八潮市立資料館 ― 2025年02月01日 00:10
八潮市立資料館(やしおしりつしりょうかん)は埼玉県八潮市にある資料館である。
概要
文書館機能・博物館機能・文化財センター機能を持った施設である。 1985年4月に八潮市立資料館開設準備委員会条例が施行される。1986年11月、「八潮市立資料館基本構想を答申した。1989年6月、八潮市立資料館が竣工する。1989年(平成元年)11月23日に開館した。収蔵資料は約4万5,000点、管理係・市史編さん係・学芸係、職員数14(常勤5・非常勤9)の体制である。1996年3月、併設古民家「旧藤波家住宅」は市指定文化財に指定された。2017年3月、常設展示室をリニューアルする。 入館者数は、2022年度で17,369人である。
展示
- 「水辺での生活の開始―原始・古代―」では縄文時代から平安時代まで、各時期の遺跡の出土品、古代の生活復元模型などを展示する。
- 八條遺跡出土品(八潮市指定文化財)
- 土師器 坏、皿、甕
- 須恵器
- 丸鞆
- 鉈尾
- 「π」もしくはそれに類似するものが墨書された土師器
アクセス等
- 名称:八潮市立資料館
- 入館料:無料
- 開館時間:
- 休館日:月曜日(ただし月曜日が祝日・振替休日の場合は開館)
- 所在地:〒340-0831 埼玉県八潮市大字南後谷763番地50
- 交通:東武スカイツリーライン「草加駅」東口よりバス(八潮駅北口行/八潮団地行/木曽根行)で「手代橋」バス停下車、徒歩5分
参考文献
妻木晩田遺跡 ― 2025年02月01日 00:33
妻木晩田遺跡(むきばんだいせき)は、鳥取県にある弥生時代後期(1~2世紀)を中心とする大規模な集落遺跡である。国内最大級の弥生時代の集落跡である。
概要
鳥取県西伯郡大山町・淀江町の2町にある大規模な弥生時代後半期の集落遺跡である。伯著大山の西北に位置し、孝霊山を背にして平野に面した標高約90~150mの丘陵地にある。弥生時代後期後葉が最盛期であった。古墳時代前期後半には集落規模は急激に縮小した。
調査
平成7年から平成10年にかけて、最初の発掘調査が実施された。弥生時代中期~古墳時代前期にかけての遺物がみつかり、竪穴住居跡400棟以上、掘立柱建物跡500棟以上。そして、墳丘墓は30基以上を検出した。
遺構
集落遺跡は丘陵尾根上の複数箇所に分散し、洞ノ原地区,妻木山地区,妻木新山地区,仙谷地区,松尾頭地区,松尾城地区,小真石清水地区に大別される。発掘調査の結果,竪穴住居、掘立柱建物502棟,合計900基あまりが確かめられた。竪穴住居は全部で約700。弥生時代後期後では、堤を取り囲む周堤溝、竪穴部床面の中央ピットから屋外に向けて付設された排水溝を伴う。
遺物
- 銅鏡片2点。共に内行花文鏡である。
- 勾玉、
- ガラス小玉
- ヤリガンナ、
- 斧、
- 鏃、
- 鎌、
- 鍬などの鉄製品 ・・・400点出土
- 土器
- 石器(調理具・農工具・狩猟具・武器)
史跡
- 史跡名勝天然記念物
- 指定 - 1999年12月22日(平成11.12.22)
- 追加指定 - 2008年3月28日(平成20.03.28)
見学
見学はむきばんだ史跡公園で、「弥生の館むきばんだ」が作られている。
アクセス等
- 名称:妻木晩田遺跡
- 所在地:鳥取県西伯郡大山町妻木1115-4
- 交通: JR米子駅より車25分
- 入園無料
- 開園時間:午前9時~午後5時(入園は午後4時30分まで)
- 休園日:第4月曜日(その日が祝日の場合は翌日が休園日となります)、年末年始(12月29日~1月3日)
参考文献
- 鳥取県教育委員会(2003)「史跡妻木晩田遺跡第4次発掘調査報告書」
八幡山古墳(行田市) ― 2025年02月02日 00:06
八幡山古墳(行田市)(はちまんやまこふん)は埼玉県行田市にある円墳である。 日本百名墳に選出されている。
概要
若小玉古墳群の中心となる古墳時代末期の古墳である。 大型の石室が露出しており。、考古学者の大場磐雄が「関東の石舞台」と言ったことでしられる。 石室から最高級の棺である漆塗木棺が見つかっており、葬られた人物の権力の大きさを忍ばせる。石室内は土曜日・日曜日・祝日の10時から16時まで公開される。石室に八幡社の石祠が置かれている。かっては9.5m程の高さの墳丘盛土があり、石室は墳丘の中に築かれていた。江戸時代後期の『新編武蔵國風土記稿』、『増補忍名所図会』等に八幡山古墳が記される。「聖徳太子伝暦」に登場する武蔵国造の物部連兄磨の墓とする説がある。
墳丘の破壊
1934年(昭和9年)11月に八幡山古墳の小針沼(現行田浄水場)の干拓事業が始まり、三方塚古墳、愛宕山古墳等当時残っていた若小玉古墳群の多くの古墳が崩され、その土が沼の埋め立てに使われた。八幡山古墳も崩され、翌年1月までに墳丘盛土の大半が取り去られ、巨大な石室が現れた。
調査
墳丘の破壊に気付いた太田村村長は埼玉懸史編纂掛に調査を依頼し、同年5月に発掘調査が行わた。昭和19年3月31日付で、石室部分が「八幡山古墳石室」として埼玉県指定史跡に指定され、保存された。昭和54年から昭和56年に復元整備された。副葬品として昭和10年に須恵器長頸壺、銅鋺、青銅製八花形棺金具、直刀、乾漆器が出土した。さらに昭和52~54年の復元工事の際に、中室から夾紵棺片、銅鋲、鉄釘、銀製弓弭金物、鉄鏃、銅漆装方頭把頭、金銅装鞘尻金具が出土した。須恵器長頬壷は7世紀中頃に現在の静岡県湖西市にあった湖西窯で作られたものである。布を漆で貼り重ねて棺とする夾紵棺は、大阪の阿武山古墳や奈良の牽牛子塚古墳など、地位がかなり高い人物の墓と考えられている古墳でのみ確認されている棺であり、東国での発見例は当古墳のみである。
規模
- 形状 円墳
- 規模 径66m、高9.5m
遺構
- 室・槨 横穴式石室。構造は羨道・前室・中室・奥室、全長16.7メートル、奥室の高さ3.1メートルである。
- 奥室・中室・前室・羨道からなる。奥室の平面型は胴張り。
- 棺 乾漆棺片が出土
遺物
- 耳飾類
- 直刀 鉄刀片
- 鉄鏃
- 須恵器壺
- 乾漆
- 青銅製八花形棺金具
- 銅鋺
- 須恵器長頸壺
- 金銅装鞘尻金具
- 銀製弓弭金
- 鉄鏃
- 銅漆装方頭把頭
- 夾紵棺片
築造時期
- 7世紀中葉~後半
被葬者
- 伝・物部連兄麿
展示
- 埼玉県立さきたま史跡の博物館
指定
- 昭和19年3月31日 埼玉県指定史跡
アクセス等
- 名称:八幡山古墳
- 所在地:〒361-0016 埼玉県行田市藤原町1-27-2
- 交通:JR高崎線行田駅 市内循環バス 15分 南大通コース(工業団地由行き)藤原町下車 藤原町 徒歩 5分
参考文献
古墳公園はにわ資料館 ― 2025年02月03日 00:16
古墳公園はにわ資料館(こふんこうえんはにわしりょうかん)は蛭子山古墳群、作山古墳群から出土した埴輪や副葬品の石釧などを保管、展示する資料館である。
概要
1992年(平成4年)、与謝野町立古墳公園内に開館した。網野銚子山古墳(京丹後市網野町)・神明山古墳(京丹後市丹後町)と合わせて「日本海三大古墳」といわれる。勾玉作りの体験(有料)もできる。2つの古墳群から発掘された埴輪に加えて、勾玉、鉄器、銅鏡、弥生時代の遺跡である温江遺跡から出土した人面付き土器や、同じく弥生時代の蔵ヶ崎遺跡出土の水田の区画するための矢板なども展示する。
展示
- ガラス釧
- 短甲形埴輪
- 朝顔形埴輪
- 丹後型円筒埴輪
- 合子形埴輪
- 合子形埴輪
- 水鳥形埴輪
- 鉄製の馬具
- 動物形土製模造品
- 翡翠の頸飾り玉
- 壺形土器
- 鉄剣、
- 鉄斧、
- 鉄小刀
- 舟型の石棺
- 勾玉、
- 鉄器、
- 銅鏡
- 人面付き土器
アクセス等
- 名称:古墳公園はにわ資料館
- 入館料:大人300円
- 開館時間:9:00~17:00
- 休館日:3~11月は月曜(祝日の場合は翌日)・12~2月は月・火曜
- 所在地:〒629-2411 京都府与謝郡与謝野町明石2341
- 交通:丹鉄与謝野駅からタクシーで15分
参考文献
墓・ムラ・縄文人 ― 2025年02月04日 00:12
墓・ムラ・縄文人(はかむらじょうもんじん)は2025年2月1日に行われた古代史の講演会テーマである。
概要
- タイトル 「墓・ムラ・縄文人ー縄文後期前葉の集落様相ー」
- 会場 県民共済みらいホール
- 主催 公益財団法人かながわ考古学財団
- 共催1 公益財団法人東京都教育支援機構 東京都埋蔵文化財センター
- 共催2 公益財団法人埼玉県埋蔵文化財事業団
- 日時 2025年(令和7年)2月1日(土) 10:00~16:00(受付開始9:30)
要旨
開催趣旨
- 阿部友寿氏(かながわ考古学財団)
- 今回は縄文時代後期前葉の500年間を取り上げる。土器形式では堀之内1式期、堀之内2式期加曽利B1式期である。堀之内期では地域差があったが、加曽利B1式期では均一化する。この時代は縄文時代の転換期である。特徴は①配石遺構のある墓域を伴う住居の登場、②環状集落を伴う大規模集落が登場する。1万5千年の縄文時代の中の500年間の地域性や社会変化から縄文時代を読み解く。
神奈川県の様相
- 岩佑也氏 (かながわ考古学財団)
- 上粕谷・秋山遺跡では標高の高い位置に床に石を敷いた敷石住居からなる居住群と、その前面(入口の先)の5mほど南に配石遺構群が展開する。出土した遺物から堀之内2式期から加曽利B1式期に当たる。配石遺構群は10m四方の規模である。立石の数は約45基である。配石遺構の北側5mに縄文時代の住居がある。稲荷木遺跡は水無川の左岸段丘から台地尾根部に営まれた縄文時代中期から後期の大規模な集落で、標高240mから270mのところにある。居住域周辺に盛土がされている。居中期住居跡は「環状集落」と呼ばれるもので、特に中期後葉は多数の住居が重複関係を有しながら円を描くよう分布し、高い所に居住域があり、低いところに墓域があり、居住域と墓域が区分されている。前期末葉の住居跡は1基発見され、続いて中期初頭から後期末まで住居跡が連綿と発見され、合計で300基以上が発見されている。縄文後期末葉まで継続したが、晩期の集落は発見されていない。気候の変化により、大規模集落を維持する食料資源を安定的に確保することが困難になったことによる考えられている。
東京都の様相
- 山崎太郎氏 (東京都埋蔵文化財センター)
- 多摩ニュータウンNo194遺跡、No245遺跡は多摩丘陵の境川にメンする遺跡である。No194遺跡は尾根上にあり、縄文時代後期前葉から中葉の竪穴住居跡13軒が環状に配置されている。堀之内2式期から加曽利B1式期に相当する。No245遺跡は期中葉から後期前葉の竪穴住居跡67軒が発見された。ムラの中に土坑が作られ、そこに墓域が認められる。No245遺跡に隣接する田直遺跡では後期中葉から晩期にかけて環状積石遺構が形成される。青梅市の寺改戸遺跡では縄文時代後期の土壙から注口土器(国指定重要文化財)と小型深鉢形土器(同前)が出土した。これらのムラでは縄文時代中期末から後期初頭にかけてムラの形成は低調となり、後期前葉に復調傾向が見られるが、その後は低地に進出した。
埼玉県の様相
- 加藤隆則氏 埼玉県埋蔵文化財調査事業団
- 墓と認定する条件は、①人骨があること、②特別な施設があること、③副葬品があることである。縄文中期には環状集落が見られるが、中期末葉にはムラの規模の縮小や住居数の激減が見られる。埼玉県の縄文時代後期前葉は後期晩期集落への過渡期にある。
群馬県の様相
- 大工原豊氏 (國學院大學栃木短期大学 准教授) 「核家屋」集落は群馬、神奈川、長野、山梨の地域に限られており。出現期は堀之内1式3段階である。「核家屋」は平野部にはほとんど存在しない。「核家屋」に「立石囲繞配石」と「丸石囲繞配石」があり、それらは祭祀や儀礼を行う場とされる。横壁中村遺跡(群馬県渋川市)では縄文時代中期の装飾品として翡翠製大珠が出土し、6群の核家屋群が存在する。一方、核家屋を伴わない一般住居も存在し、核家屋集落の周辺に衛星的な配置となる。核家屋はシャーマンの住処であり、集落の長である。縄文時代に階層的な社会が形成されていたとみられる。石川原遺跡(群馬県吾妻郡長野原町)は吾妻川右岸の下位段丘面に位置し、1783年の浅間山大噴火により発生した天明泥流に覆われた。石川原遺跡では「核家屋」の廃絶後も晩期中期まで継続して墓域となった。「遺構更新」の事例である。数百年に渡り、神聖な場所として記憶され、意識されていたと考えられる。横壁中村遺跡と石川原遺跡は近接しているが、構造は大きく異なる。個別集落ごとに独自性が見られるのは、群馬県の特徴である。
参考文献
- かながわ考古学財団(2025)「墓・ムラ・縄文人」講演資料
- 渡辺仁(1990)『縄文式階層化社会』六興出版
- 大工原豊(2017)「関東地方北部における配石墓の出現と展開」『考古学ジャーナル』702
敷石住居 ― 2025年02月05日 00:24
敷石住居(しきいしじゅうきょ)は、平たい石を床に敷き詰めた縄文時代の住居である。 「柄鏡形敷石住居」ともいう。
概要
関東地方と中部地方(東京、神奈川、静岡、山梨、長野、群馬)を中心として、縄文時代中期終末期に出現し、後期中葉期に廃絶する。敷石をもたない柄鏡形構造をもつ例も存在する。 特徴は(1)床に石を敷くこと、(2)住居に付属して突出する出入口施設(「張出部」と呼ぶ)をもつことである。敷石は拳大から一抱えもある石である。住居の平面形態は柄の付いた鏡や鍵穴のような形であり、住居の出入口となる。囲炉裏を中心に平板石をきれいに敷き詰める事例がある。
累積寄与率
「柄鏡形敷石住居」は1924年(大正13年)10月、東京府南多摩郡南村(現・東京都町田)高ヶ坂字坂下の地の牢場遺跡で初めて発見された。川島義一(2023)による多重対応分析(カテゴリカル変数に対する主成分分析)では第一主成分であるDim1と第二主成分であるDim2の寄与率の合計値(累積寄与率)は26.7%と非常に低い結果となっている。川島義一(2023)は「柄鏡形敷石住居」は加曾利EⅢ(新)式期に突然出現したものではなく、それまでの多様な遺構属性の組み合わせを引き継ぎ、そこに張出部を設け、敷石・周礫を施したものと考えるべきであると指摘した。 従来の柄鏡形住居址の分類とは異なっており、川島義一(2023)は累積寄与率を用いて新たな視点を提供した。
事例
- 牢場遺跡 町田市、縄文時代後期
- 中山敷石住居跡 群馬県吾妻郡高山、縄文時代の中期後半から後期前
- 柴原A遺跡 福島県三春町柴原字柴原、縄文時代の中期から後期
参考文献
- 山本暉久(2017)「柄鏡形(敷石)住居址研究の五〇年」昭和女子大学文化史研究 20号, pp.1-3
- 川島義一(2023)「鏡形住居の出現期の再検討:地域の遺跡群研究の視点から」國學院大學大学院紀要 48,pp.193-210
古代鏡展示館 ― 2025年02月06日 00:25
古代鏡展示館(こだいきょうてんじかん)は兵庫県にある古代鏡を中心とした中国古代の青銅器等を収蔵し公開する博物館である。
概要
加西市在住の美術品蒐集家である千石唯司所有のコレクションを元にして、2017年(平成29年)4月に兵庫県立フラワーセンター内に開館した。2021年(令和3年)に増築し、新展示室がオープンした。その後、寄贈を受けたことや展示面積・点数が倍増したことにより、展示品は従来の古代鏡に加え青銅器まで拡充された。中国唐時代の「螺鈿双鸚鵡紋八花鏡」はヤコウガイと琥珀を用いて花にあそぶ鸚鵡を表す。三国時代の「象嵌八鳳鉄鏡」は珍しい鉄製の鏡である。「緑松石象嵌鋸歯縁」は3700年前の中国最古の鏡面を展示する。
- 第一展示 鏡の歴史的な流れを紹介、「青銅の時代」
- 第二展示 テーマ展示「唐王朝の華」
収蔵品
300面以上の古代中国鏡を保管し、そのうち約100面を常時展示する。
円鏡
二里頭(夏)以後
- 星形紋鏡 - 商 紀元前13世紀
- 素紋凹面鏡 - 西周 紀元前10~9世紀
- 緑松石象嵌鋸歯縁鏡 - 二里頭(夏) 紀元前17~16世紀
春秋・戦国
- 狩猟紋鏡 ? 先秦 紀元前8~3世紀
- 渦紋鏡 - 先秦 紀元前8~3世紀
- ガラス象嵌鏡 - 先秦 紀元前8~3世紀
- 多紐粗紋鏡 - 春秋併行 紀元前8~7世紀
- 羽状紋鏡 - 戦国 紀元前4世紀
- 四葉紋鏡 - 戦国 紀元前4世紀
- 漆彩龍紋鏡 - 戦国 紀元前3世紀 漆を塗る鏡
秦・前漢
- 雲雷地紋鏡 ? 前漢 紀元前2世紀
- 五獣紋鏡 - 秦・前漢 紀元前3~2世紀
- 狩猟紋鏡 - 秦 紀元前3世紀
後漢
- 重列式神獣鏡 - 後漢 2世紀
- 画像鏡 - 後漢 2世紀
- 環状乳神獣鏡 ? 後漢 2世紀
- 内行花紋鏡 - 新(王莽) 1世紀
三国
- 鉄鏡 - 後漢-三国 2~3世紀
- 八鳳鏡 - 三国 3世紀
- 貼金ガラス象嵌鳳紋鏡 - 南北朝-隋 6~7世紀
隋・唐
- 六神像鏡 - 南北朝-隋 6世紀
- 十二支紋鏡 - 隋-唐 6~7世紀
- 瑞鳥瑞獣紋鏡 - 隋-唐 6~7世紀
- 四神十二支紋鏡 - 隋 6~7世紀
- 瑞花対獣紋鏡 - 隋-唐 6~7世紀
方鏡
- 四山字紋方鏡 - 戦国 紀元前3世紀
- 四鳥紋透彫方鏡 - 戦国 紀元前4世紀
稜花形
- 貼銀鍍金双獣双鳳紋八稜鏡 - 唐 8世紀
葵花形
- 貼銀鍍金双鳳走獣紋八花鏡 - 唐 8世紀
鋸歯縁
- 緑松石象嵌鋸歯縁鏡 - 二里頭(夏) 紀元前17~16世紀
八角形
- 貼銀双鳥双獣唐草紋八角鏡- 唐 8世紀
連弧形
- 貼銀双獣双鳳紋八弧鏡 - 唐 8世紀
花弁形
- 金銀平脱瑞花紋鏡 - 唐以後 8世紀~
施設概要
- 名称:古代鏡展示館(兵庫県立考古博物館加西分館)
- 場所: 兵庫県加西市豊倉町飯森1282-1(兵庫県立フラワーセンター内)
- 入館料:一般 100円+フラワーセンターの入園料500円
- 定休日: 水曜日(祝日の場合は翌平日)・年末年始(12/28~1/1)
- 開館時間:午前9時~午後5時まで(入館は午後4時30分まで)
- 交通:JR大阪駅からハイウェイバス、アスティアかさい下車、平日は加西市コミュニティバス270円(平日)10分、休日はタクシー15分。フラワーセンター正門前まで。
最近のコメント