オブサン古墳 ― 2025年12月31日 00:34
オブサン古墳(おぶさんこふん)は熊本県山鹿市にある古墳時代の円墳である。
概要
チブサン古墳のすぐ近くにある円墳である。山鹿市西方の平小城台地の東端、菊池川の支流である岩野川沿いに位置する。葺石や埴輪は認められない。6世紀後半に造られた円墳である・墳丘は羨道の両脇が突き出る特異な形状である。装飾古墳であるが、後世の破壊によりごく僅かに装飾が残るのみである。。墳丘は国有地であり、周囲は県有地である。 出土遺物は玉類や金環、銀環、武具、馬具、須恵器などである。
埋葬施設
埋葬施設は南に開口する横穴式石室で全長約8.5m、玄室・前室・羨道から構成される大きな板石を組み合わせた複室構造の横穴式石室である。玄室部は長さ・幅約2.8mである。巨石墳であり、玄室の天井も高い。横穴式石室内の玄室左視床の障石外側に赤色に彩色された連続三角文がある。
突堤遺構
チブサン古墳の特徴として石室入り口部の両側に取り付けられ、墳丘斜面に直角に造られた突堤遺構がある。
西南戦争
閉塞石の数カ所に西南戦争の銃弾の跡が残る。周辺は西南戦争で「山鹿口の戦い」の激戦地であった。1877年(明治10年)2月26日から3月21日までの24日間、薩・官両軍の激しい攻防があった。薩摩軍は勇将の桐野利秋以下2600人、官軍は三浦梧楼少将率いる3個大隊4500人であった。
調査
昭和59年、昭和60年に熊本県教育委員会が発掘調査を実施した。発掘調査の結果、直径22mで幅4m前後のU字形の周溝がめぐることが判明した。溝の一部は畑作のため消滅している。江戸中期に墳丘を削り、周溝を埋め立てた。戦時中は防空壕として使用され、内部の石材、土砂を掻きだしたと言われている。
規模
- 形状 円墳
- 規模 径22m、高4m
遺構
- 円墳
- 周溝
遺物
- 須恵器
- 鉄鏃
- 刀子
- 馬具
- 金環
- 銀環
- 銀製飾り金具
築造
- 6世紀後
指定
- 1922年(大正11年)10月12日 国指定史跡(史跡名勝天然記念物)
展示
考察
アクセス
- 名称:オブサン古墳
- 所在地: 熊本県山鹿市鍋田2085
- 交通: (1)熊本市内から桜町バスターミナル(旧:熊本交通センター)14番乗り場(路 線番号A) (2)山鹿温泉行き(約1時間)山鹿バスセンター(終点)下車。 (3)車(タクシー・レンタカー等)で5分。
参考文献
- 熊本県教育委員会(1987)『熊本県文化財調査報告87:オブサン古墳』熊本県教育委員会
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