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諏訪山遺跡 (世田谷区)2025年09月19日 00:02

諏訪山遺跡 (世田谷区)(すわやまいせき)は東京都世田谷区にある縄文時代、平安時代、中近世の複合遺跡である。

概要

荏原地域の遺跡調査を行っていた西岡秀夫による「奥沢諏訪山包含層・縄文土器片採取」により知られていた。呑川右岸の標高28mの東側の台地上に形成された遺跡である。北側は呑川の支流である九品仏川が流れる。2024年までに23回の調査が行われている。

調査

第6次発掘調査は1985年12月16日から1986年1月20日まで行われた。Ⅱb層が縄文時代の遺物包含層である。縄文時代の遺構は住居跡3軒、土坑12基、集積土坑1基、ピット1本であった。34号住居跡は平面円形で3.55m×3.60mである。壁溝はない。炉跡は石囲い埋甕炉(曽利Ⅱ式)である。覆土から土器(加曽利E1、E2式深鉢、曽利式深鉢、ミニチュア土器)が出土した。土製品は土器片錘、土製円板、耳栓が出土した。石器は石鏃、打製石斧、磨製石斧、磨石、敲石、石皿、剥片が出土した。

集落の全体像

集落形成は中期中葉の勝坂2式段階と考えられる。第12次54号住居跡、第14次66号住居跡が該当する。住居跡が構築されるのは加曽利E1式新段階である。第13次調査47号住居跡が該当する。弥生時代の遺構は確認されていないので、縄文時代以後はしばらく住居がない時期があった。その理由は縄文時代末期に寒冷化が進んだため移住したことが考えられる。

遺構

  • 住居12
  • 土坑111

遺物

  • 縄文土器(曽利式、加曽利E式、阿玉台式、勝坂式)
  • 耳栓
  • 石器(石鏃、石皿、打製石斧)
  • 土製品(土器片錘)
  • 住居
  • 集石土坑
  • 土坑
  • ピット

指定

考察

報告書(世田谷区教育委員会他(2015))に「集落形成は中期中葉の勝坂2式期である」(p.48)と書かれているが、他の個所では「住居跡が構築されるのは加曽利E1式新段階である」(p.48)と書かれている。集落形成と住居跡が作られる時期に差がある。この原因はいくつか考えられる。 第一に土器型式の出土状況や遺物の集中、ピット群(貯蔵穴・土坑)などの分布から「人々がある程度まとまって生活を始めた段階」を集落形成と判断したのではないか。竪穴住居跡が検出されなくても、集落が成立したと考えることができる。第二に勝坂2式期では、調理・祭祀・共同作業などで一時的にこの場所が使われたが、竪穴住居は少なく、集落と判断されなかった可能性がある。加曽利E1式期になって明確な竪穴住居跡が構築され、定住的な集落が多数形成されて集落と判断された可能性がある。報告書による推察なので、実態と合っているかは不明である。

展示

アクセス

  • 名称:諏訪山遺跡
  • 所在地:東京都世田谷区奥沢3-35-17
  • 交通:奥沢駅 徒歩3分(150m)

参考文献

  1. 世田谷区教育委員会他(1996)『諏訪山遺跡』世田谷区教育委員会
  2. 世田谷区教育委員会他(2015)『諏訪山遺跡Ⅶ』世田谷区教育委員会