小易・中川原遺跡 ― 2025年08月15日 00:23
小易・中川原遺跡(こやすなかがわらいせき)は、神奈川県伊勢原市にある縄文時代の遺跡である。
概要
新東名高速道路建設事業に先立ち、平成24 年9 月から発掘調査を実施し、現在も調査継続中である。標高108mから130 mの丹沢山地南東山麓から鈴川の右岸段丘面に立地する。縄文時代面では、谷地形へ落ち込む北側斜面で溝状遺構や陥穴状土坑などが発見されている。また墓域・祭祀域と想定される土坑墓群・配石墓群・配石遺構群が多く発見されている。
調査
2015年(平成27年度)調査で異形台付土器が見つかる。横倒しの状態で発見された。縄文時代後期中 葉の加曽利 B2~B3 式の土器型式と見られる。 2020年(令和2年度)調査で台地部分に縄文時代中期中葉~後葉および後期前葉~中葉の集落が発見されている。縄文中期の住居は、石囲炉と周溝を持つタイプで、住居主体部の直径は約3mから5 mと小規模な住居が多い。縄文後期の住居は、石囲炉の周囲および張出部にのみ敷石が配置されるタイプであった。 2021年(令和3年度調査)では敷石住居跡が2軒見つかったほか、線刻を持つ岩版が出土した。岩板の下半部は欠損する。 2022年(令和4年度)調査では過年度調査(平成29年度から令和元年度にかけて調査した古墳(7世紀後半))で発見されていた古墳の隣接地を調査し、古墳墳丘および周溝の続きを確認した。 また台地を南東に下る斜面の上部は居住域であり、敷石住居は3軒みつかっている。出入口は斜面下側の配石遺構に向かう。配石墓群は3群あり、合計1750の礫が検出された。ほかに高さ9.6cmの双口土器や高さ11.8cmの土偶が見つかっている。双口土器の表面に敷物の圧痕(痕跡)が確認できる。土偶は頭部と胴部が残る。
萪内型石刀
J1号配石遺構から石刀が出土した。東北地方北部の萪内型石刀と考えられている。石材は岩手県北上山地の粘板岩と推測されている。神奈川県内では初出土である(東京新聞、2023年9月22日)。出土した石刀は長さ31・8センチで、幅は最大2・5センチ、厚さは最大1・6センチである。柄に浅い溝があり柄と柄頭の間に線刻がある。表面は滑らかで、同様の石刀は山梨県、長野県、新潟県などでも出土する。
遺構
- 石敷溝状遺構
- 配石墓
- 土坑墓
- 敷石住居跡
- 陥穴状土坑
遺物
- 線刻を持つ岩版
指定
- なし
展示
考察
敷石住居から出土した土器の底面に敷物跡が観察されたことから(考古学財団発掘帳No39)、敷石住居でゴザ等を敷いていたことは間違いない。
アクセス
- 名称:小易・中川原遺跡
- 所在地: 神奈川県伊勢原市上粕屋字秋山
- 交 通:
参考文献
- 『縄文後期の「石刀」出土 東北産か』東京新聞、2023年9月22日
- 令和元年度「小易・中川原遺跡現場見学会」資料
- 令和2年度「神奈川県発掘調査成果発表会」資料
- 令和7年度「発掘された関東の遺跡2025」資料
- 考古学財団『発掘帳No39』、2023年第1号
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