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庄・蔵本遺跡2026年02月27日 00:43

庄・蔵本遺跡(しょうくらもといせき)は、、徳島市庄町・蔵本町一帯、鮎喰川下流右岸の三角州性扇状地東縁、眉山北麓に広がる、縄文時代晩期から近代に至る複合遺跡である。とくに弥生時代前期の初期農耕集落の実像を復元できる遺跡として、西日本でも重要視されている。

1.立地と環境的特質(補足)

鮎喰川は吉野川水系最大級の支流で、下流域に氾濫原・旧河道・微高地が発達する。

遺跡は微高地(自然堤防状地形)上に居住域を置き、北側低地に水田を展開する立地選択の合理性が明確である。

洪水堆積砂層が弥生前期末~中期初頭に確認され、自然災害と集落変動の関係を検討できる点も重要である。

2.弥生前期集落の構造(修正・整理)

弥生前期前葉~中葉段階では、以下の三領域構造が確認されている。

① 居住域

  • 竪穴住居群が複数棟検出
  • 居住域を囲む二重の大溝(環濠的性格)
  • 防御・区画・排水の複合機能をもつ可能性

② 墓域

  • 方形周溝墓群(中期)
  • 居住域に近接しつつも明確に区分される

③ 生産域

  • 水田遺構(用水路・畦畔痕跡)
  • 旧河道利用の灌漑システム

2006年度西病棟地点調査で「畑作痕跡(畝状遺構)」を確認

「水田+畑作の複合農耕」が実証された点は、初期弥生社会像を考えるうえで極めて重要である。

3.出土遺物の意義

  • 弥生前期土器群
  • 中期方形周溝墓副葬品
  • 後期の中国鏡片
  • 銅鐸片

これらは、

  • 瀬戸内~畿内との交流
  • 威信財流通
  • 儀礼的要素の存在

を示唆しており、単なる農耕村ではなく、広域ネットワークに接続された拠点的集落であった可能性を示している。

4.洪水と集落変動(重要な視点)

洪水による砂層堆積は、低地水田の埋没や用水機能の断絶を招き、集落構造の再編を促した可能性がある。

5.調査史の整理

調査史は次の段階で進展した。

  • 1982年以降、30次以上の発掘調査
  • 徳島大学蔵本団地造成・再開発に伴う継続的調査
  • 2006年度西病棟地点調査で畑作遺構確認

まとめ

庄・蔵本遺跡は、徳島市庄町・蔵本町に所在する縄文晩期から近代に至る複合遺跡であり、とくに弥生時代前期の初期農耕集落の全体像を復元できる点で重要である。鮎喰川下流の自然堤防上に居住域を置き、二重の大溝で区画された集落の周囲に墓域・水田・畑作地が展開する構造が確認されている。旧河道を利用した灌漑施設や洪水堆積層の検出は、環境と農耕社会形成の関係を具体的に示す。中期の方形周溝墓群、後期の中国鏡片・銅鐸片の出土は広域交流を示唆し、吉野川下流域における弥生社会形成の中核的遺跡として位置づけられる。

吉野川流域弥生社会の形成

1.弥生文化受容の前提(前段階)

縄文晩期段階、吉野川下流域ではすでに

  • 河川沿いの定住的集落
  • 低湿地利用の知識
  • 漁撈・採集と水辺環境への適応

が蓄積されていた。

この環境適応の基盤が、弥生前期における水田農耕の導入を円滑にしたと考えられる。

2.弥生前期:初期農耕集落の成立

弥生前期前葉には、吉野川下流の自然堤防・微高地上に初期農耕集落が成立する。 その代表例が庄・蔵本遺跡(徳島市)である。

この段階の特徴は:

  • 居住域・墓域・生産域の明確な空間分化
  • 旧河道を利用した灌漑水路
  • 水田耕作と畑作の併存
  • 環濠(大溝)による区画

ここで重要な点は、単なる農耕技術の導入ではなく、「集落構造そのもの」が農耕社会型へ転換している点である。 つまり、吉野川流域では計画的農耕集落が比較的早い段階で成立したことを意味する。

3.中期:集落の拡大と階層化

弥生中期になると、

  • 方形周溝墓の増加
  • 集落規模の拡大
  • 墓制の差異化

が見られ、社会的階層化の萌芽がうかがえる。

特に方形周溝墓の分布は、

  • 家族単位
  • 小規模首長層

の存在を示唆する。

吉野川は四国山地から瀬戸内海へと通じる交通路でもあり、物資流通の幹線であった可能性が高い。

4.後期:広域交流と首長層の形成

弥生後期には、

  • 中国鏡片
  • 銅鐸片
  • 威信財の流入

が確認される。

これは吉野川流域が、

  • 瀬戸内海沿岸
  • 畿内
  • 北部九州

とつながる広域交流圏の一端に組み込まれたことを示す。

吉野川は四国山地を横断する自然回廊であり、内陸と沿岸を結ぶ交通軸として機能したと考えられる。

5.環境変動と社会再編

吉野川は氾濫を繰り返す暴れ川である。

弥生前期末~中期初頭に確認される洪水砂層は、

  • 水田の破壊
  • 集落移動
  • 土地利用の再編

を引き起こした可能性がある。

この点は、吉野川流域の弥生社会が「自然環境との相互作用の中で形成された社会」であることを示す。

6.形成過程の総合像

吉野川流域の弥生社会形成は、次の三段階で整理できる。

  • ① 受容段階(前期前葉)
    • 水稲農耕導入と計画的集落成立
  • ② 定着段階(前期後葉~中期)
    • 灌漑体系整備・墓制分化・階層萌芽
  • ③ 統合段階(後期)
    • 広域交易参加・威信財流入・首長層形成

7.歴史的意義

吉野川流域は、

  • 四国東部最大の農耕適地
  • 瀬戸内海と内陸を結ぶ交通軸
  • 初期農耕社会の実験場

という三つの要素を兼ね備えていた。 そのため、

  • 四国における弥生社会の中心形成地域

と評価できる。

遺構

  • 溝2
  • 土坑2
  • 土器溜
  • 河川1
  • 土器棺墓4

遺物

  • 弥生土器
  • 剣形木製品
  • 木製品
  • 輸入鏡片
  • 斜縁二神二獣鏡か(銘文なし、破片10.4cm、1983年発掘)
  • 弥生土器
  • 石器
  • 炭化米

展示

考察

指定

アクセス等 

  • 名称  :庄・蔵本遺跡
  • 所在地 :徳島県徳島市庄町1丁目77/蔵本町2-50-1
  • 交 通 :

参考文献

  1. 滋賀県百科事典刊行会編(1984)『滋賀県百科事典』大和書房
  2. 滋賀県史蹟名勝天然紀念物調査會編(1939)『滋賀県史蹟調査報告 第8冊 小野神社と唐臼山古墳』滋賀県県
  3. 中村豊・定森定夫(2007)「徳島・庄・蔵本遺跡」,『木簡研究』29
  4. 一山典・滝山雄一(1985)「徳島市庄遺跡出土の弥生時代木製品」『考古学ジャーナル』252