第1トレンチの出土遺物としては、埴輪片約 300 点、中世土器片約 150 点、弥生土器片約 300 点、礫約 280点、木材約 100 点が出土した。埴輪は3層から9層にかけて出土しており、器種は円筒埴輪や朝顔形埴輪が大半を占め、蓋形埴輪などの形象埴輪も数点出土した。後円部第1トレンチでは弥生土器片が約 300 点出土した。弥生中期後葉から後期中葉のものが中心であった。
中世戦国の改変
中世末には城砦となっおり相当部分が改変されたと考えられている。平坦部は、安土桃山時代に羽柴秀吉の毛利攻めのとき、毛利勢が防衛のため頂上を平坦にしたとされている。13 世紀から 16 世紀を中心とする土器が出土しており、比較的長期にわたる活動があったと考えられる。
規模
- 形状 前方後円墳
- 築成 前方部:3段、後円部:3段
- 墳長 350~360m
- 後円部径 径224m 高32.5m
- 前方部 幅230m 長170m 高27m
- 円筒埴輪 円筒Ⅲ・Ⅳ式
- 葺石 あり
遺構
埋葬施設は未調査で不明。石棺の存在が地元に伝えられる。くびれ部の両側に後円部に掛かる方壇状の造出しがある。幅が狭くて深い周濠と幅広の堤は、この古墳の特徴である。 前方部頂上に袴抜式長持形石棺があるが、付近の古墳の出土品を運びあげたとの説もある。
遺物
- 円筒埴輪、
- 朝顔形円筒埴輪、
- 形象埴輪
- 埴輪片約 500 点、
- 土器片約 50 点、
- 木材2点
- 弥生土器片
陪塚
南に6基の陪塚があり、馬形帯鈎が出土した榊山古墳(造山1号墳)、直弧文が彫られた石障をもつ千足(装飾)古墳(造山5号墳)などがある。
- 形式:前方後円墳
被葬者
- 吉備(地方)政権の大首長、大王級の人物である。
築造時期
- 5世紀前半と推定されている。
指定
-1921年(大正10年)、国の史跡 指定
アクセス等
- 名称:造山古墳
- 所在地:〒701-1344 岡山県岡山市北区新庄下
- 交通: 吉備線 備中高松駅から、車で約12分。
参考文献
- 大塚初重(2019)『巨大古墳の歩き方』宝島社
- 大塚初重(1996)『古墳事典』東京堂出版
- 造山第4号古墳の家形埴輪, 岡山市埋蔵文化財センター
- 「造山古墳から埴輪列、有力者の墓説を裏付け」朝日新聞,2020年12月10日
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