真土大塚山古墳 ― 2026年03月15日 00:23
真土大塚山古墳(しんどおおつかやまこふん)は神奈川県平塚市真土に所在した古墳時代前期の古墳で、現在は削平により消滅している。平塚砂丘列のうち北から2列目の最高所(標高約20m)に築造され、相模湾岸平野を望む立地を占めていた。
1.消滅時期と調査経緯の整理
消滅時期は昭和30年代前半から急速に削平が進み、最終的に地形が失われたと理解される。 1935年(昭和10年)、地元住民が松根掘りの際に副葬品を発見し、銅鏃・直刀・三角縁神獣鏡・管玉などが出土した。 1936年(昭和11年)に、測量・発掘調査が実施され、三角縁神獣鏡・銅鏃などを確認した。 1960年~61年(昭和35~36年)、平塚市教育委員会による調査で、変形四獣鏡・巴形銅器・銅鏃・鉄剣・鉄刀・鉄斧・鑓鉋・玉類・土器・人骨などが出土した。
2.出土鏡の意義
出土した三角縁四神四獣鏡(径22.1cm)には24字の吉祥句銘が刻まれ、椿井大塚山古墳出土鏡と同型関係が指摘されている。これは畿内政権との政治的関係を示唆する重要資料である。 一方、変形四獣鏡はこれら三角縁神獣鏡とは型式・製作背景に差があり、時間差が認められる。つまり複数時期の埋葬施設の存在を示唆しており、単一埋葬ではなく追葬・再葬を含む可能性を補強する重要論点である。
3.墳形論争の整理
本古墳の墳形は確定しておらず、以下の諸説がある。
- 前方後円墳説(石野瑛)
- 円墳説(日野一郎)
- 前方後方墳説(双方中円墳説を含む)
東京国立博物館の本村豪章は、2度の調査記録を精査し、
- 主軸は南北方向
- 主体部は2基存在
により東国初期古墳に典型的な墳形特徴を示すとして、前方後方墳と判断している。 東海から南関東に展開する前期前方後方墳の系譜に位置づけるもので、相模地域の首長層形成を考える上で重要となる。
4.地域史的意義
三角縁神獣鏡の副葬は、畿内型政治秩序への参加を意味する可能性が高い。 砂丘上という立地は、相模川水系や沿岸交通を意識した可視性重視の立地と考えられる。
武器・農工具(鉄斧・鑓鉋)・玉類の組合せは、軍事的威信と生産統制の双方を示す副葬構成である
5.公園復元について
1996年に「真土大塚山公園」として整備されたが、墳丘そのものは復元的整形であり、実測形状を完全再現したものではない。復元場所も同じ位置ではない。
相模湾岸前期古墳の形成
1.問題設定
相模湾岸における前期古墳の成立は、畿内型前方後円墳の波及として単純に理解するのではなく、在地首長層の形成過程と外来政治秩序との接続として捉える必要がある。とくに平塚・大磯・茅ヶ崎周辺の砂丘列と相模川流域は、その初動期を考えるうえで中核地域となる。
2.成立基盤 ― 弥生後期社会からの連続
- (1) 立地の継承
- 弥生後期集落は沖積低地の微高地や砂丘縁辺に展開した。 前期古墳はそれらを**可視的に統括する高所(砂丘最高点・段丘縁辺)**に築かれる傾向がある。景観支配とは政治的可視化の開始を意味する。
- (2) 物資流通と交通軸 相模湾岸は
- 相模川水系
- 東海道ルート(古代的前段階の陸上交通)
- 東京湾岸との海上接続
を媒介する結節点であった。
三角縁神獣鏡の副葬は、畿内政権との政治的ネットワーク参加を示すが、これは流通網を掌握した在地首長層の成長が前提である。
3.墳形の特徴 ― 前方後方墳の優位
相模湾岸前期古墳では、
- 前方後円墳の成立は限定的
- 前方後方墳・円墳的要素を含む不定形墳が目立つ
これは、畿内型規格の「完全移植」ではなく、以下を示唆する。
- 在地的墓制と新規格の折衷
東国初期古墳に多い前方後方墳は、「ヤマト王権への従属象徴」より、同盟的首長層ネットワークへの参加標識と理解する方が妥当である。
4.副葬品構成の分析
相模湾岸前期古墳の副葬品は
- 三角縁神獣鏡
- 銅鏃
- 鉄刀・鉄剣
- 巴形銅器
- 玉類
という組成を示す。
これは
- 鏡 政治的威信・盟約象徴
- 武器 軍事的指導権
- 工具(鉄斧など) 生産支配
- 玉類 身分標識
から軍事・祭祀・生産の三機能を兼ね備えた首長像が想定される。
- 5.形成過程モデル
- 第1段階(3世紀後半)
- 在地有力者が弥生的墳墓から大型化。
- 小規模円墳的形態。
- 第2段階(3世紀末〜4世紀初頭)
- 畿内系鏡の流入。
- 前方後方墳的形態の採用。
- 首長層の階層化が進行。
- 第3段階(4世紀前葉)
- 主軸の明確化・複数主体部の形成。
- 地域内での首長家系の継承化。
6.地域構造の特色
相模湾岸の特徴は、
- 内陸(相模川中流域)との結合
- 東京湾岸(武蔵南部)との緩やかな接続
- 東海方面との文化交流
という多方向型ネットワーク社会である。
このため、単線的な「畿内→地方」モデルではなく、広域海浜交通圏の一拠点として理解する必要がある。
7.歴史的意義
相模湾岸前期古墳の形成は、
- 東国における最初期の首長制確立
- ヤマト王権の東方展開の前段階
- 海浜交通圏の政治統合の始動
を示す。
特に三角縁神獣鏡の副葬は、象徴的服属というより、政治的盟約の可視化装置として機能した可能性が高い。
■ まとめ
相模湾岸前期古墳の成立は、
- 弥生後期在地首長層の成長+海浜流通ネットワーク+畿内型威信財の選択的受容
によって形成された、在地主導型の古墳化現象と評価できる。
遺構
遺物
- 三角縁四神二獣鏡
- 変形四獣鏡
築造時期
- 古墳時代前期
被葬者
- 相模川流域の集団を統率していた首長の古墳
指定
展示保管
- 東京国立博物館所蔵
アクセス等
- 名称:真土大塚山古墳
- 所在地:神奈川県平塚市西真土3丁目1019-1 (真土大塚山公園)
- 交通:JR東海道線「平塚駅」北口からバス「坂口」バス停下車、徒歩7分
参考文献
- 池上悟,広瀬 和雄(2007)『季刊考古学 別冊15 武蔵と相模の古墳』雄山閣
- 日野一郎(1961)『真土大塚山古墳 平塚市文化財調査報告書 第三集』平塚市教育委員会
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