服部遺跡 ― 2025年10月22日 00:29
服部遺跡(はっとりいせき)は滋賀県守山市にある、縄文時代から鎌倉時代に到る大集落である。
概要
弥生時代早期の頃、に服部遺跡の中央にあった微高地に人々が住み初めた。約100年間、田として使用されたと推測されているが、その後の大洪水で埋もれてしまった。水田上に40~50cmほどの土砂が堆積した。発掘調査では、地表下約2.5~3.0mに弥生時代前期の水田跡が約2万平方メートル広がり、その上層に総数360基を越える弥生時代中期全般にわたる方形周溝墓群・弥生時代中期~後期の円形竪穴住居・古墳時代前期の竪穴住居・同時代中・後期の方形・円形周溝状遺構が重なり、北部では弥生時代前期から平安時代中頃に至るまでの遺構がある。
調査
壷・甕・高杯・鉢等の土器、方形周溝墓、石斧・石鏃などの石器、竪穴住居址(100棟以上)・環濠・野洲川の洪水痕・朱塗りの木製品・鉄製品・炭化米・杓子・埴輪・木製の弓・鍬・田舟・田下駄・須恵器・土師器・やまと琴・銅印・銅銭などが発見された。
やまと琴
第17号周溝の木製品の下からやまと琴と琴柱4点が出土した。竜角を濤底に、竜尾を台状部傾斜面において、琴面を下にした状態で検出された。槽作りの実際の琴としては、最古の遺例となる。やまと琴は和琴と言われる日本固有の楽器である。 磯板下方には、琴板と同位置に6ヶ所(推定2ヶ所)の柄穴が穿たれていた。なお琴板と共鳴槽との結縛には、桜の樹皮が使用され、4ヶ所で確認された。共鳴槽を結縛するための枘穴の位置などから全長は1.5m前後と推測される。琴板は厚さlcm前後の薄い一枚板であり、竜角側には側縁を削り出す6本の突起があり、両端の2本は幅広につくられている。 築造年代は出土した上師器により、第13号などと同様、六世紀の第1四半期に比定される。出土琴については、大場磐雄「菅生発見の『やまとごと』」上・下(季刊『どるめん』創刊号。第2号 (1973・1974)、水野正好「琴の誕生とその展開」(『考古学雑誌』66-1 1980)、佐田 茂「古代琴雑考」(『考古学雑誌』66-1 1980)に論究がある。
発掘調査
昭和49年11月から昭和50年3月まで実施された。縄文時代晩期から弥生時代前期に到る集落跡、弥生時代前期水田跡、約260面、18,700m2、弥生時代中期の方形周濤墓群、約400基、弥生時代中期堅穴住居跡群、20棟、弥生時代後期から古墳時代前期の環濠と堅穴住居跡群、50棟以上、古墳時代中・後期の周溝状遺構、27基、奈良時代後期の掘立柱建物群、 約40棟、平安時代の掘立柱建物群、約20棟が検出された。
第1号円形周溝状遺構
径10,Omの台状部に、幅1.5~ 1.75m、深さ10.0~ 20.Ocmの周濤がめぐり、上層は暗灰青色粘質土、下層は暗紫色砂泥である。周濤内の2ヶ所で供献儀礼の跡がみつかった。箱形容器(W001)による供献が認められ、容器は長辺56.5cm、高さ4 0cm、厚さ1.2cmと短辺23.5cm、高さ4.Ocm、厚さ1 lCmの長短各2本の板材を、枘(ほぞ)によって組合せた箱形の容器である。底は残存しない。遺物は木製箱形容器1点、須恵器杯蓋1点、坏身2点、小型甕1点など8点である。須恵器郭蓋・坏身については、陶邑のI型式の5段階とされた。小型の矢板は長さ43.7cm、幅8.lcm、厚さ2 5cmである。
第2号方形周溝状遺構
台状部は、東西5.07m、南北5.05m、周濤は幅0.5m~ 1cm、深さ11.Ocm~ 16cmである。出土遺物はなかった。
第3号方形周溝状遺構
台状部は、東西約5.Om、南北4.8mである。遺物は完形の甕1点(C066)が出土した。須恵器養(C066) 口径15.2cm、器高20.8cmをはかる小型の甕である。
第4号方形周溝状遺構
台状部は、東西11.Om、南北11.5mをはかり、幅2.4m、深さ30 0cmの濤がある。南東コーナーの周溝内下層より、剣型石製品(S001)が1点出土し、北溝でも、全長4m以上、径7 0Cmの建材が数本出土した。木製品などをはじめ、滑石製の剣型石製品、土師器杯・丸底壺がッ出土した。
第5号方形周溝状遺構
台状部は、東西12.Om、南北11.4mをはかり、幅1.3~ 3.5m、深さ40.Ocmの周濤が巡る。出土品は土師器坏、土師器壺、長柄鋤B、柱状木製品、有孔尖頭板状木製品である。細長い板材に4孔を穿ち、一方に杭状のものを作り出した木製品である。板状部上端は手斧によって断続的に削り落とし、杭状部の下端は両側から切り込んで矢状に尖がらせる。
*第17号方形周溝状遺構
大型の方形周溝状遺構であり、台状部は、西144m、南北14.5mをはかる正方形で、幅43mから44m、深さ40~ 50cmの周溝である。やまと琴は台状部に供献されていた後、転落したものと考えられている。琴の下部から琴柱4点が出上し、琴に絃が張られた状態で転落したことが判明した。土器の供献としては、北濤中央における土師器壺の1点(H068)のみであった。ほかに矢板(W106)、桂状木製品(W103~ W105)、板状木製品(W107)、有孔板状木製品(W100)、棒状木製品(Wl13~ W148)などの木製品が出土した。六世紀の第1四半期に比定されている。
遺構
- 竪穴住居
- 方形周溝墓
- 掘立柱建物
- 溝
遺物
展示
- 守山市立埋蔵文化財センター
考察
指定
アクセス等
- 名称 :服部遺跡
- 所在地 : 滋賀県守山市服部町地先
- 交 通 :
参考文献
- 滋賀県百科事典刊行会(1984)『滋賀県百科事典』大和書房
- 滋賀県教育委員会(1984)『服部遺跡発掘調査報告書V』
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