中原遺跡 ― 2025年03月21日 23:51
中原遺跡(なかばるいせき)は佐賀県唐津市にある縄文時代、弥生時代前期から中期の複合遺跡である。
概要
松浦川右岸の旧砂丘上に位置する。遺跡地は標高約50mの台地一帯である。
調査
大正末期に大串の右近杏葉によって調査され報告されて、遺跡とされた。明治10年頃大串の三崎原で石斧4個が見つかった。崩れた田圃の修復工事中に発見したもので、田中袈裟一氏が保管していた。上無津呂の長野峠の道路工事中(大正12年頃)に石斧が発見され、右近も春日神社境内裏手から石鏃を発見した。春日神社裏の杉の杜から昭和34年、松石恵市君(当時小6で大野小ケ倉)も黒燿石の石鏃を発見した。 1965年の九州大学・パリ大学の合同調査で甕棺6基が検出された。また中期後半の4・5号甕棺から管玉、勾玉、中期末の7号甕棺から鉄戈1、管玉6、小玉1が検出された。棺外から鉄戈1が発見された。 1985年、1986年には唐津市教育委員会が調査し、古墳時代前期の方形周溝墓と5世紀の古墳が発見された。 1995年(平成7年)の栗並遺跡の発掘調査では、縄文式土器の数片が発掘された。これらの石斧や石鏃は縄文時代以前となる石器時代のものとされた。 2001年から2005年の発掘調査では首長など地域の上位階層者のものとみられる三つの墓で鏡、玉、剣の三つが揃って出土した。青銅鏡や管玉は中国や朝鮮半島などからの伝来品で、当時の流通を知る上で価値が高い。
出土
旧石器時代細石刃文化期,縄文時代早期・中期・後期の遺物等が出土している。 本遺跡の出土遺物は縄文時代中期末から後期と、限定されているが遺物の種類も多く,その出土量は膨大にある。旧石器時代の遺物は細石核2点がある。縄文時代早期の遺物は,少量であるが、前平式・吉田式の貝殻文系の円筒形土器,撚糸文系の塞ノ神式土器等が出土した。 縄文時代中期末から後期の遺物には,南福寺下層式類似・阿高式系・中津式類似・福田KⅡ式・縁帯文土器類似・彦崎KⅠ式酷似・津雲A式酷似・指宿式・倉園A式・一湊松山式・市来式等の土器,石斧・石錘・敲石・磨石・石皿・軽石製調整具等の石器が出土した。 瀬戸内地方の磨消縄文系土器と南九州在地系土器が多量に出土したことが本遺跡の特徴である。また,石錘の出土量等から川や海での漁労との関わり合いが深いことが推察された。
鉄生産
中原遺跡から鉄を削る際に火花として散る不純物の塊「鉄滓」や大量の鉄が出土しており、他地域にも供給していた。木簡を削る小刀として使い、鉄器の裁断によって生じた鉄片は弓矢の矢尻として再利用していた。弥生時代後期には中原遺跡で鉄器生産が始まり、島原半島や熊本の人々が鉄を手に入れようと航路を通ったとされる。
遺構
土壙墓
- 祭祀土坑
- 古墳
遺物
- 弥生土器
- 土師器
- 木製品
- 木簡
- 墨書土器
- 中空円面硯
- 子持ち勾玉
- 須恵器
- 内行花文鏡
- 方格規矩鏡
- 浮彫式獣帯鏡
- 剣
- 素環頭小刀
- 刀子
- 勾玉(ヒスイ製)
- 管玉(碧玉製)
指定
所在地等
- 名称: 中原遺跡
- 所在地:佐賀県唐津市原字溜ノ内・西ノ畑
- 交通:
参考文献
- 志布志町教育委員会1985「中原遺跡」『志布志町埋蔵文化財発掘調査報告書』9
- 唐津市教育委員会(1987)『中原遺跡』
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