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津堂城山古墳2025年09月30日 00:22

津堂城山古墳(つどうしろやまこふん)は奈良県天理市にある古墳時代の前方後円墳である。

概要

後円部主体部は1912年出土した。4世紀末に古市古墳群の中で最初につくられた墳丘長208メートルの大型前方後円墳である。古市エリアで最も北部に位置する前方後円墳である。 古市エリアでは第6位の大きさである。墳丘は3段に築かれ、くびれ部の両側に造り出しが設けられる。室町時代に城に利用されたため墳丘は改変を受けている。1912年に後円部頂上で発見された埋葬施設は、竪穴式石槨に我が国最大級の長持形石棺がある。石槨の天井石は発見時にもち出されたが、現在はガイダンス施設に集められて展示されている。墳丘の周囲には二重の濠と堤が巡る。内濠に前方部の両側に島状の方形施設がある。墳丘や濠から円筒埴輪、大型の形象埴輪が出土した。石棺の発見により王墓と見なされ、、後円部のみ宮内庁指定(陵墓参考地)となった。石棺は埋め戻し、出土した副葬品は全て国が買い上げた。津堂城山古墳の内濠内に造られた、方形島状施設から水鳥の埴輪が出土した。重要文化財(美術品)となっている。土地は国有地の後円部頂の陵墓参考地、津堂八幡神社の社地、一部の民有地(2018年)を除く大部分が市有地となっている。内濠部分や墳丘は、市の保存整備事業により古墳公園として整備される。墳丘内に津堂八幡神社・津堂児童遊園が存在する。

調査

世界遺産

百舌鳥・古市古墳群は2019年7月6日にユネスコの世界文化遺産に登録された。その構成遺産の一つに津堂城山古墳は「古市エリア」中に含まれる。津堂城山古墳が評価された点は、時代の社会構造や階級、高度な葬送文化を示すものであること、埴輪や葺石で覆われた墳丘は階層社会の確立を示していることを挙げている。

規模

  • 形状 前方後円墳
  • 墳長 208m
  • 後円部径 径128m 高16.9m
  • 前方部 幅121m 長110m 高12.7m

埴輪 

  • 円筒埴輪
  • 円筒・朝顔形Ⅱ式

葺石

  • あり(墳丘・内堤・外堤)

遺構

  • 室・槨 竪穴式石槨
  • 棺 長持形石棺

遺物

  • 半三角縁二神四獣鏡 (宮内庁鏡番号72)
  • 変形神獣鏡2・
  • 変形竜虎鏡2・
  • 鏡片2
  • 横櫛(金銅金具)・
  • 車輪石(破片)・
  • 鍬形石(破片)
  • 硬玉勾玉・
  • 硬玉棗玉(ともに現品なし)・
  • 碧玉管玉
  • 臼玉・勾玉
  • 刀子
  • 刀子
  • 素環頭鉄剣・
  • 素環頭鉄刀など20口以上・
  • 鉄鏃・
  • 弓弭・
  • 矢弭・
  • 鞘口
  • 巴形銅器
  • 三角板革綴短甲破片(冑の可能性もあり)
  • 巴形銅器4以上・
  • 不明銅板・
  • 板状木製品(木棺の可能性あり)

築造時期

展示

  • 史跡城山古墳ガイダンス棟「まほらしろやま」
  • 水鳥の埴輪は藤井寺のシュラホールに展示されている

考察

指定

  • 1958年(昭和33年)1月21日 - 国指定史跡

アクセス等 

  • 名称  :津堂城山古墳
  • 所在地 :大阪府藤井寺市小山6-5-6
  • 交 通 :近鉄藤井寺駅より北へ1.6km、駅より近鉄バス小山バス停すぐ

参考文献

瓊瓊杵尊2025年09月30日 18:19

瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)は日本書紀、古事記に登場する降臨神話の神である。 日本書紀では天津彦彦火瓊瓊杵尊、天津彦国光彦火瓊瓊杵尊、天津彦根火瓊瓊杵尊と書かれる。古事記では天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇藝命、天津日子番能邇邇藝命である。

概要

天照大神の孫で、天忍穂耳尊の子である。皇孫、天孫ともいう。天照大神の命を受け、高天原から日向の高千穂の峰に真床覆衾にくるまれて地上に天下った。このとき瓊瓊杵尊は天照大神から八咫鏡・草薙剣・八坂瓊勾玉を賜った。これが三種の神器のはじまりである。瓊瓊杵尊は国津神の有力神である猿田彦神に導かれ、九州日向の高千穂の峰に降臨する。これを「天孫降臨」という。高天原から地上(葦原中国)に降り立ち、瓊瓊杵尊は稲の籾を授かり、地上に広めたという伝説は農業(水田稲作)の開始神話と言われる。 木花開耶姫(このはなさくやひめ、国津神)の美しさに一目惚れした瓊瓊杵尊は求婚したが「私は答えられない。父の大山津御神が答えるでしょう」というので、瓊瓊杵尊は大山津御神に結婚を申し出たところ、大山津御神は喜んで木花開耶姫の姉の石長媛をつけて多くの品物をつけて送り出した。しかし、石長媛は醜くかったので、瓊瓊杵尊は石長媛を帰してしまった。大山津御神は「子孫が花のように栄え、その命が岩のように永らえるようにと、姉妹そろって差し上げたのに」と嘆いた。「あなたの子孫の命は木の花のようにはかないものとなるでしょう」と予言する。木花開耶姫が一夜で子をはらんだことをあやしんで瓊瓊杵尊は「自分の子ではない」といったため、姫は怒って産屋に火を放ち、「腹の子がまことにあなたの子ならば、この火の中からでも生まれてまいりましょう」と宣言し、火照命(海幸彦)、火須勢理命,火遠理命(山幸彦)の3神を無事に産んだ。木花開耶姫は火の中でも無事に出産したので、安産の神とされる。 また「ニニギ」は稲穂がにぎにぎしく成熟することから、豊穣の神とされる。まもなく予言通り瓊瓊杵尊は亡くなる。

考察

木花開耶姫は日本神話で最も美しいとされる美しい神とされ、瓊瓊杵尊が降臨するより前から日本列島に住んでいたことになる。つまり縄文系の美人だったのであろう。梅原猛は「渡来人の王である瓊々杵尊と、土着の王の娘・木花咲耶姫との結婚」とする。瓊瓊杵尊が農業をもたらしたことは、朝鮮半島から水田稲作の技術が伝わったことを象徴的に表しているのであろう。神話によれば、大王の祖先は渡来系と在来系(縄文系)との混血だったことになりそうだ。実際にDNA分析によれば、弥生時代や古墳時代に混血が見られる。

参考文献

  1. 『日本書紀』岩波書店
  2. 梅原猛(2000)『天皇家のふるさと日向をゆく』新潮社