五塚原古墳 ― 2025年09月24日 00:13
五塚原古墳(いつかはらこふん)は京都府向日市寺戸町に所在する古墳時代前期の前方後円墳である。乙訓地域における初期古墳の代表例の一つであり、古墳時代の開始期を考える上で重要な遺跡とされる。
概要
本古墳は標高約61mの段丘上に立地し、墳丘全長は約91m、後円部径は約50m台前半、後円部高さ約8m、前方部高さは約2.1mから4mを測る。墳丘は後円部3段、前方部2段の段築構造からなり、葺石が認められる一方で、埴輪は確認されていない。
前方部は、くびれ部付近が直線的にのび、前端に向かって緩やかな曲線で開く、いわゆるバチ形の平面形を呈する。この形態は、箸墓古墳との比較において、規模比で約3分の1の相似関係が指摘されており、初期前方後円墳における墳丘設計の共通性を検討する上で注目されている。ただし、この相似関係は設計思想の直接的継承を示すものと断定されるものではなく、あくまで形態比較に基づく議論である。
また、墳丘構造においては、円部と前方部の段築が連続せず、前方部の平坦面が墳頂と同じ高さまでせり上がる「斜路状平坦面」と呼ばれる特徴が認められる。このような構造は初期古墳に特有の様相とされ、確認例は限られている。
くびれ部は幅約16mと狭く、全体として前方部は細長く低平な形態を示し、初期前方後円墳に特徴的な墳丘構成をよく示している。さらに、前方部の輪郭は、奈良県桜井市の纏向古墳群に属する東田大塚古墳と近似することが指摘されており、ヤマト王権中枢との関係性を考える上でも重要な比較資料とされる。
埋葬施設は後円部中央に設けられた竪穴式石室で、川原石の自然石を積み上げて構築されている。未整形石材を用いたこのような石室構造は初期古墳に特徴的なものであり、本古墳の性格を示す要素の一つである。墳頂部からは二重口縁壺が検出されており、これらは葬送儀礼や首長権威の表象と関連する可能性が考えられている。
築造時期については3世紀中頃と推定されており、放射性炭素年代測定の結果からは、箸墓古墳と同時期である可能性が示唆されている。ただし、年代測定には誤差幅が伴うため、厳密な同時性については今後の検討が必要である。
調査は1923年に京都府史蹟勝地調査会によって初めて実施され、その後、立命館大学および向日市埋蔵文化財センターにより2000年から2018年にかけて複数回の発掘調査が行われ、墳丘構造や埋葬施設に関する知見が蓄積されている。なお、後円部北西裾の一部は後世に削平を受けている。
以上のように五塚原古墳は、墳丘形態・構造・出土遺物のいずれにおいても初期前方後円墳の特徴をよく示す事例であり、箸墓古墳をはじめとする初期古墳との比較を通じて、古墳時代の成立過程や首長権の形成を考察する上で重要な位置を占めている。
初期前方後円墳成立論 ― 五塚原古墳を中心に ―
古墳時代の開始を画する前方後円墳の成立は、日本列島における首長権の形成と政治的統合の進展を示す画期的現象である。その中でも、京都府向日市に所在する五塚原古墳は、初期前方後円墳の構造的・形態的特徴をよく示す事例として重要であり、ヤマト王権成立過程を考える上で有力な分析対象となる。
まず注目されるのは、五塚原古墳の墳丘設計である。本古墳は、奈良県桜井市の箸墓古墳との比較において、規模比で約3分の1の相似関係が指摘されている。このような比例関係は、単なる偶然的類似ではなく、一定の設計規格あるいは測量技術の共有を想定させるものであり、前方後円墳の成立が個別的発生ではなく、広域的な規格化の中で進展した可能性を示唆する。しかい、この相似関係をもって直ちに中央から地方への一方向的な技術伝播とみなすことは慎重でなければならない。地域間の相互作用の中で形成された可能性も視野に入れる必要がある。
次に、墳丘構造の特質として、段築の不連続性と「斜路状平坦面」の存在が挙げられる。五塚原古墳では、後円部と前方部の段築が連続せず、前方部の平坦面が墳頂と同水準までせり上がる構造が確認されている。このような形態は、完成された前方後円墳にみられる統一的構造とは異なり、墳丘構成がなお試行的段階にあったことを示すものと考えられる。すなわち、前方部が儀礼空間として独自の機能を担いながら、後円部の埋葬空間と結合していく過程が、この段階において進行していたと理解できる。
さらに、平面形態においては、纏向古墳群に属する東田大塚古墳との類似が指摘されている。この点は、五塚原古墳が単なる地方首長墓ではなく、ヤマト王権中枢と何らかの関係性を有する政治的ネットワークの中に位置づけられる可能性を示す。とりわけ纏向遺跡を中心とする政治拠点の形成と並行して、周辺地域においても同様の墳丘設計が共有されている事実は、初期国家形成期における象徴体系の広域的展開を物語る。
埋葬施設と遺物の点からも、初期性は明瞭である。五塚原古墳の竪穴式石室は自然石を用いた簡素な構造であり、整形石材を用いる後期的技術とは一線を画す。また、墳頂に配置された二重口縁壺は、葬送儀礼における象徴的行為を示すものであり、首長権の視覚的・儀礼的表現がこの段階ですでに成立していたことを示唆する。これらの要素は、前方後円墳が単なる墓制の変化ではなく、政治的権威の可視化装置として機能していたことを裏付ける。
年代論の観点からは、五塚原古墳は3世紀中頃に位置づけられ、放射性炭素年代測定の結果からは箸墓古墳と同時期である可能性が示されている。このことは、前方後円墳の成立が単発的な革新ではなく、一定期間にわたる複数拠点での同時的展開であったことを示唆する。すなわち、ヤマト地域を中心としつつも、周辺地域を含む広域圏において、共通の政治的・儀礼的枠組みが急速に共有されたと考えられる。
以上の検討から、初期前方後円墳の成立は、
- ①墳丘設計の規格化、
- ②墳丘構造の試行的発展、
- ③広域的政治ネットワークの形成、
- ④葬送儀礼の体系化、
という複数の要素が相互に連関する中で進展したと理解できる。五塚原古墳はこれらの要素を具体的に示す事例であり、前方後円墳の成立を「ヤマト王権による一元的創出」とみる単純なモデルではなく、「広域的相互作用の中で形成された政治的象徴体系」として捉える視点の重要性を示している。
したがって、初期前方後円墳の研究は、個別古墳の編年や構造分析にとどまらず、地域間関係や政治的象徴の共有過程を含めた総合的視野から再検討される必要があるのである。
規模
- 形状 前方後円墳
- 築成 あり
- 墳長 91m
- 後円部 径51mから55m、高8.5m
- 前方部 幅36m 長41m 高4m
調査
五塚原古墳の調査は1967年(昭和42年)に京都府教育委員会、1977年(昭和52年)に京都大学考古学研究室が墳丘測量を実施した。第一段斜面裾にめぐる基底石の外側に、低い亀の甲状に墳丘盛土がある。第一段斜面の面長は後円部側で水平距離が3.5m、高さ1.8mである。葺石は概ね長さ10cm大のチャートや砂岩を使用し、基底石は長さ20から30cmサイズの扁平な石材を縦長に列べる。前方部の墳頂付近では10cm未満と小粒な石である。後円部の第二・三段目の平坦面は盛土を掘りくぼめ礫を敷き詰めた礫敷が見られる。第二段斜面 斜面長は東端で1.5m、西側で3.0mである。前方部頂から後円部へ上昇するスロープの側面に葺石が施され、くびれ部からつづく基底石が並ぶ。結論として、前方部に段築は無い可能性が高い。墳丘上には埴輪や土器はなかった可能性が高い。発掘調査は行っていないので詳細は不明である。
遺構
遺物
築造時期
- 3世紀中頃
展示
考察
指定
- 1922年3月8日 国指定史跡
- 2016(平成28)年 国指定史跡(乙訓古墳群)
アクセス等
- 名称 :五塚原古墳
- 所在地 :京都府向日市寺戸町芝山
- 交 通 :阪急京都線「東向日」駅下車、徒歩10分
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