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五斗米道2026年01月16日 00:20

五斗米道(ごとべいどう)は中国後漢時代の順帝末から桓帝初年頃(2世紀中頃)に成立した新興宗教で、後の道教成立に大きな影響を与えた教団である。天師道とも呼ばれる。

概要

教団は現在の四川省から陝西省南部にかけての地域で広まり、創始者は張陵(ちょうりょう、または張道陵)とされる。張陵は自らを「天師」と称し、人々が天・地・水の三神に対して罪を悔い改め、正しい道を守ることで、病や災いから救われると説いた。教えを受ける際に信者が五斗の米を納めたことから、「五斗米道」と呼ばれるようになった。この米は布施であると同時に、教団共同体を維持するための重要な財源でもあった。

張陵の死後、教団は子の張衡、孫の張魯へと三代にわたり継承された。とくに張魯の時代(2世紀末から3世紀初頭)には、漢中地方を拠点として、宗教的規範にもとづく自治的な政権が形成された。215年(建安20年)、魏の曹操が漢中に進出すると、張魯はこれに降伏し、五斗米道による政治的支配は終焉を迎えたが、宗教としての教団は魏の支配下で存続を許され、その後も発展を続けた。後世、宋代から元代にかけて教団制度が整えられ、「正一道(正一教)」として再編される。

教え

五斗米道の教えは、当時のさまざまな道教的思想を取り入れつつ、信者の倫理と生活を重視する点に特徴がある。『三国志』巻八「張魯伝」や『典略』によれば、病は人の過ちによって生じると考えられ、病者は静かな部屋(静室)にこもり、自らの罪を省みて悔い改めることが求められた。教団の役職者は符を用いた祈祷を行い、符水を飲ませることで治癒を祈った。こうした儀礼の一つに「三官手書」があり、病人の姓名と懺悔文を書いた三通の文書を、天・地・水の三神にそれぞれ奉納した。

五斗米道は、後に体系化される道教に先行する段階の宗教であることから、原始道教、あるいは初期道教と位置づけられている。

考察

懺悔しただけで病気が治るという考え方は、現代の感覚では理解しにくいが、当時は病気の原因を個人の罪科や過失の結果と捉える世界観があり、懺悔は精神的ならびに社会的な回復・救済を意味していたのであろう。 五斗の米は現在では約9リットル前後の量とされるが、それをすべての人が一律に寄進できたのかは疑問であり、実際には象徴的な入信料であった可能性も考えられる。五斗米道が広まった四川・漢中地域ではすでに稲作が定着しており、米を基準とする制度が成り立ちやすかったのだろう。北方よりも米食比重が高い中国南方では「米を納める宗教」が成立する地域的な条件があったと考えられる。五斗米道は貧しい人々には住居や生活の場を提供した(住居の提供や食料の配給など)とされ、宗教であると同時に、国家の統治が弱体化した時代を背景として、社会不安に満ちた時代において意義のある救貧・互助組織(古代的な福祉制度)としても重要な役割を果たしていたように思われる。このような機能は、後漢末の国家統治の限界を補完する役割を宗教が担っていたことを示しているとも言えよう。

参考文献

  1. 都築晶子(1978)「後漢末の社会秩序形成について」『名古屋大学東洋史研究報告』
  2. 澤章敏(2007)「五斗米道研究の現状と課題」三國志研究

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