フローテーション法 ― 2025年09月01日 00:25
フローテーション法(ふろーてーしょんほう)は遺跡から炭化物などの微細遺物を効率的に回収するための方法である。
概要
「水洗選別」という。比重の軽い種子や炭化物などの微細遺物が浮遊する性質を利用した選別方法である。1970年代から導入されている。
フローテーション法の手順
土壌サンプルを水中に投入して攪拌し、比重の軽い炭化物を分離し、取り出す方法である。循環式フローテーション装置(機械で水流を起こす)を使うと効率がよい。試料の採取は後世の炭化物が入らないよう、細心の注意を払うこと。土壌は生物活性度が高いため、動物や昆虫の巣穴や植物の根などの混入があり得る。 ①容器に適量の土壌を入れる。(通常は数リットル単位)大きな石や木片などはあらかじめ取り除いておく。 ②水槽(フローテーション装置)に土壌を投入する。水を入れた容器(水槽やタンク)に土壌試料を少しずつ投入し、シャワーで土壌を攪拌し、手や棒でやさしくかき混ぜ、泥をほぐす。バケツ・タライ・ザルを用いた手動方式である。水流が強すぎると微小遺物が失われるので、攪拌はやさしくする。 ③炭化種子や木炭片など軽い遺物は分離(浮遊物)して水面に浮かぶ。水面を流して浮遊した炭化物を網や布回収垢取り細かいネット(0.25mmから0.5 mm程度)で採集する(軽画分)。網の目は調査目的(種子・花粉・昆虫など)に応じて選択する。 ④石片、骨片、土器片など重い遺物は分離して沈降する。水槽の底部に沈んだものは「重画分(heavy fraction)」としてザルやふるいで回収する。 ⑤取り出した炭化物を顕微鏡を使いながら、同定可能な種実をピンセットでつまみだす。 ⑥回収した軽画分・重画分を別々にラベルを付け、日陰で自然乾燥、または低温乾燥機で処理する。回収後の試料は混ざらないように厳密にラベル管理する。 ⑦コンテキスト(遺構や層位)ごとに分けて、顕微鏡下で植物種子・木炭・昆虫・小動物遺体などを同定記録し、数え、記録する。 ⑧残土処理も重要である(再混入を避ける)。
フローテーション法の特徴
低湿地遺跡の粘土層に包埋された有機遺物の水洗選別は、従来の乾燥筋別法、あるいは水洗筋別法では不可能であり、フローテーション法が唯一の方法とされる。遺跡土壌に含まれる炭化物、種子、骨などの微細な有機物を効率的に回収できる。 ①微小遺物の回収に特化した方法である。 ②比重差を利用したシンプルな方法であり、特別な化学処理は必要なく、環境への負荷は少ない。 ③浮いた軽画分と沈んだ重画と分を分別回収できる。 ④採取した種子や炭化物から、農耕の開始時期・栽培植物の種類・食生活を推定できる。 ⑤水を用いた物理的分離のため非破壊であり、対象遺物を傷めにくい。 ⑥回収した後は乾燥させれば、長期保存が可能である。 ⑦遺跡の生活痕跡や農耕活動を具体的に復元できる。
フローテーション法を適用した遺跡
- 目切遺跡 - 長野県岡谷市、縄文時代中期中葉末
- 居家以岩陰遺跡 - 群馬県吾妻郡長野原町、縄文時代
参考文献
- 若松貴英(1990)「分離法としてのフローテーション」表面科学 12 (1), pp.28-33
- 小林達雄(2007)『考古学ハンドブック』新書館
江津湖遺跡群 ― 2025年09月02日 00:36
江津湖遺跡群(えづこいせきぐん)は熊本県の江津湖の東側に広がる縄文時代から近世にかけての遺跡である。
概要
江津湖遺跡群は阿蘇山を起源にもつ火砕流台地である託麻台地上に位置する。上江津湖・下江津湖から標高13m前後の台地岸辺部に分布する遺跡である。江津湖遺跡群は、縄文時代、弥生時代、古墳時代から古代、中世に至る遺跡として以前から知られていた。現在までに上江津遺跡(上江津湖湖底遺跡)、古屋敷遺跡、上ノ門遺跡、泉ケ丘小学校校庭遺跡、陣内城跡、陳内石棺、水源地遺跡(水源地周溝墓群)、中ノ島遺跡(下江津湖湖底遺跡)、苗代津遺跡、広木遺跡(広木方形周溝墓)の各遺跡が認識されている。弥生時代早期から前期にかけての資料が江津湖遺跡群、三王遺跡、良町二石遺跡群、下江津湖周辺の遺跡で検出されている。弥生時代初頭頃の土器や石器が出土する。 1972年から本格的調査が始まり、これまでに約20基の周溝墓が見つかっている。安山岩の板石を組み合わせた箱式石棺で、長さ1・7m、幅34~48cm、高さ約35cmである。石棺の1つから鉄製の短剣などの副葬品が見つかった。さらに石棺の内部からは女性と見られる頭蓋骨や首の骨の一部、それに鉄製の短剣や、手斧とよばれる工具など5点の副葬品が見つかった。4点の鉄製品が副葬されている箱式石棺は珍しい。
発掘調査
江津湖遺跡群で、1600年前(古墳時代中期)の方形周溝墓とその埋葬施設である石棺が出土した。1つの方形周溝墓から安山岩板石を組み合わせた残存状態が良好な箱式石棺が2基出土した。現地表下180㎝。石棺は西側が1号石棺、東側が2号石棺で、1号石棺は内法で長さ170㎝、幅42~48㎝、2号石棺が長さ170㎝、幅34~43㎝で、内部から人骨・副葬品が出土した。1号石棺では短剣・ヤリガンナ・手斧・刀子が副葬されていた。2号石棺では副葬品はなかった。両石棺とも蓋石の内側や棺内はベンガラが塗られている。1号石棺は長さ170cmm、幅42cm~48cm。1号石棺の人骨は身長1m40cmほどの女性とみられる。2号石棺は長さ170cm、幅34~43cmである。
竪穴建物
1号竪穴建物は南北辺5m10㎝、東西辺4m40㎝である。竪穴の中央で焼土を伴う地床炉が検出された。出土遺物として甕類、高坏がある。2号竪穴建物は東側が調査区外で、焼失家屋と見られる。出土遺物として甕・鉢・器台・脚土鉢がある。4号竪穴建物は長軸で5.8mほど、短軸で5.6mで面積は約32.5㎡ほどとなる。出土遺物は甕8点、高坏6点、甑2点である。
遺構
- 方形周溝墓
- 箱式石棺
遺物
- 短剣
- ヤリガンナ
- 手斧
- 刀子
展示
所在地等
- 名称:江津湖遺跡群
- 所在地:熊本県熊本市東区水源1丁目1番1号
- 交通:
参考文献
- 熊本県教育委員会(2008)「江津湖遺跡群 健軍京塚下遺跡」熊本県文化財調査報告第245集
盒子 ― 2025年09月02日 19:45
盒子(こうし、かふし、ごうす)はふたが付いた小さな容器である。
概要
中国語で箱や小箱の意味と言われる。「香合」の別名とも言われる。 蓋の付いた小型の容器を盒子という。素材は木製や金属製、紙製などがある。
古墳時代
平面形が円形のものと楕円形のものがある。古墳時代には石でつくられた盒子が古墳に副葬されるようになる。古墳時代前期から中期にみられるが、緑色をした碧玉や淡緑色の緑色凝灰岩、滑石などでつくられる。分布は近畿地方を中心とし、東は愛知県から西は岡山県に及んでいる。
正倉院
正倉院では盒子を「合子」とし、宝物を入れる蓋付きの容器である。銀平脱合子 第1号(北倉 25)は碁石の容器である。槻薬合子(北倉 109)は龍骨を入れるケヤキ製の蓋付合子である。
出土
- 石製盒子 - 出土地不詳、古墳時代前期、天理参考館
- 盒子 - 島の山古墳、奈良県磯城郡川西町唐院、4世紀末葉、奈良県立橿原考古学研究所附属博物館
- 石製盒子 - 佐味田宝塚古墳、奈良県北葛城郡河合町、4世紀後半
- 銀平脱六角盒子 伝韓国慶尚南道出土、統一新羅時代・8世紀、東京国立博物館
- 青花人物花鳥文盒子 景徳鎮窯、17世紀、京都国立博物館
参考文献
奈良県立万葉文化館 ― 2025年09月02日 20:01

奈良県立万葉文化館(ならけんりつまんようぶんかかん)は奈良県高市郡明日香村にある万葉文化を紹介する博物館・美術館である。
概要
2001年9月15日に開館した「万葉」の歴史と文化を紹介する博物館である。『万葉集』を中心とする古代文化に関する総合文化拠点となっている。日本の古代文化に関する調査・研究機能、万葉に関する文化の振興を図る展示機能(万葉ミュージアム)、万葉集に関する情報の収集提供を行う図書館・情報サービス機能をもつ。 飛鳥寺の近くにあり、付近は飛鳥歴史公園甘樫丘地区として整備されている。館内に飛鳥工房遺跡などを復原展示している。
展示
1階
- 企画展示室
- 日本画展示室
- 展望ロビー・映像ホール
- 炉跡群の修復展示
- 万葉図書・情報室
- ミュージアムショップ
- カフェ・レストラン
地下1階
- 一般展示室
- 万葉劇場
- 人形、映像、アニメーションなどの複合的な手法で紹介する劇場空間
- 歌の広場
- 海石榴市をはじめ東市、西市、軽市などをイメージした古代の市空間を再現
- 万葉おもしろ体験
- 万葉びとの生活などについて、インタビュー形式で対話
- 万葉劇場
- 特別展示室
- 飛鳥池工房遺跡の発掘成果を時代背景とともに展示
アクセス等
- 正式名称: 奈良県立万葉文化館
- 開館時間 : 10:00~17:30 ※入館は17時00まで
- 入館料 : 一般 無料 ※特別展等は別途料金
- 休館日 : 毎週月曜日(月曜日が祝日の場合は翌日の平日)、年末年始、展示替日
- 所在地 :〒634-0103 高市郡明日香村飛鳥10
- 交通 :近鉄 橿原神宮前駅東口又は飛鳥駅から
- 明日香周遊バス(かめバス・約20分弱)「万葉文化館西口」下車すぐ
- 特記事項:
真脇遺跡 ― 2025年09月03日 00:08
真脇遺跡(まわきいせき)は石川県鳳至郡能都町にある縄文時代の集落遺跡である。
概要
真脇遺跡は能登半島の東側海岸の中央部、小さな入り江の奥の沖積平野に位置する。縄文時代晩期初頭から晩期終末まで続く拠点集落である。縄文文化の宝庫と言われる。 低湿地のため、木製品や動物の骨、植物の種子も良い状態で出土する。 縄文前期末から中期初頭に大量のイルカ骨が出土した。長期定住の食料とみられる。 主な出土品は、後期の土製仮面、中期の新保式土器、把付土製ランプ、前期の真脇式土器、彫刻柱などである。1991年に出土遺物のうち219点が国の重要文化財に指定された。
環状木列群
縄文晩期の環状木列群がある。直径7.5mの真円上に直径90cmのクリ材の巨木柱を10本立て、割った面を外側に向ける。2本の柱で囲む入り口がある。同じ位置で数回の建て替えを行う。同様の巨木柱列はチカモリ遺跡(金沢市)、桜町遺跡(富山市)にもある。環状木柱列は縄文時代晩期の北陸地方だけに出土する遺構である。
発掘調査
真脇遺跡は1980年に圃場整備の計画が策定され、遺跡の分布調査を行ったところ、中・近世の地層の下から縄文時代の地層が発見された。1982年・1983年の2回にわたる発掘調査により、多数の遺構や遺物が見つかった。大規模で重要な遺跡であり、約4000年に渡り繁栄し続けた、他に例のない長期定住遺跡と判明している。標高4~12mの低地に位置する湿地遺跡のため、普通は腐って残りにくい動植物で作られた遺物が大量に保存されていた。中期中葉(約4500年前)の層からは板敷き土壙墓が4基検出された。晩期(約2800年前)の土層からは巨大なクリの木を半割りし、円形に立てて並べた「環状木柱列」が検出された。
年代測定
西本寛・高田秀(2008)はウイグルマッチングを用いた年代決定により「真脇遺跡出土環状木柱列の形成時期は約820-490[calBC】の約330年間に収まる」とした。つまり、紀元前820年から490年なので、弥生時代と重なる時期となる。縄文時代晩期終末は紀元前約1,000年頃なので、建て替えられた柱の最も新しいものを測ったことになる。
遺構
- 土壙墓4
- 木柱列
- 環状木柱列
- 方形木柱列
- ピット群
- 配石
- 立石
- 貼り床住居跡
- 土器土器敷き炉
遺物
- 縄文土器(前期から晩期)
- 石器
- 石製品
- 動物遺存体(イルカ(骨))
- 巨大木柱
- 土偶
- 石製品
- 木製品
- 骨角器
- 弥生土器
- 須恵器
指定
-1991年6月 - 出土品は国指定重要文化財
- 平成元年 国指定史跡
展示
- 真脇遺跡縄文館
所在地等
- 名称:真脇遺跡
- 所在地:石川県鳳珠郡能都町真脇
- 交通:金沢駅⇒JR・のと鉄道(七尾乗換え)約2時間 ⇒ 穴水 ⇒ バス約60分 ⇒ 真脇下車から徒歩5分
参考文献
- 植田文雄(2005)「立柱祭祀の史的研究」『日本考古学』(19), pp.95-114
- 「縄文の風 真脇遺跡」Noto 広報のと第82号,2011年12月1日
- 宮田佳樹(2019)「縄文時代,真脇遺跡ではイルカを食べていたのか!?」日本文化財科学会大会研究発表要旨集 36巻、pp.104-105
- 日暮晃一(1991)「縄文時代の食生活」『食品経済研究』第19号,pp.3-17
- 西本寛・高田秀(2008)「14C 年代測定による石川県真脇遺跡出土環状木柱列の年代決定」名古屋大学加速器質量分析計業績報告書,ⅩⅠ
七条織成樹皮色袈 ― 2025年09月05日 00:19
七条織成樹皮色袈裟(しちじょうしょくせいじゅひしょくのけさ)は正倉院に収蔵されている聖武天皇が使用したと想定される袈裟である。
概要
国家珍宝帳に所載される品である。もとの宝物は一部に欠損がある。 樹皮の柄の図柄なので、見ためは地味な風合いと色である。技法的も素朴である。出家した僧侶は財産を持たないので、衣服は貧乏に見えるボロ布らしいくした可能性がある。しかし、布を拡大すると模様の上に撚金糸を格子のように織り込んでおり、目立たないところで豪華にしている。文様の部分ごとに横糸の色を変え、2~3種類の色糸をより合わせた杢糸を使用する。 「七條」とは袈裟を7枚の長方形の布で横に波縫いでつなぐ袈裟の形式である。「刺納」は刺し子である。我が国で唯一の織成遺品とされる。織成は地緯糸と文様を表す色緯糸の二種の緯糸を用いて交互に織る技法で、綴織の一種である。綴織は文様を表す緯糸が織幅いっぱいに貫通せず、要所の部分だけ織り返す。複雑な機台を必要としないので、古代エジプトの綴織、南米ペルーの綴織、ヨーロッパのゴブラン織、中近東のキリムなどにみられる。
復元品
京都の伝統工芸士の川本繁夫氏が復元した品が、愛知学院大学禅研究所に保管される。色合いは、もとの宝物より明るく鮮やかである。
構成
表は七条の織成を並べ、各条の間は紺平絹で界を為す。裏は唐花文様の紺綾を五枚継ぎしている。樹皮色とは布の裂を組み合わせて、樹皮のようにみえる色合い文様からきている。
東大寺献物帳
東大寺献物帳には九領の袈裟が記録されている。 御袈裟合玖領 九條刺納樹皮色袈裟一領 碧綾裏皂絹縁 七條褐色紬袈裟一領 金剛智三蔵袈裟 七條織成樹皮色袈裟一領 紺綾裏皂綾縁 七條刺納樹皮色袈裟六領 二領碧綾裏皂絹縁 二領紺絹裏皂絹縁 一領紺綾裏皂綾縁 一領紺 裏皂綾縁) (『大日本古文書』4)
模造報告
復元模造が平成18年から3ヵ年で行われた。その報告は参考文献1,2,3に書かれる。 龍村美術織物が担当した。
展示歴
七条織成樹皮色袈裟 第3号
- 1956年 - 第10回
- 1985年 - 第37回
- 1996年 - 第48回
- 2011年 - 第63回
- 2019年 - 第71回
管理
名称 :緑牙撥鏤尺 甲
- 倉番 :北倉 1
- 用途 :服飾品
- 技法 :染織
- 寸法 :幅245cm,縦139cm
- 材質:織成(綴錦の変種) 裏は紺綾 縁は皀綾 畔は紺絹
参考文献
- 尾形充彦、田中陽子(2010)「模造」『正倉院紀要』年次報告32号,pp.170-172
- 尾形充彦、田中陽子(2010)「模造」『正倉院紀要』年次報告33号,pp.115-117
- 白井進(2012)「七条織成樹皮色袈裟の復元模造」『正倉院紀要』第34号pp.1-28
- 奈良国立博物館(2008)「正倉院展60回のあゆみ」奈良国立博物館
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