古代の鶏 ― 2025年07月30日 00:08
古代の鶏(こだいのにわとり)は、弥生時代、古墳時代のニワトリである。
概要
鶏は縄文時代には日本にまだおらず、弥生時代になって中国大陸から伝わったものである。弥生時代の長崎県壱岐市のカラカミ遺跡と原の辻遺跡からニワトリの骨が出土している。 東南アジアのセキショクヤケイを家畜化したものとされる。セキショクヤケイはキジ目キジ科に分類される鳥類である。優れた飛翔能力をもつ。雑食性であり、地上や樹上で果実、種子、根、昆虫などを食べる。繁殖は年一回、一夫多妻で、地上の枯葉や草で営巣する。体重は成鳥で1kg弱程度である。 当時の鶏は現在より小さく、現在のチャボ程度と考えられている。 遺跡から鶏の骨が出土することは少ないため、1集落で数羽程度の飼育数と推測されている。当時は鶏卵や食肉用ではなく、時告げ鳥であったと考えられている。時計代わりに利用されてきた。時を告げる鶏として神聖視されていた。邪悪なものを退散させる力があったと考えられている。 古墳時代になると、ニワトリ形埴輪は4世紀前半から登場し、九州から東北地方まで出土例がある。
『古事記』上
古事記では天照大御神が天の石屋にこもったとき、神々は天照大御神を石屋から引き出そうと、夜明けを告げる雄鶏の声をまねて、常世の国の長鳴鳥を集めて鳴かせたという。
出土例
- 鶏形埴輪 鶏塚古墳、栃木県真岡市、古墳時代・6世紀
- 鶏形埴輪 纏向坂田遺跡、奈良県桜井市、古墳時代、4世紀
- 鶏形埴輪 赤堀茶臼山古墳、群馬県伊勢崎市、古墳時代中期
参考文献
- 西本豊弘・新見倫子(2010)『人と動物の考古学』吉川弘文館
- 山口健児(1983)『鶏』法政大学出版局
堀之内貝塚 ― 2025年07月30日 00:10
堀之内貝塚(ほりのうちかいづか)は千葉県市川市にある縄文時代の集落遺跡である。
概要
関東平野を流れる江戸川の東約2.5km水戸街道と千葉街道の中間に堀之内貝塚がある。北に長い台地の先端にある馬蹄形の貝塚で、規模は長径230m、短径120mである。 縄文時代後期初頭の堀之内式土器(Ⅰ式、Ⅱ式)の基準になる標識遺跡である。堀之内1式は縄文を施して太い線で文様を描いたものである。堀之内2式は細い線の間に縄文を施して文様を描いている。東方約400mに縄文時代中期末から後期前葉の権現原貝塚の集落跡がある。近接しているので、関連があると見られる。南側に道免き谷津遺跡が発掘され、台地直下の低地から木組遺構と大量のトチの実が発見された。堀之内貝塚のアク抜き施設とみられる。 貝塚の東側隣接地に市立市川考古博物館がある。
調査
1904年(明治37年)10月16日、東京人類学会が堀之内貝塚の発掘を行った。日本で初めて全身骨格が揃った埋葬人骨が発見された。1954年(昭和29年)に、日本人類学会創立70周年記念事業の一環として、早稲田大学・慶応大学・明治大学による発掘がおこなわれ、貝塚の測量図が作成された。竪穴建物跡6軒、人骨13体が発見されている。竪穴建物跡は少ない。貝塚を構成する貝類は、後期前半はハマグリとイボキサゴが主体を占めるが、晩期にはハマグリとオキシジミが主体となる。縄文海退の影響とみられる。縄文時代の人々はアサリ、ハマグリ、イボキサゴ、クロダイ、スズキ、イノシシ、ニホンジカなどを捕食していたと見られる。
遺構
- 馬蹄形貝塚
- 馬蹄形貝塚
遺物
- 縄文土器
- 称名寺式
- 掘之内1式
- 堀之内2式
- 加曽利B1式
- 安行2式
- 安行3a式
- 安行3c式
- 大洞B式
- 大洞C式+大洞C1式)
- ミニチュア土器
- 土偶
- 土版
- 有孔土製円盤
- 土製耳飾
- 有溝土錘
- 石鏃
- 磨製石斧
- 打製石斧
- 浮子凹石
- 磨石
- 冠状石製品
- 硬玉製大珠
- 貝輪
- 骨製針
- 牙錘
- 鹿角製ソケット
- 動物遺存体
- 貝 - ウミニナ、イボキサゴ、ハマグリ)
- 魚類
- ドチザメ
- イワシ
- ボラ
- マアジ
- スズキ
- へダイ
- クロダイ
- マフグ
- コチウシノシタ)
- ウミガメ
- 獣骨
- キジ
- イノシシ
- ニホンジカ
- アナグマ
- ニホンイヌ
- ノウサギ
- アカネズミ
- サル
指定
- 1964年(昭和39年) 国指定史跡
- 1967年(昭和42年) 追加指定
- 1972年(昭和47年) 追加指定
展示
- 市立市川考古博物館
考察
アクセス等
- 名称: 堀之内貝塚
- 所在地:千葉県市川市堀之内2丁目15番
- 交通: 北総線 北国分駅から徒歩10分(850m)/千葉県市川市堀之内2-15
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