井出丸山遺跡 ― 2025年05月10日 00:44
井出丸山遺跡(いでまるやまいせき)は、静岡県沼津市にある旧石器時代の遺跡である。
概要
井出丸山遺跡は約10万年前に活動を終えた成層火山である標高1504.2mの愛鷹山(静岡県沼津市、富士市)丘陵裾部の標高51mに位置する。愛鷹山では最も古い遺跡である。旧石器時代の人々は黒曜石製石器などを用いて生活していた。初期には局部磨製石斧や台形様石器を使用する時期があったが、その後はナイフ形石器、尖頭器、細石器の順序で石器が出土しているため、人々は生活に合わせて道具を変化させた。ナイフ形石器などの剥片石器きの主要石材となる黒曜石は、伊豆・箱根周辺産を用いているが、信州系黒曜石を多用する時期もある。このように遠方から素材を入手して石器を製作していた。愛鷹山麓とその東側の箱根山麓では、31,000 年前頃に、山麓の尾根上に穴を列状に掘る陥し穴が作られた。陥し穴は、径が1.3 m前後で深さは1.4 m前後であり、これまでに愛鷹山周辺から143 基程度が確認されている。名称は遺跡の西側の井出丸山古墳と関連しているとみられたことから名付けられた。 放射性炭素年代測定結果は32,720 土190BPから33,230 ±190BPであった。旧石器時代として矛盾はない。
発掘調査
2002年(平成17年)から2003年(平成18 年)にかけての静岡県・愛鷹山麓の発掘調査で、約3 万7000年前の地層から石器が出土した。古富士山の火山灰を3mほど掘り下げると、約37000年前の地層から黒曜石製の石器が出土した。火山灰により時代区分が明確である。 その他の石材は在地石材である富士川ホルンフェルスが大半を占める。
黒曜石
井出丸山遺跡からは伊豆諸島・神津島産と信州中部の和田、霧ケ峰産の黒曜石が出土する。出土した黒曜石は37 点であった。ナイフ形石器の黒曜石は蛍光X線分析により神津島恩馳島産と判明している。第W文化層の黒曜石は蛍光エックス線分析による産地同定の結果では、信州系の諏訪星ヶ台産が大半であった。信州系の中でも特に良質な諏訪星ヶ台産の黒曜石を使用している。黒曜石特徴は、化学組成の違いにより産地が判別できることである。研究者は蛍光エックス線法や中性子放射化分析法を使って産地を特定し、旧石器時代の人々が海上を含む広大なエリアから黒曜石を採取したことを証明した。 黒曜石は25 点について原産地が判明し、神津島産が22 点、信州系が3点であった。器種は台形様石器、ドリル、石核、剥片、横長剥片、砕片である。 明治大学黒耀石研究センターの池谷信之特任教授は「品質では本州の黒曜石では和田産と霧ケ峰産が特Aクラスである。割れやすくて刃先もシャープ。透明度も高い。次のAクラスが神津島産と、麦草峠などの北八ケ岳産である」と説明する。動物の狩猟や獲物の解体に良質な黒曜石は不可欠であった。
遺構
- 陥し穴
- 石器集中
- 礫群
- 石器ブロック
遺物
- 局部磨製石斧
- 台形様石器
- ナイフ形石器
- 尖頭器
- 細石器
- 削器
- 石錐
- 細部調整のある剥片
- 石核
- 剥片
- 砕片
- 礫
- 炭化物
- 抉入石器
- 楔形石器
- 細石刃核
- 石刃
- 台形様石器
- スクレイパー
- ドリル
- 楔形石器、
- 決入石器、
- 片面加工の尖頭器
時期
- 旧石器時代
展示
考察
井出丸山遺跡からは100km 以上も離れた神津島で採取された黒曜石が出土している。神津島と伊豆半島とは当時でも地続きではなかった。約3 万7 千年前に、旧石器時代人が海を渡るための航海技術を持っていたことを示す証拠である。黒曜石という材料へのこだわりと知識があったと思われる。丸木舟で100kmも渡るのは命の危険もあったと思われる。旧石器人はチャレンジ精神が旺盛だったのであろうか。
アクセス
- 名称:井出丸山遺跡
- 所在地:静岡県沼津市井出
- 交 通:
参考文献
- 沼津市文化財センター通信、Vol.2、2020年3月、沼津市文化財センター
- 相川壌(2020)「後期旧石器時代前半期における神津島産黒曜石の利用とその広がり」東京大学考古学研究室研究紀要 33.pp.1-22
- 沼津市教育委員会(2011)「井出丸山遺跡発掘調査報告書」沼津市文化財調査報告書第100集
神宮寺山古墳 ― 2025年05月10日 00:47
神宮寺山古墳(じんぐうじやまこふん)は岡山県岡山市にある古墳時代の前方後円墳である。
概要
岡山平野の沖積平野の中で自然堤防を利用して作られた。墳丘の前方部は盛土の2段築成、後円部は3段築成である。後円部は前方部に対して比高差が3.5mある。平地に土を盛って作った全長150mの前方後円墳である。後円部に「天計神社(あまはかりじんじゃ)」が鎮座する。建物の基礎の下に竪穴式石室の天井石がみえる。前方部は約半分が墓地となり、前方部は大きく破壊されている。前方部をほぼ西に向け、全長約150m、後円部径約70m、同高約13m、前方部長約75m、前方部高7mを測る。 前方部から、昔、刀、甲冑、槍、家型埴輪などの断片が出土したとされる。被葬者は平地に古墳を作るために、人手を使うことが出来るた権力者であり、かなり広範囲に渡って力を振るった豪族と見られる。
調査
1961年、竪穴式石室に接続する小石室が盗掘され、多くの副葬品が失われた。盗掘を契機に調査され副室から多量の鉄製の農耕具が出土した。副室の床面は砂利敷きである。現在天計神社拝殿の下になっている部分にもう1基の主体部の存在が想定されている。前方部からも「古刀、甲胃及槍鉾」の破片が出土したといい、前方部にも主体部があることが予想される。春成秀爾は神宮寺山古墳採集の埴輪の①タテ刷毛後の横刷毛を施したものも微量が含まれるが、内外面共にタテ刷毛がほとんどであること。②透かし孔は長方形であること。③タガの突出度が大きい。④丹(赤色顔料)を塗ったものが非常に多い、などの特徴から、川西編年のI期に属すものとし、4世紀中頃の時期とした。
規模
- 形状 前方後円墳
- 築成 前方部:2段、後円部:3段
- 墳長 150m
- 後円部径 径70m 高13m
- 前方部 長75m 高7m
- 外表施設 円筒埴輪 円筒Ⅱ式
- 葺石 あり
主体部
- 室・槨 ①竪穴式石槨
遺物
- 鉄刀
- 両端折曲鎌20以上 - 小石室(副室)(後円部)
- 直刃鎌20以上
- 鉈状鎌形5以上
- 手鎌形25以上
- 鋸1 - 小石室(副室)(後円部)
- 袋状鉄斧1
- 手斧13以上
- 鑿5以上
- 錐3以上
築造時期
- 前Ⅱ期前半(4世紀後半)
被葬者
指定
- 昭和34年5月13日 国指定史跡
考察
アクセス等
- 名称:神宮寺山古墳
- 所在地:〒700-0804 岡山県岡山市北区中井町1丁目
- 交通:JR法界院駅から徒歩約10分
参考文献
- 岡山市教育委員会(2007)「神宮寺山古墳」
- 近藤義郎(1987)「岡山県の考古学」岩波書店
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