三殿台遺跡 ― 2024年08月22日 01:09
三殿台遺跡(さんとのだいいせき)は神奈川県横浜市にある縄文時代、弥生時代、古墳時代に渡る複合遺跡である。
概要
三殿台遺跡は神奈川県横浜市磯子区の標高.約55mの台地に位置する。台地の頂点は南北約100m、東西約 80mの平坦な面である。1928年(昭和3年)頃に開通した「岡村の切通し」を除けば、縄文時代から三殿台遺のある台地は変わっていないという。丘の周囲の斜面には広い範囲に貝塚が散在する。 三殿台遺跡に3棟の復元住居がある。縄文時代中期、弥生時代中期、古 墳時代後期である。 縄文時代、弥生時代、古墳時代という3つの時代の住居があり、変遷がよく分かる。弥生時代の集落は規模が大きいため、稲作初期の様子がよく分かる。
調査
1989年(明治31年)12月、現在の横浜市中区にいた医師の藤田清玐(せいはち)が、上大岡方面へ往診に行く途中に、岡村の畑の一角の崖で貝塚を発見した。土器片や骨、さらに歯牙製垂飾を採集したため、東京帝国大学人類学教室に連絡した。藤田は当時人類学教室の助手であった鳥居龍蔵とともに遺跡を訪れ、貝塚であることを確認した。、同年5月発行の『東京人類學雜誌』158 号(東京大学理学部生物学図書室蔵)に「屏風ヶ浦岡村貝塚」として報告された。これが現在の三殿台遺跡である。 1961年(昭和36年)夏、多くの研究者や中・高・大学生、市民ら延べ5,000人が参加し、遺跡全体の発掘調査が行われた。発掘は1961年(昭和36年)7月22日に開始された。調査期間は8月31日までの41日間であった。主に東京近郊の大学から集められた大学生たちである。短期間での全面発掘を実現するために、ますブルドーザーで表土をはぎ取ってから作業を開始した。大学生は岡村分校の教室に寝泊まりして発掘に従事した。こ
遺構
縄文時代
- 住居8
- 集落
- 貝塚
弥生時代
- 住居151
古墳時代
- 住居43
時期不明
- 住居51
遺物
縄文時代
- 縄文土器
- 縄や貝、竹などを使って様々の模様を付ける。
- 深鉢が多く、貯蔵や煮炊きに使われた。
- 石棒
- 石鏃
- 山岩製の大型の石棒
- 土錘
- 石製銛
弥生時代
- 銅釧1
- 青銅製指輪2
- 管玉
- ガラス製小玉
- 石包丁
- 叩石
- 磨製石斧
- 有角石斧
- 有孔磨製石斧
- 横刃石器
- 砥石片
- 二重口縁壺
- 炭化米 - 稲作の証拠
- 甕
- 弥生土器
- 縄文土器に比べて薄手で模様が簡素化される
- 貯蔵用の壺と煮炊き用の甕が代表的である。
考察
同じ遺跡から縄文時代、弥生時代、古墳時代の3時代の遺物がでているので、土器の変遷や時代の特徴などの変化を時系列的に把握できる遺跡である。稲作技術が弥生時代から古墳時代でどう変わったかが分かる可能性がある。
指定
- 1966年4月2日 国指定史跡指定、「三殿台遺跡」
展示
- 三殿台考古館
- 復元住居 縄文時代中期 加曽利E式期
- 復元住居 弥生時代中期 宮ノ台式期
- 復元住居 古墳時代後期 鬼高式期
アクセス
- 名称:三殿台遺跡
- 所在地:〒235-0021 横浜市磯子区岡村4-11-22
- 交 通:(1)市営地下鉄蒔田駅から徒歩20分/(2)市営地下鉄弘明寺駅からバス(市営バス219系(弘明寺~ 三殿台公園循環))「三殿台公園」停留所下車から徒歩3分
参考文献
- 和島誠一編(1965)『三殿台 横浜市磯子区三殿台遺跡集落址調査報告』横浜市教育委員会
- 田中 義昭(2019)『開発と考古学―市ヶ尾横穴群・三殿台遺跡・稲荷前古墳群の時代』新泉社
- 三浦定俊・川野邊渉・青木繁夫・今井康博(1990)「国指定史跡三殿台住居跡保護棟内の温湿度環境」
- 横浜市歴史博物館(2011)「大昔のムラを掘る : 三殿台遺跡発掘50年」横浜市ふるさと歴史財団埋蔵文化財センター
- 横浜市三殿台考古館(2010)「三殿台遺跡北側貝塚の調査」横浜市三殿台考古館
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