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箸墓古墳2026年04月19日 00:23

箸墓古墳/筆者撮影

箸墓古墳(はしはかこふん)は奈良県桜井市に所在する古墳時代前期の前方後円墳である。全長約272メートルを測り、日本列島における最古級かつ最大級の前方後円墳の一つとされる。宮内庁により倭迹迹日百襲姫命大市墓として陵墓参考地に治定されており、原則として墳丘への立ち入りは制限されている。

古墳の構造

箸墓古墳は後円部を北西、前方部を南東に向けた前方後円墳である。 主な規模は次の通りである。

  • 全長:約272メートル
  • 後円部径:約154メートル
  • 後円部高さ:約30メートル
  • 段築:後円部5段、前方部4段と推定
  • 周囲に周濠および外濠状遺構が存在

1997年(平成9年)、桜井市教育委員会による後円部周辺の調査により、幅約10メートルの周濠と、その外側に幅50メートル以上の外濠状遺構が確認された。また南側では大規模な盛土構造も確認されている。

この規模の墳丘を人力のみで築造した場合、築造には十年以上を要した可能性があると推定されている。

築造年代

箸墓古墳の築造年代については、近年の研究では3世紀中頃とする見解が有力である。 その根拠として、主に以下の資料が挙げられる。

  • 周濠出土土器の型式
  • 庄内式から布留0式にかけての土器
  • 放射性炭素年代測定
  • 周濠出土土器付着物のAMS法による分析
  • 較正年代:約西暦240?260年
  • 初期前方後円墳の形態比較
  • 前方部が「バチ形」を示す初期形態

これらの考古学的資料は、中国史書『三国志』魏志倭人伝に記される「卑弥呼の没年(247年または248年)」と年代的に近接することから、箸墓古墳を卑弥呼の墓とみなす説が有力視されている。

ただし、被葬者を特定できる決定的証拠は確認されておらず、学界では確定説には至っていない。

卑弥呼墓説

『三国志』魏志倭人伝には、卑弥呼の死後について次のように記されている。

  • 卑彌呼以死 大作冢 徑百餘歩

ここでいう「冢」は中国語で土を高く盛り上げた墓を意味する。 古代中国の1歩を約1.45メートルとすると、径100歩は約145メートルとなり、箸墓古墳の後円部径(約154メートル)と大きく矛盾しないとする指摘がある。

このため箸墓古墳は、卑弥呼の墓の有力候補としてしばしば議論の対象となる。ただし邪馬台国の所在地を九州とする立場などから、築造年代をより新しい時期とみる異説も存在する。

出土遺物

2000年、宮内庁による墳丘整備の際、倒木の根元から3000点以上の土器片・埴輪片が採取された。

主な遺物には以下がある。

  • 壺形埴輪
  • 円筒埴輪の祖形と考えられる土器
  • 特殊器台(吉備地域に特徴的な大型土器)

特殊器台は弥生時代後期に吉備地方で出現する葬送土器で、古墳時代には円筒埴輪へと発展したと考えられている。纒向遺跡でも同系統の土器片が確認されており、箸墓古墳の築造に吉備勢力が関与した可能性が指摘されている。

周濠出土の馬具

2001年度の調査では、周濠堆積土の上層から「木製輪鐙(りんあぶみ)」が出土した。

復元長は約23センチメートルで、鐙靼による摩耗痕が確認されている。年代は4世紀初頭頃と推定され、日本最古級の鐙の可能性がある。

ただし、この遺物は周濠上層から出土しており、古墳築造後に投棄されたものと考えられるため、箸墓古墳の築造年代(3世紀中頃)と直接矛盾するものではないとされている。

纒向地域との関係

箸墓古墳の周辺には、以下の初期古墳が分布する。

  • 纒向石塚古墳
  • ホケノ山古墳
  • 矢塚古墳
  • 勝山古墳
  • 東田大塚古墳

これらは一般に纒向古墳群と総称されるが、文化庁の史跡指定では箸墓古墳は同古墳群の範囲には含まれていない。

纒向遺跡は3世紀前半の巨大集落遺跡であり、邪馬台国の有力候補地の一つとされる。

被葬者

宮内庁は箸墓古墳を倭迹迹日百襲姫命墓に比定している。

倭迹迹日百襲姫命は『古事記』『日本書紀』に登場する人物で、三輪山神話と関係する巫女的存在として描かれる。しかし歴史学的には伝承的人物とみられる場合も多く、実在性については議論がある。

そのため考古学的には、箸墓古墳の被葬者は「初期ヤマト王権の首長(大王)」である可能性が高いと考えられている。

評価

箸墓古墳は

  • 日本最初期の巨大前方後円墳
  • 纒向遺跡と同時期に成立
  • 3世紀中頃の築造年代

という特徴から、古墳時代成立とヤマト王権形成を象徴する古墳として位置づけられている。

また邪馬台国論争においても、卑弥呼墓の候補としてしばしば議論される、日本考古学上きわめて重要な遺跡である。

箸墓古墳研究史(1970年代から最新研究)

箸墓古墳の研究は、20世紀前半から存在していたものの、本格的な学術的議論が展開するのは1970年代以降である。とくに纒向遺跡の発掘調査、初期古墳の編年研究、自然科学分析の導入などにより、築造年代・被葬者・ヤマト王権成立との関係をめぐる研究が大きく進展した。以下では主な研究の流れを年代順に整理する。

1 1970年代:初期前方後円墳研究の確立

1970年代には、前方後円墳の成立過程を考古学的に整理する研究が進んだ。この時期には箸墓古墳を最古級の巨大前方後円墳と位置づける見解が次第に定着した。

研究の中心となった論点は次の三点である。

  • 前方後円墳の成立年代
  • 初期古墳の形態分類
  • 大和地域の政治勢力

この時期の研究では、箸墓古墳の築造年代は3世紀末?4世紀初頭とする説が主流であった。これは当時の古墳編年が主として

  • 埴輪
  • 副葬品
  • 古墳形態

に依拠していたためである。

また、被葬者を卑弥呼とみる説は存在したが、学界では必ずしも主流ではなかった。

2 1980年代:纒向遺跡の発掘と邪馬台国論争

1980年代になると、箸墓古墳の研究は大きく進展する。最大の契機となったのが纒向遺跡の大規模発掘調査である。

纒向遺跡では

  • 大型建物群
  • 遠隔地土器の集中
  • 特殊器台
  • 大規模な都市的集落

などが確認され、3世紀の政治中心地である可能性が指摘された。

この結果、次の仮説が提示された。

  • 纒向遺跡=邪馬台国の中心地

この仮説が提示されると、箸墓古墳は次のように解釈されるようになった。

  • 邪馬台国女王卑弥呼の墓
  • ヤマト王権最初の王墓

この段階で、箸墓古墳と邪馬台国問題は密接に結びつくようになった。

3 1990年代:土器編年の精密化

1990年代には土器型式研究が大きく進み、庄内式土器から布留式土器への移行年代が精密化された。

箸墓古墳周辺から出土する土器は

  • 庄内式土器
  • 布留0式土器

であることが明確になった。

この結果、箸墓古墳の築造年代は

  • 3世紀中頃

に引き下げられるようになった。

この年代は

  • 卑弥呼没年(247年から248年)

魏志倭人伝の記述

と近接するため、卑弥呼墓説が再び注目されるようになった。

またこの時期には、三角縁神獣鏡の編年研究も進展し、古墳時代前期の年代体系が再構築された。

4 2000年代:自然科学分析の導入

2000年代に入ると、考古学研究に自然科学的分析が積極的に導入されるようになった。 箸墓古墳研究で重要となったのは次の方法である。

  • 放射性炭素年代測定(AMS法)
  • 年代較正(IntCal曲線)

周濠から出土した土器付着物を分析した結果、

  • 較正年代:西暦240-260年 という年代が得られた。

この結果は、

  • 土器編年
  • 邪馬台国年代
  • 魏志倭人伝

の三者がほぼ一致する可能性を示したため、大きな反響を呼んだ。

5 2000年代:宮内庁管理古墳の資料発見

2000年には、墳丘整備の際に倒木の根から3000点以上の遺物が採取された。

主な遺物は次の通りである。

  • 壺形埴輪
  • 円筒埴輪の祖形土器
  • 特殊器台

とくに吉備系の特殊器台の存在は重要であり、

  • 吉備勢力の関与

という仮説が提示された。

これは初期ヤマト王権が

  • 大和勢力
  • 吉備勢力
  • 出雲勢力

などの広域連合であった可能性を示す資料として注目された。

6 2010年代:ヤマト王権成立論の深化

2010年代になると、箸墓古墳は次のような視点から研究されるようになった。

①巨大古墳の政治的意味

箸墓古墳の規模は、それ以前の墳墓の約3倍である。 このため次のような見解が提唱された。

  • 箸墓古墳=列島規模の政治権力の成立を示す墓

つまり、

  • 邪馬台国連合
  • 初期ヤマト王権

の象徴的王墓とする考え方である。

②広域交流ネットワーク

纒向遺跡からは

  • 吉備
  • 山陰
  • 北陸
  • 東海
  • 関東

の土器が出土している。

このため、3世紀の大和政権はすでに

  • 列島規模の政治ネットワーク

を形成していたと考えられるようになった。

7 近年の研究動向(2020年代)

近年の研究では、箸墓古墳を次のように位置づける傾向が強い。

  • ①最初の巨大王墓

箸墓古墳は

  • 最初の大王墓

とする見解が多い。

②邪馬台国政権の王墓

一部の研究者は

  • 邪馬台国王墓

と位置づけている。

③王権成立の記念碑的古墳

別の立場では

  • ヤマト王権成立の象徴的古墳

と解釈される。

まとめ

1970年代以降の研究史は大きく次の流れで整理できる。

時期 研究の特徴

  • 1970年代 初期古墳研究の開始
  • 1980年代 纒向遺跡発掘・邪馬台国論争
  • 1990年代 土器編年の精密化
  • 2000年代 炭素年代測定導入
  • 2010年代 王権形成論
  • 2020年代 広域政治ネットワーク研究

現在の研究では、箸墓古墳は

  • 3世紀中頃の巨大古墳
  • 初期ヤマト王権の王墓
  • 邪馬台国論争の重要資料

と位置づけられている。

基本事項

  • 名称:箸墓古墳
  • 規模:墳丘長278m
  • 所在地:奈良県桜井市大字箸中
  • 交通:JR巻向駅 徒歩13分 (道路距離 948m)

参考文献

  1. 岸本直文「倭における国家形成と古墳時代開始のプロセス」国立歴史民俗博物館研究報告 No185、pp.369-403
  2. 春成秀爾他(2011)「古墳出現期の炭素14年代測定」国立歴史民俗博物館研究報告163、pp.133-176
  3. 広報「わかざくら」桜井市,平成22年7月掲載
  4. 高島敦(2008)「古墳の周濠の意義」奈良大学大学院研究年報 (13号), pp.174-178
  5. 所蔵資料詳細/宮内庁
  6. 第174回国会 質問の一覧/衆議院
  7. 「卑弥呼の墓鮮明に/最古の古墳写真/宮内庁が保存」産経Biz,2014年5月19日
  8. 「THE古墳,箸墓と卑弥呼の都を結んだ「昼食帰りの大発見」,産経Biz,2021年10月13日
  9. 国立歴史民族学博物館「IntCal20較正曲線に、日本産樹木年輪のデータが採用されました

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