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朝鮮系無文土器2025年08月04日 00:05

朝鮮系無文土器(ちょうせんけいむもんどき)は朝鮮の青銅器から鉄器時代初期にかけての土器である。

概要

土器の口縁部に粘土帯を付けて二重口縁として胴部が張った形状の甕などである。粘土帯の形状により円形粘土帯土器と三角形粘土帯土器とがある。韓半島では円形粘土帯土器(韓国式青銅器文化)と三角形粘土帯土器(鉄器文化)は異なる文化とされる。朝鮮系無文土器は朝鮮半島で当時使用されていた無文土器が日本で出土すると「朝鮮系無文土器」という。 日本列島では弥生前期末から弥生時代中期前半頃に集中して出土する。口縁部に断面円形の粘土紐を巻き付ける点で、同時期の弥生土器とは異なる特徴を持っている。 朝鮮半島南部の後期無文土器時代前半段階の土器の特徴である。渡来人(朝鮮半島からの移住者)が日本の地に来て作ったが、日本の弥生文化の影響を受けて、土器の形は次第に弥生土器に似るようになる。

出土例

  • 朝鮮系無文土器 - 原山遺跡、島根県出雲市、弥生時代
  • 朝鮮系無文土器 -諸岡B遺跡、福岡県福岡市博多区諸岡、弥生時代

参考文献

内郭2025年08月04日 00:10

内郭(ないかく)は弥生時代においては、環濠集落の外壕の中に内壕に囲まれた首長や集落の指導者が居住するエリアを言う。

概要

内郭の役割は遺跡の支配者層の居住空間や祭祀・儀礼の場であった。吉野ヶ里遺跡の例で言えば、公的空間として宗教的役割を担う祭祀や政事を行う「北内郭」と、私的空間としてリーダー層が居住した「南内郭」とに分かれている。北内郭は二重の壕と柵で囲まれていた。 高島忠平(2007)は「北墳丘墓と南祭壇に律せられた祭殿等を備えた北内郭が設けられ、聖的な宗廟として整備される」と説明する。 外壕の当時は幅4~7m、深さ2~4mという大規模なものであり、壕の外側には壕を掘ったときの土を 積み上げて、その上に木の柵を立てていたと考えられる。 寺澤薫(1998)は内郭を拠点集落と呼んでいる。社会的に優位な集落とする。 武末純一は「弥生居館」として、古墳時代の首長居館の原初形態とみる。 寺澤薫(1998)によれば、内郭がある環濠集落は惣座遺跡(佐賀県)、松原遺跡(佐賀県)、西弥護免遺跡(熊本県)、平塚川添遺跡(福岡県)、清水遺跡(山口県)、加茂遺跡(兵庫県)、池上・曽根遺跡(大阪府)、平等坊遺跡(奈良県)、岩室遺跡(奈良県)、針江遺跡(滋賀県)、梶子遺跡(静岡県)、折本西原遺跡(神奈川県)などで見られるという。九州、関西、関東中部と全国的に広く分布する。

戦国時代

はるかに後世となるが、一乗谷朝倉氏遺跡は越前10代朝倉宗淳孝景の晩年に作られ、5代(越前11代)朝倉義景まで使用されたと見られる。朝倉氏居館の内郭の背後に観音山がある。内郭は濠と土塁で囲まれ、「朝倉館(湯殿)」「中の御殿」「新御殿」を含めた朝倉宗家一族の居宅エリアである。外郭は「犬の馬場」「柳の馬場」の公用空間であった。発掘調査により礎石建物と庭園が確認されている。内郭に最重要部分があることは弥生時代と同じである。

事例

  • 内郭 - 吉野ヶ里遺跡、佐賀県
  • 内郭 - 惣座遺跡、佐賀県
  • 内郭 - 松原遺跡、長野県長野市

参考文献

  1. 寺澤薫(1998)「集落から都市へ」(『古代国家はこうして生まれた』都出比呂志編)角川書店
  2. 武末純一(1991)「弥生時代の居館」『卑弥呼の世界』大阪府立弥生文化館
  3. 高島忠平(2007)「吉野ヶ里遺跡に見る「弥生都市」」建設コンサルタンツ協会会誌編 (237),pp.12-15