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亀甲山古墳2026年03月04日 00:03

亀甲山古墳

亀甲山古墳(かめのこやまこふん)は東京都大田区の多摩川台公園内に所在する古墳時代前期の前方後円墳である。 「亀塚」「亀塚山」「亀山」「亀ノ甲山」「西岡第46号古墳」など複数の呼称があり、「きっこうやまこふん」と読まれる場合もある。

立地と環境

本古墳は、多摩川左岸に発達した武蔵野台地南縁の細長い尾根上に築かれている。台地は多摩川による侵食作用で形成された段丘面であり、古墳は川を望む戦略的かつ象徴的な位置を占める。現在、墳丘上に樹木が生い茂り、墳丘を見ることはできない。

周辺には多数の古墳が分布し、総称して荏原台古墳群と呼ばれる。その中心的存在が亀甲山古墳であり、同古墳群(約50基確認)の中で最大規模をもつ。

規模と特徴

測量調査の成果から、本古墳は多摩川流域において最大規模の前方後円墳と評価されている。 現状では本格的な発掘調査は実施されておらず、出土遺物は確認されていない。墳丘には葺石や埴輪列も認められていないが、これが当初から存在しなかったのか、後世に失われたのかは明確ではない。 盗掘坑は確認されておらず、埋葬施設が比較的良好に残存している可能性が指摘されている。

周辺古墳との関係

亀甲山古墳の南西側、谷を隔てた位置には宝莱山古墳がある。宝莱山古墳は4世紀前半の築造と推定され、当地域で最も古い段階の前方後円墳と考えられている。

両古墳の間には複数の小規模古墳が存在し、現在は多摩川台古墳群としてまとまりをもって理解されている。亀甲山古墳は、宝莱山古墳に続く世代の首長墓とみなされることが多く、地域首長層の系譜を考える上で重要な位置を占める。

歴史的位置づけ

築造時期は4世紀前半〜中葉と推定される。宝莱山古墳に続く段階にあたり、南関東における前方後円墳の展開過程を示す資料の一つである。

東京都内では、芝丸山古墳と並び代表的な前期前方後円墳と位置づけられることが多い。ただし、詳細な内部構造や副葬品の実態については未調査のため未解明の部分が多い。

南関東前期前方後円墳の展開 —多摩川・相模川流域を中心に—

1 問題の所在

前方後円墳は3世紀後半に畿内で成立し、4世紀に入ると各地へ波及する。南関東では、4世紀前半に大型前方後円墳が出現し、地域首長層の形成と政治的再編を示す重要な指標となる。本稿では、多摩川流域を軸に、相模川・東京湾沿岸を含む南関東前期前方後円墳の展開過程を整理する。

2 出現段階:多摩川流域の先行

南関東における最初期の大型前方後円墳の一つが、東京都大田区の「宝莱山古墳」である。築造は4世紀前半と推定され、整った墳形と規模から、畿内的葬制の受容を比較的早い段階で示す事例とされる。

これに続く段階として位置づけられるのが、同じ多摩川台地上の「亀甲山古墳」である。規模は流域最大級であり、単発的出現ではなく、首長層の継続的系譜を想定させる。両古墳の間に中小規模墳が展開することから、多摩川台地一帯が4世紀前半〜中葉にかけて地域政治の中心であった可能性が高い。

この段階の特徴は以下の通りである。

  • 台地縁辺部の眺望性の高い立地
  • 単独大墳+周辺中小墳という構成
  • 葺石・埴輪の有無が事例により分かれる(未調査例も多い)

3 拡大段階:東京湾沿岸・相模川流域への波及

4世紀中葉以降、前方後円墳は東京湾岸や相模川流域へ拡大する。横浜市域では「稲荷前古墳群」などが知られており、丘陵先端部に築造される傾向がみられる。これは多摩川流域と共通する立地選択であり、交通・水運との結びつきを示唆する。

相模川流域では中規模前方後円墳が点在的に築かれ、必ずしも単一の巨大首長墓に集約されない点が特徴的である。すなわち、

  • 多摩川流域:比較的大型墳への集中
  • 相模川流域:中規模墳の分散的展開

という地域差が認められる。

4 構造的特徴と政治的含意

南関東前期古墳の構造的特徴として、

  • 畿内型墳形の比較的忠実な採用
  • 立地の象徴性(河川・海上交通の掌握)
  • 古墳群単位での首長層の系譜形成

が挙げられる。

特に多摩川流域では、宝莱山古墳 → 亀甲山古墳という継続的展開が確認され、首長権力の世代交代が墳丘規模の維持・拡大として表現された可能性がある。

一方で、埋葬施設や副葬品の詳細が未解明な例も多く、畿内政権との政治的距離や従属性の度合いについて断定することは難しい。南関東は畿内政権の直接的支配圏というより、広域ネットワークの一端を担う地域的首長連合体とみる理解が有力である。

5 後続段階への接続

5世紀に入ると、神奈川県域ではさらに大型化が進み、継続的古墳群が形成される。東京都港区の「芝丸山古墳」などは前期終末〜中期初頭に位置づけられ、東京湾岸における新たな政治拠点の成立を示唆する。

このように南関東では、

  • 4世紀前半:多摩川流域に大型墳出現
  • 4世紀中葉:東京湾岸・相模川流域へ波及
  • 4世紀後半〜5世紀初頭:湾岸部での再編

という段階的展開が想定される。

結論

南関東前期前方後円墳の展開は、単なる畿内文化の受動的伝播ではなく、河川交通・海上交易を基盤とした地域首長層の主体的形成過程と理解できる。

多摩川流域はその初期中心地であり、宝莱山古墳と亀甲山古墳の連続は、地域権力の継承構造を考えるうえで基軸となる。今後、未発掘大型墳の調査が進めば、南関東における4世紀政治構造の実像がさらに明らかになるであろう。

規模

  • 形状 前方後円墳
  • 築成 前方部:2段、後円部:3段
  • 全長 107.25m
  • 墳長 91m(復元104m)
  • 後円部 径66m 
  • 後円部高11.4m
  • 前方部幅49.5m
  • 前方部長44m 高7.4m

遺構

遺物

築造時期

  • 4世紀後半から5世紀初めの築造

指定

  • 1928年(昭和3年) 国指定史跡

展示保管

  • 多摩川台公園古墳展示室

アクセス等

  • 名称:亀甲山古墳
  • 所在地:大田区田園調布一丁目63番1号 多摩川台公園内
  • 交通:東急多摩川線 多摩川駅下車徒歩約10分

参考文献

  1. 大田区教育委員会(1992)「田園調布本町貝塚発掘調査・国史跡亀甲山古墳測量調査 昭和63年度?平成3年度発掘調査概要」

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