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断夫山古墳2025年12月19日 22:50

断夫山古墳

断夫山古墳(だんぷさんこふん)は愛知県名古屋市にある前方後円墳である。 日本100名墳に選出されている。

概要

東海地方で最大の前方後円墳である。熱田台地の西の端の標高6mにあり、熱田神宮の神域として保護されており、熱田神宮公園内にある。熱田神宮の北西400mに位置する。前方部が大きく高く発達する後期古墳の特徴を示す。 墳丘の西側に造り出しがある。後円部に段があり、3段築成とされている。土師器と須恵器の埴輪が検出されている。墳丘は前方部南東端に封土の崩落が見られる。周濠の外縁、「周堤」の上部は江戸時代には削平されていた。同時期の大王墓の今城塚古墳(全長181m の前方後円墳)に次ぐ規模となる。墳丘形態は継体大王墓といわれる高槻市の今城塚古墳と相似形である。墳丘には葺石と考えられる川原石がある。

尾張氏

宮簀媛命の墓として伝えられている。古来より「日本武尊」伝承により宮簀媛命の墓と伝わる。宮簀媛命は尾張氏の祖とされている。

調査

古墳の本格的な発掘調査は行われていないため、内部構造は不明。資料の一部は南山大学と名古屋市博物館に保管される。出土品は円筒埴輪が知られる程度である。墳丘の測量調査と地中レーダー探査が行われたが、埋葬施設については情報が得られていない。

周濠

断夫山古墳は盾形の二重周濠(内濠・外濠)、二重周堤(内堤・外堤)を備えていたと考えられるが、現在のものは昭和期に造作されたものである。

埴輪

円筒・朝顔形埴輪は総重量26.2kgが出土した。色調は淡橙色系、淡黄橙色系、黄橙色系、橙色系、黄灰色系、灰白色系、灰色系、紫〜赤灰色系など多様である。後円部最下段に円筒埴輪列が巡っていたと言われている。また少量の朝顔形埴輪片。形象埴輪片も検出されている。埴輪や須恵器は5世紀末~6世紀紀前半の年代のものと位置付けされる。ほとんどが「尾張型(円筒)埴輪」として定義される規格的な製品であり、東山古窯(猿投窯の一地域)で焼かれたものである。形象埴輪の出土は0.5 kg(1.9%)であり、ごく少ない。器種は蓋形埴輪、家形埴輪のみで、堅微に焼成された個体はわずかであり、明確な須恵質に焼成された個体は認められない。

放射性炭素年代測定

周濠から採取した炭化材(資料1)、溝003SD 上層から出土した炭化材1 点(資料2)、炭化種実(イネ種子(頴果))(資料3)について放射性炭素年代測定を行った。資料1の年代範囲は2σで1268年から1296年、13 世紀後半〜末の暦年代つまり鎌倉時代となる。資料2は1446-1510 cal AD (80.01%)で15 世紀中頃〜16 世紀初頭、および16 世紀末〜17 世紀前半の暦年代を示した。試料No.は1950-1954 cal AD (1.28%)で、17 世紀後半〜20 世紀中頃の暦年代であった。周濠等の炭化材、種実はいずれも後世の混入と考えられる。

規模

  • 形状 前方後円墳
  • 築成 後円部:3段
  • 墳長 151m
  • 後円部 径80m 高13m
  • 前方部 幅116m 長87m 高16m

外表施設

  • 円筒埴輪 円筒Ⅴ式
  • 葺石 あり

主体部

遺物

  • 埴輪片
  • 須恵器
  • 土師器

築造時期

  • 5世紀末から6世紀の前葉とみられる

被葬者

  • 古代の尾張連氏に関係する墳墓と見られる。

日本書紀 巻第七 景行天皇

  • (原文)日本武尊、更還於尾張、卽娶尾張氏之女宮簀媛、而淹留踰月。於是、聞近江五十葺山有荒神、卽解劒置於宮簀媛家、而徒行之。
  • (大意)日本武尊は尾張に帰還し尾張氏の娘の宮簀媛命を娶り、長くとどまった。近江の伊吹山に荒ぶる神がいると聞き、剣を宮簀媛の家に置いて歩いて行った。

指定

  • 1987年(昭和62年)7月9日 国の史跡

アクセス等 

  • 名 称:断夫山古墳 
  • 所在地 愛知県名古屋市熱田区旗屋町1014
  • 交 通:名古屋市営地下鉄名港線 日比野駅から徒歩16分 1.1km

参考文献

  1. 愛知県埋蔵文化財センター(2024)「史跡 断夫山古墳」愛知県埋蔵文化財センター調査報告書 第226 集