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元稲荷古墳2026年08月05日 00:05

元稲荷古墳(もといなりこふん)は京都府向日市に所在する古墳時代前期初頭(3世紀後半~末頃)の前方後方墳である。史跡乙訓古墳群を構成する古墳である。

概要

元稲荷古墳は向日丘陵南端部の尾根上に位置し、墳丘主軸を南北方向にとる。古墳の規模は墳丘長約94m、後方部は長さ約50m、幅約49m、高さ約7m、前方部は長さ約43m、幅約47m、高さ約4mである。後方部は三段築成、前方部は二段築成である。前方部が外側に向かって大きく開く形態は、初期の前方後円墳・前方後方墳に共通する墳丘形態の形成過程を考えるうえで注目される。前方後方墳という墳形が地域的に展開する一方で、乙訓地域では前方後方墳や前方後円墳が大型の首長墓として採用されている。

元稲荷古墳は乙訓地域における最古段階の大型首長墓の一つであり、古墳時代初頭の畿内と周辺地域との交流や首長墓形成を考えるうえで重要な古墳である。2016年(平成28年)に「乙訓古墳群」のひとつとして国指定史跡となっている。

竪穴式石槨

竪穴式石槨は板石を合掌形に積み上げて壁体を構築し、その上に11枚の天井石を架けている。板石を内側へ持ち送る構造から、全体として家形に近い立体形状を呈する。竪穴式石槨などの埋葬施設に用いる板石は必要量が葺石ほど多くないため、石質、石の色彩や形状などを優先して、遠隔地から搬入される場合もある。元稲荷古墳の竪穴式石槨には西山産(京都府西山丘陵周辺)のチャートの板石が用いられており、葺石とは異なる石材調達のあり方を示している。

副葬品

副葬品は埋葬施設は盗掘を受けており、副葬品の多くは失われたと考えられるが、刀剣・槍・鏃などの武器類、斧・鑿・刀子・鋤・鍬先などの農工具・工具類が残されている。向日丘陵の首長墓群では五塚原古墳(前方後円墳)に次ぐ時期の築造とされる。乙訓地域全体を見下ろす位置に大型墳丘を築いたことは、首長墓としての立地選択が垣間見える。

葺石の採取場所

一般的に古墳の葺石は付近の河川から採取する例が多い。奥田尚(1999)は心合寺山古墳の葺石について、「石材の石種はペグマタイト、粗粒黒雲母花闘岩、中粒黒雲母花向岩、細粒黒雲母花闘岩、黒雲母閃緑岩、斑糖岩、片麻状中粒黒雲母花闘岩、片麻状細粒黒雲母花聞岩、鉱物種は石英である」としている。採取地として「葺石の石材は当古墳東方の楽音寺から大窪にかけての付近の山麓」から採取した礫を使用していると述べる。

元稲荷古墳の墳丘の斜面を覆う葺石には、主に拳大(10センチ未満)の卵形の礫(れき)が大量に敷き詰められている。元稲荷古墳では墳丘全体に大量の礫を用いた葺石が施されている。葺石は大量の石材を必要とするため、一般には古墳周辺の河川や山麓など、近距離で大量に確保できる場所から調達されたと考えられる。元稲荷古墳の場合、古墳の東側を流れる桂川や小畑川流域など、近隣地域から採取された礫が用いられた可能性が高い。遠隔地からの採取では重い石材を陸路や水運(船)で運ぶため、当時において強力な権力や高い土木・流通ネットワークを必要とした。

元稲荷古墳は桂川流域の水陸交通の要衝にあり、すぐ西側には小畑川が南流する。葺石に使われている「拳大の円礫」は、これらの近隣河川の川原から集められたと考えられている。しかし大型古墳では数キロから数十キロ離れた地域から採取した礫の遠隔地搬入の例も見られる。例として神戸市の五色塚古墳では、淡路島東海岸の英雲閃緑岩や斑糲岩などが大量に使用・搬入されている。これらは外観に拘って特別な葺石を使用した事例である。

元稲荷古墳ではそのような特別な外観に拘った形跡はみられず、墳丘全体に古墳近隣を流れる小畑川から採取したと想定される礫による葺石が施されている。

調査

1919年(大正8年)梅原末治の踏査により元稲荷古墳は古墳と確認された。1960年・1970年には京都大学による第一次、第二次発掘調査が行われ、その後、第三次移行は向日市教育委員会・向日市埋蔵文化財センターによる継続的な調査が行われ、第11次調査(2017年)までに、墳丘裾部や周辺の溝、埴輪・葺石の配置などが調査された。

地山を削り出して墳丘の基本形を整え、その上に盛土を施して墳丘を構築している。第10次調査で墳丘の流土内から、讃岐系大型二重口縁壺と特殊器台形埴輪の細片が確認された。

出土遺物

埋葬施設として確認されているのは、後方部中央の竪穴式石槨1基である。長さ5.6m、幅1mから1.3m、高さ1.9mである。かつて盗掘を受けたが、副葬品として武器(刀2点以上、槍2点以上、鉄鏃24点以上、銅鏃1点)、農具(方形鋤、鍬先、鎌)、工具(ヤリガンナ、有袋鑿状鉄製品、有袋鉄斧、有袋鑿、刀子)、漁労具とみられる刺突具とヤスが出土した。 副葬品には武器類だけでなく、農工具・工具類、漁撈具とみられる鉄製品も含まれ、被葬者の武力だけでなく生産・労働活動との関係をうかがわせる。

特殊器台形埴輪

前方部の墳頂中央に南北約2m、東西約4mの範囲に壺形土器をのせた特殊器台形埴輪6~7個が、壺形土器を載せた状態で配置されていたと推定される。特殊器台形埴輪は吉備地域に成立した特殊器台・特殊壺の系譜を引くもので、箸墓古墳など大和の初期大型古墳にも類例があり、初期大型古墳における葬送・祭祀の共通性を考えるうえで重要である。特殊器台形埴輪の文様は都月形であるが、都月坂1号墳などと比べると、文様が途中で途切れていること、条数がより少ないことから、省略化が進んだ時期の製作と評価されている。文様構成や条数などに省略化がみられ、特殊器台の型式変化を考えるうえでも重要である。

元稲荷古墳では人物・動物・家などの形象埴輪は確認されておらず、特殊器台形埴輪など初期段階の埴輪が中心である。また、讃岐地域に系譜をもつ大型二重口縁壺も確認されており、特殊器台形埴輪にみられる吉備との関係とあわせて、元稲荷古墳の築造をめぐる広域的な交流を考える重要な資料となっている。出土資料の一部は京都大学総合博物館および向日市文化資料館などで保管・公開されている。

前方後方墳の起源

前方後方墳の成立過程については、弥生時代の前方後方形墳丘墓・周溝墓との系譜関係を重視する説がある一方、特定の一地域から直接発生したとすることには慎重な見方もあり、複数地域における墳墓形態の展開を含めて議論されている。前方後方墳の成立地については、近江・東海・長野など複数地域の候補があり、単一の地域を起源地として確定することは難しい。前方後方墳は滋賀や東海、長野など複数の地域で同時多発的・連続的に現れたとの説がある。最古級の前方後方墳には以下が挙げられる。

  1. 神郷亀塚古墳(滋賀県東近江市) 3世紀前半から中頃の築造とされる。
  2. 弘法山古墳(長野県松本市)近年の再調査で3世紀中頃の築造の可能性も指摘される。
  3. 西上免古墳(西上免遺跡・愛知県一宮市)3世紀の前方後方形墳丘墓として最初期事例の一つ

乙訓地域における首長墓の成立

3世紀後半の乙訓地域における首長墓の成立は、ヤマト王権への臣従だけではなく、独自に各地域の有力勢力と主体的に結びつきながら、自律的な外交と政治的地位を確立していったプロセスと位置づける見解がある。京都府向日市の元稲荷古墳が持つ5つの象徴的な要素は、当時の乙訓首長が畿内中心部(大和・山城)や瀬戸内地域の諸勢力と接点があったとの指摘もある。乙訓地域における首長墓の成立とは、「畿内の最新技術」と「瀬戸内の葬送文化」を主体的に選択・融合させ、初期ヤマト王権の形成期において流通の仲介者・政治的パートナーとしての地位を想定する見解もある。

大型前方後方墳の採用

ヤマト王権の「前方後円墳」とは異なる形態により、独自の政治的立場や系譜を政治的アイデンティティとの見方がされている。東海や北陸、畿内の一部で好まれた「前方後方墳」の選択は、初期王権内における独自のネットワークの存在を示唆するとの指摘もある。

家形に近い竪穴式石槨

合掌式のように板石を傾けて傾斜を作る高度な埋葬構造は、初期の畿内中枢の有力古墳と合致している。地域を超える石材調達は地域間連携を示唆する。

吉備系特殊器台(特殊器台形埴輪)の採用

後の円筒埴輪のルーツとなる吉備(岡山県)由来の最高級の葬送儀礼を受け入れた証拠とみる説もある。

讃岐系土器の搬入

讃岐(香川県)からもたらされた土器の存在は、単なる交易を超える人的・政治的往来の可能性を裏付けるとの見解もある。

畿内初期大型古墳との共通性

墳丘の設計プランや築造技術は、大和の箸墓古墳や西殿塚古墳と酷似する指摘がなされている(日本経済新聞(2012))。中央の技術者集団を直接招聘できる、高い政治的地位をヤマト王権内で確立していた可能性を指摘する見解もある。

古墳の規模

  • 全長は約92m、後方部長50m、同北辺幅50m、同南辺幅 48m、同高さ約7m。
  • 前方部長 約42m、同高さ約4m、くびれ部 幅23m、前端幅約46m

指定

  • 2016年3月1日 国指定史跡「乙訓古墳群」史跡の統合・追加指定・名称変更

アクセス

  • 名称:元稲荷古墳
  • 所在地:京都府向日市向日町北山65−5
  • 交通: 阪急京都線「西向日」駅下車、徒歩10分

参考文献

  1. 奥田尚(1999)「心合寺山古墳の葺石の石種とその採取地」『史跡心合寺山古墳 第6次発掘調査概報』
  2. 京都府教育庁指導部(2015)『乙訓古墳群調査報告書』京都府教育委員会
  3. 公財向日市埋蔵文化財センター(2018)『元稲荷古墳』パンフレット
  4. 元稲荷古墳第8次調査 現地説明会資料
  5. 日本経済新聞(2012)「元稲荷古墳、大王墓の相似形と判明」、2012年2月15日記事
  6. 向日市教育委員会(2014)『向日市埋蔵文化財調査報告書 第101集』向日市教育委員会

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