白石稲荷山古墳 ― 2025年10月28日 00:07
白石稲荷山古墳(しろいしいなりやまこふん)は群馬県藤岡市にある古墳時代の前方後円墳である。
概要
藤岡市を流れる一級河川である鮎川と鏑川の合流地点の南側約1.5kmの丘陵上の標高120mに白石稲荷山古墳は立地する。北側に十二天塚北古墳、十二天塚南古墳が並ぶ。最新の埴輪研究によると白石稲荷山古墳は、誉田御廟山古墳の前段階(加藤編年Ⅲ期)に編年されている。
古墳の西側は自然の谷を活用し、東側は崖である。くびれ部は狭く、途中からバチ形に開いている。葺石は後円部では2段目と3段目に設置される。前方部では3段目で全周すると推測されている。埴輪は円筒埴輪と朝顔形埴輪が検出されている。5世紀前半から5世紀初頭の古墳としては東日本で最大級の規模となる。
調査
1933年(昭和8年)、後藤守一と群馬県史蹟名勝天然紀念物調査会の相川龍雄による調査が行われた。竪穴式礫槨2つが墳頂部から確認されている。主軸を南西45度にとる二段築成の前方後円墳で、墳丘長92.5m、後円部径52.5m、前方部幅41m、前方部長41m、くびれ部幅26mを測り、前方部の幅が狭く低い形状とされた。後円部墳頂から2つの礫槨が検出された。
出土遺物は、西槨から乳文鏡、碧玉製玉類(勾玉・管玉)、算盤玉、ガラス小玉、石枕、石製模造品(案形・杵形・坩形・釧・下駄形・勾玉・刀子形・剣形)、銅製刀子柄、竪櫛、鉄刀、鉄製品残片が出土した。東槨から内行花文鏡、碧玉製玉類(勾玉・管玉・算盤玉)、ガラス玉類(管玉・切子玉)、小玉、石枕、石製模造品(箕形・案形・杵形・坩形・鎌形・刀子形・剣形)が出土した。
これらの出土品は東京国立博物館に収蔵・展示されている。盗掘されていなかった埋葬施設槨から出土した石枕には、遺体の頭をのせていたと考えられる。坩形、杵形、盤形、下駄形の石製模造品は、遺体の足元周辺に置かれていた。
1985年(昭和60年)、1986年(昭和61年)に藤岡市教育委員会の範囲確認調査が行われた。墳丘は三段築成だが、地形の制約から前方部西側は2段となる。葺石は墳丘上・中段に確認された。墳丘長推定170m、後円部径93m、高さ13.5m、くびれ部幅50m、前方部長は推定77m、高さ9.5m、前方部幅推定118mを測る三段築成の前方後円墳とされた。
出土遺物は埴輪、S字状口縁台付甕、高坏破片などがある。埴輪は黒斑や形状などの特徴は太田天神山古墳やお富士山古墳より古いとされた。後円部墳頂に確認された埴輪群は東西2基の礫槨に伴うものではなく、これらよりも先に設置された未発見の埋葬施設がある可能性が指摘された。
また2019年2月26日から3月17日、藤岡市教育委員会、早稲田大学、群馬県立歴史博物館による測量調査が行われた。地中レーダー探査などの非破壊調査によって墳丘は3段築成で左右対称の整った形状と判明した。築造年代は従来の5世紀前半から、少なくとも5世紀初頭にまでさかのぼるとされた。さらに前方部に新たな埋葬施設があることが判明した。
2022年から、藤岡市教育委員会文化財保護課により史跡の内容や範囲の確認を目的とした発掘調査が行われた。墳丘が整った3段築成の前方後円墳であることが明らかになった。さらに古墳の南側および西側における周溝の形状が判明した。周溝の南西部で土橋(地山のローム層の地山を掘り残し)と推測される遺構が検出された。
規模
- 形状 前方後円墳
- 築成 後円部:2段
- 墳長 175m
- 後円部径 径92m 高13.5m
- 前方部 幅148m 長103.5m 高6m
葺石 あり
埴輪 あり
遺構
遺物
- 四獣鏡 倭製
- 内行花文鏡
- 耳飾類4
- 碧玉勾玉
- 碧玉管玉
- ガラス小玉
- 碧玉勾玉・
- 碧玉管玉・
- 碧玉算盤玉・
- ガラス切子玉
- 釧 石製模造品
- 下駄 1対 - 石製模造品
- 勾玉115
- 臼玉100以上・
- 刀子113
- 剣17・
- 案1・
- 杵1・
- 坩2・
- 石枕1
- 鎌1・
- 刀子114
- 剣8
- 杵1
- 坩
- 箕
- 石枕
- 鉄刀
- 鉄刀
- 刀子柄(銅製)1
築造時期
- 5世紀初め
展示
考察
指定
- 平成5年11月30日 国指定史跡
- 平成21年7月23日 追加指定
アクセス等
- 名称 :白石稲荷山古墳
- 所在地 :群馬県藤岡市白石字稲荷原2562-1
- 交 通 :JR八高線「群馬藤岡駅」コミュニティバスめぐるん「落合上」下車徒歩15分
参考文献
- 後藤守一(1934)「上野國白石稲荷山古墳発掘調査概報」『考古学雑誌』24-1
- 後藤守一・相川龍雄(1936)「多野郡平井村白石稲荷山古墳」『群馬縣史蹟名勝天然記念物調査報告 第3輯』
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