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古代の動物2025年08月05日 15:39

古代の動物(こだいしのどうぶつ)は古代史に現れる動物である。

概要

古代にどのような動物がいたかは、完全には解明されていないが、時代により生息していた動物が異なる。気候の大幅な変動で植物相と気温が変わり、動物も変わったと思われる。

旧石器時代

旧石器時代にはナウマン象やマンモス(北海道)、ヘラジカ、オオツノジカがいたことは化石で証明されている。旧石器時代には本州にもヒグマがいた。ヘラジカは寒冷地に住む動物で、北海道と本州に生息していた。

縄文時代

縄文時代ではイノシシ、シカ、ウサギ、タヌキ、クマ、イヌがいた。縄文人は弓矢や落とし穴を使って、シカやイノシシなどの動物を捕獲していた。犬は縄文時代から現れる。縄文犬と呼ばれる。縄文時代になると大型動物は絶滅した。 陸上で暮らす哺乳類の中で、最も多く食べられたのは鹿と猪である。東北から九州にかけてすべての遺跡で骨が出土する。西日本ではイノシシ、東日本ではシカの割合が高い傾向がある。ほとんどの遺跡で鹿と猪の骨が占める割合は5割を超えている。縄文時代にはイノシシの土偶が数十例出土しているのに対して,シカの土偶は非常に少ない。 三内丸山遺跡ではムササビと兎が陸獣の大部分を占める。鹿と猪が長期間の捕獲により局地的に枯渇したと考えられる。 海獣の利用は地域差が大きい。オットセイ、アシカ、トド、クジラ、ジュゴンなどである。クジラは大型のものは少なく、ゴンドウクジラ、イルカが多い。縄文時代の家畜はイヌだけであって、イヌは主として狩猟用であった。

弥生時代

シカ、イノシシ、イヌ、シカ、イノシシ、イヌ、鴨、雉などがいた。 魏志倭人伝 (三国志 魏志東夷伝倭人条)によると「其地無牛馬虎豹羊鵲」(その地には牛、馬、虎、豹、羊、鵲なし)と書かれている。虎、豹、羊はいなかった。牛は五島遺跡(大浜遺跡)から牛の骨が出土しているので、弥生時代に牛がいた証拠となる。また阿良貝塚からは小型の牛の骨が出土している。西本豊弘(1994)によれば、弥生時代の拠点集落においては家畜豚60%、野生猪20%、鹿20%の割合であった。 馬はいなかったようである。鹿と猪は縄文時代から引き続き日本列島に生息していた。弥生時代は農業が本格的に行われ、農耕中心で、狩猟は農作業の繁忙期以外に片手間で行われようになった。また家畜の肉を食べるようになった。イヌとブタが肉を食べるための家畜となった。西日本の弥生遺跡では豚が多量に食べられた。 弥生犬は縄文犬よりサイズが大きい。縄文時代のイヌは埋葬されたが,弥生時代のイヌは埋葬されていない。

古墳時代

古墳時代から家畜の牛や馬が出土するようになる。運搬用の家畜、農耕用の家畜、軍事用の家畜として利用された。死んだ家畜が食べられることもあった。犬は弥生時代以降、継続して食べられていた。

参考文献

  1. 森浩一(1992)『人と動物の物語1 日本古代の牛をめぐつて』同志社時報,pp.148-150
  2. 西本豊弘(2010)『事典・人と動物の考古学』吉川弘文館
  3. 西本豊弘(1995)「縄文人と弥生人の動物観」国立歴史民俗博物館研究報告,巻 61,pp.73-86
  4. 西本豊弘(1991)「弥生時代のブタについて」国立歴史民俗博物館研究報告,巻 36,pp. 175-194
  5. 西本豊弘(1993)「弥生時代のブタの形質について」国立歴史民俗博物館研究報告、巻50, pp.1-15
  6. 西本豊弘(2003)「縄文時代のブタ飼育について」国立歴史民俗博物館研究報告、巻108, pp.49-70
  7. 石神裕之(1999)「古代文芸と鹿・猪の意識について: 考古学的視点を織りまぜて」三田国文、No30,pp.14-30
  8. 愛知朝日遺跡ミュージアム(2022)「弥生人といきもの2022」企画展パンフレット

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