平原遺跡(糸島市) ― 2025年03月30日 00:25
平原遺跡(糸島市)(ひらばるいせき)は福岡県糸島市にある弥生時代から古墳時代の複合遺跡である。
概要
糸島市の雷山塊の麓に伸びる曽根丘陵の先端付近に位置する。丘陵の西に雷山川、東に瑞梅寺川が流れる。400m東の石ヶ崎遺跡があり、そこでは支石墓1基、甕棺23基、土坑墓3基を検出した。支石墓は弥生前期のもので、主体部は組み合わせ木棺と想定されている。 平原遺跡1号墓は東西18メートル、南北14メートルの長方形の墳丘墓で、40面におよぶ銅鏡が出土し、弥生時代では日本最多である。そのうち5面の「内行花文鏡」は直径46.5センチメートルで日本最大の銅鏡である。1号墓は伊都国女王の墓と考えられている。副葬品などから弥生時代終末期(西暦200年前後)のものと判明している。 平原遺跡の遺物は伊都国歴史博物館で展示している。 同名の遺跡は佐賀県唐津市、福岡県八女郡広川町、山口県宇部市、島根県益田市、広島県広島市など多数ある。前原市は糸島市と合併している。
調査
1965年(昭和40年)1月に前原市有田の井手勇祐、セツ子、信英氏ら土地の所有者がミカンの木を植えるための溝を掘ったところ、農作業中に偶然、平原遺跡1号墓が偶然発見された。福岡県教育委員会を調査主体として平原遺跡調査団が結成され、前原在住の考古学者原田大六を中心に多くの市民の協力を得ながら約3ヶ月半に及ぶ調査が行われた。 遺跡の主体は周溝墓群である。中心となる遺跡は、幅2m前後の周溝が18m×14mの長方形上にめぐる周溝墓群である。中央に4.5m×3.6mの墓壙があり、長さ3mの割竹形木棺を収めていたと考えられる。棺内からガラス製勾玉、管玉、連玉、小玉、瑪瑙製管玉、琥珀丸玉など多量の玉類が発見された。棺外から素環頭大刀、刀子と破砕した42面文の銅鏡片が発見された。方格規矩鏡35、だ竜鏡1、長宜子孫連狐文1、倣製錬狐文鏡5がある。このうち錬狐文鏡4は同型鏡であり、径46.5cmの巨大なものであった。土器などの遺物と出土状況から弥生時代後期のものと考えられる。遺構はこのほか土壙墓群や弥生時代の柱穴や井戸がある。
出土
1号墓
1号墓の墳丘中央部に東西長4.6m、南北幅3.5mの墓壙が掘られ、王は内面に赤く朱を塗った割竹形木棺の中に頭位を西に向けて安置されていた。胸には青いガラス製の勾玉を身につけ、傍らからはガラス小玉が出土した。棺の内外から計40面の破砕された銅鏡、鉄素環頭大刀、耳とう、瑪瑙(めのう)管玉が出土している。出土した副葬品は一括して国宝に指定されている。1号墓は弥生時代後期(2世紀後半)に築かれたと考えられている。 ガラス製「耳とう」(現在のピアスに相当する)は古代中国の漢の時代の女性専用の装身具である。漢の貴族の女性が身に着けているが、日本での出土はこれだけである。武器類は少なく、装身具が多く出土していることから、女王の墓と考えられている。鏡・大刀・勾玉という『三種の神器』が副葬されていた。 平原王墓には総数40面の銅鏡が副葬されていた。平原王墓から出土した銅鏡のなかでも同じ型からつくられた5面の内行花文鏡は直径46.5cmに達する。わが国において最大であり、世界にも類を見ない超大型の銅鏡である。弥生時代では、ひとつの墓から出土した銅鏡の数として日本一である。大型内行花文鏡のうち1面は九州国立博物館、4面は伊都国歴史博物館に展示される。 平原王墓の西に二対、北裾に一対の鳥居状の並び柱跡が確認されている。王墓の東に直径約70cmの大柱を埋めた柱穴が検出された。葬送の儀礼に際して樹立された柱群と考えられている。対の並び柱は鳥居のような役割を果たしたと考えられている。
2号墓
2号墓に埋葬された人物は、1号墓の王の近親者である可能性が高い。1号墓の南西に築かれた東西7mほどの隅丸方形の墳墓で中央に舟形木棺の埋葬痕跡が残っている。周溝および周溝周辺で出土した土器から弥生時代終末~古墳時代初頭に築かれたものと考えられている。
3号墓
主体部は不明であるが、刀子1本、滑石製臼玉、ガラス小玉、鉄鏃、土師器が出土した。古墳時代前期と考えられている。
4号墳
3号墓の南西部に築かれた径55ほどの円墳で、中央部から土壙墓を検出した。副葬品はなかった。
5号墓
5尾号墓は、隅丸方形プランの墳丘墓で、5.6m×5.2mの規模である。墳丘裾から弥生時代後期初頭の小児を埋葬した土器棺が出土した。墓群中最古の墓である。付近に2面分の銅鏡(前漢鏡)片が採集されており、この墓に副葬されていた可能性が高い。 古い順に、5号墓 → 1号墓 → 2号墓 → 3号墓・4号墳 の順であり、2号墓までは弥生時代、3・4号墓は古墳時代に入ってからの築造と想定されている。
シルクロード経由のガラス玉
奈良文化財研究所の田村朋美主任研究員らの分析により、平原遺跡で出土したガラス玉は、ユーラシアのシルクロードの一つ「草原の道」経由でもたららされたものであることが」判明した。古代のガラス交易路の調査で訪れたモンゴルで、弥生時代と同時期に栄えた騎馬民族・匈奴の墓で出土したガラス連珠が平原遺跡のものと色や形がよく似ていることを確認し、また同じ連珠はカザフスタンの遺跡でも出土していた。カザフスタン両国の研究機関や平原遺跡の出土品を収蔵する糸島市立伊都国歴史博物館と協力し、3遺跡の連珠の成分を蛍光X線分析装置で測定すると、ナトロンという塩類を使ったソーダガラスで、アンチモン、マンガンなどの微量成分を含んでおり、同じ場所で作られた可能性が高いと判明した(参考文献2)とされる。
遺構(弥生時代から古墳時代)
- 墳丘墓3
- 古墳2
- 大柱3
- 木棺墓4
- 住居7
- 特殊建物1
- 掘立柱建物3
- 溝2
- 土坑23
- 方形周溝墓18.0×14.0m
- 割竹形木棺
- 2号墓
- 大柱1
- 立柱2
- 土壙墓3
- 土坑3
- ピット
遺物
- 銅鏡40
- 素環頭大刀1
- ガラス製勾玉3
- ガラス製珥トウ2
- メノウ製管玉12
- ガラス製管玉30以上
- ガラス製小玉482
- ガラス製連玉
- ガラス製丸玉
- 弥生土器
- 土師器
- 鉄器
- 石器
- 倭製内行花文鏡(銘文なし、完形46.5cm)3面、
- 同(銘文なし、欠損46.5cm)、
- 同(銘文なし、完形27.1cm)、
- 尚方作流雲文縁方格規矩四神十二支鏡(完形23.3cm)、
- 同(完形21.1cm)、
- 同(完形20.9cm)、
- 同(欠損20.9cm)、
- 同(欠損18.4cm)、
- 同(完形18.4cm)、
- 尚方作流雲文縁方格規矩四神鏡(完形16.1cm)、
- 同(銘帯(欠損16.1cm)、
- 同(欠損16.1cm)、
- 尚方作鋸歯文縁方格規矩四神鏡(完形16.1cm)、
- 同(完形15.9cm)、
- 同(完形15.8cm)、
- 同(完形16.6cm)、
- 尚方作鋸歯文縁方格規矩四神十二支鏡(完形18.5cm)、
- 同(完形20.5cm)、
- 同(完形18.7cm)、
- 同(完形18.5cm)、
- 同(欠損18.8cm)、
- 同(完形18.8cm)、
- 同(欠損18.8cm)、
- 同(欠損18.6cm)、
- 銘帯鋸歯文縁方格規矩四神十二支鏡(欠損18.7cm)、
- 陶氏作鋸歯文縁方格規矩四神十二支鏡(完形18.8cm)、
- 同(完形18.8cm)、
- 同(完形18.8cm)、
- 同(完形18.4cm)、
- 同(完形18.4cm)、
- 陶氏作鋸歯文縁方格規矩四神鏡(完形16.6cm)、
- 同(完形16.6cm)、
- 同(完形16.2cm)、
- 同(完形16.4cm)、
- 無銘鋸歯文縁方格規矩四神鏡(完形12.0cm)、
- キ龍文鏡(銘文なし、16.5cm)、
- ガラス製勾玉
指定
- 1982年(昭和57年)10月、国の史跡に指定。
所在地等
- 名称: 平原歴史公園
- 所在地:〒819-1132 福岡県糸島市有田1番地他
- 交通:JR筑肥線「筑前前原駅」からバス(曽根線・雷山線)乗車10分「平原古墳入口」バス停下車、徒歩約3分/平日は17時までバスはない(平日7:10,17:05,17:35,18:05)(土日祝は8:25,10:45,12:45,14:25)
展示施設
- 名称:伊都国歴史博物館
- 名称:九州国立博物館 「内行花文鏡」1面、方格規矩四神鏡
参考文献
- 前原市教育委員会(2000)『前原市文化財調査報告書70:平原遺跡』前原市教育委員会
- 「伊都国王墓ガラス玉、草原の道から」、朝日新聞, 2021年9月18日
- 福岡県教育委員会(1965)「福岡県糸島郡平原弥生古墳調査概報」
- 馬淵久夫(2016)_「漢式鏡の化学的研究5」考古学と自然科学,日本文化財科学会誌 (70), pp.29-49
上宮田台遺跡 ― 2025年03月30日 00:27
上宮田台遺跡(かみみやただいいせき)は千葉県袖ケ浦市にある縄文時代の遺跡である。
概要
関東南部の槍水川に面した下総台地上の標高約65mに位置する。縄文時代中期末から晩期中葉にかけて作られた環状集落である。住居は縄文時代後期堀ノ内1式から晩期初頭まで継続して営まれている。
調査
2002年から2004年にかけて発掘調査が行われた。竪穴住居跡、遺物包含層が見つかった。縄文時代後期前葉から晩期初頭にかけては、竪穴住居約80棟、土坑約30基、地点貝層1基が環状に配置されていた。縄文時代晩期前葉では集落の中央部分が削られて窪地状になり、その内側に竪穴住居20棟、土坑20基が作られた。立川ローム層はほぼ水平の堆積であるため、窪地は人為的な削平である可能性が高い。集落が途絶えた後、土器、土偶、土版、環状土製円板、耳飾り、ミニュチュア土器、石剣、玉類が残された。人面付土版は縄文時代晩期前葉の安行3b式のもので、目、鼻、口と顔の輪郭が隆帯で描かれる。 縄文早期では押型文土器が出土する。縄文晩期は大洞C2からA式が多量に出土した。東海系土器も出土した。縄文時代晩期中葉ではイノシシ形土製品のほか、在地の安行系及び前補系土器とあわせて、大洞系土器や東海系土器などが多数出土した。 石器は製品のほか石核が特に多い。 土偶は中央窪地を中心に多量に出土し、縄文時代晩期のものが多い。
動物痕跡
脊椎動物は後期の遺構・貝層からイノシシが主体的に出土した。晩期の遺構・包含層はニホンジカが主体となっている。焼かれた獣骨片
遺構
- 中央窪地(晩期遺物包含層)
- 集積遺構
- 竪穴住居跡
- 竪穴状遺構97
- 土坑45
- 溝状遺構2
- 貝層
- 小ピット300
- 集石1
- 溝2
遺物
- 縄文土器(早・中・後・晩期、釣手土器・異形台付土器・手燭形土器)
- 土製品(土偶・動物形土製品・土版・有孔土製円盤・耳飾り)
- 石器
- 石製品
- 石鏃
- 掻器
- 削器
- 石錘
- 石錐
- 石核
- 石剣
- 石棒
- 敲石
- 砥石
- 浮子
- 磨石
- 石斧
- 石皿
- 玉類
- 獣骨
- 敲石
- 土偶
- 動物形土製品
- 土版
- 有孔土製円盤
- 耳飾
指定
所在地等
- 名称: 上宮田台遺跡
- 所在地:千葉県袖ケ浦市上宮田字羽雄190ほか
- 交通:
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