七輿山古墳 ― 2026年01月11日 00:21
七輿山古墳(ななこしやまこふん)は、群馬県藤岡市に所在する古墳時代後期の前方後円墳であり、日本百名墳に選定されている。
概要
藤岡市を流れる清流の鮎川と鏑川に挟まれた河岸段丘上に立地し、標高約93mの下位段丘面に築造されている。墳丘は全長約150mを測り、前方部幅約102m・高さ16.8m、後円部径約85m・高さ18.6mを有する。6世紀代の古墳としては東日本最大級の規模であり、墳丘の保存状態も極めて良好で、原形をよく留めている点が評価されている。円筒埴輪は直径約40cm、高さ約110cmの大型品で、7条の突帯を巡らせる特徴的な形式を示す。
本古墳の埋葬施設については、近年の非破壊調査によって重要な知見が得られている。地下探査レーダー(GPR)調査の結果、後円部南側下面テラスに開口する横穴式石室の存在が推定され、幅2~5mで後円部中心側に向かって広がる形状を示し、深さ1.3~2.7mの範囲で強い反応が確認された。羨道部が長い構造を有することから、横穴式石室導入期の特徴を備えると評価されている。また、石室主軸は南北方向を向くと推定される。
築造年代(年代観)
七輿山古墳の築造年代については、従来より議論が重ねられてきた。出土遺物や墳丘規模から6世紀代とする見解が主流であるが、特に前方部の造り出し付近の外溝から出土した須恵器横瓶は、6世紀中葉に位置づけられる渋川市中ノ峯古墳の例よりやや古い型式とされ、古墳の築造時期を6世紀前半代に求める説が有力である。
研究史上、若狭徹(2018)は、埴輪の形式学的研究、人物埴輪の属性、墳形規格、周濠出土須恵器(TK10)から、七輿山古墳は6世紀前半に位置付けるべきとした。 以後の年代観形成に大きな影響を与えている。
考察(七輿山古墳の被葬者像と政治史的意義)
七輿山古墳は、今城塚古墳(大阪府高槻市)および断夫山古墳(愛知県名古屋市)と墳丘規模や段築構成、造出配置などにおいて高い共通性を示し、単なる墳形の類似にとどまらず、共通の墳丘規格あるいは設計思想に基づいて築造された可能性が高い。また、これらの古墳はいずれも6世紀代に位置づけられており、築造年代の近接性も注目される。
断夫山古墳については、継体天皇の妃を輩出した尾張氏首長層、すなわち尾張連草香を含む有力首長家系に関わる盟主墓とみる見解が示されている(赤塚(1989))。一方、今城塚古墳は近年の発掘調査および研究成果から、宮内庁治定陵である太田茶臼山古墳とは別に、実際の継体大王陵とみなす見解が有力となっている。このように、畿内および尾張における6世紀代最大級前方後円墳が、いずれも継体王朝期の王権中枢あるいはその近親・有力同盟勢力に関わると理解される点は重要である。
こうした状況を踏まえると、七輿山古墳の被葬者についても、単なる在地首長にとどまらず、継体王朝と密接な政治的関係を有した東国有力首長層に位置づける仮説が成立しうる。七輿山古墳が6世紀代で東日本最大級の前方後円墳であること、横穴式石室導入期の構造を備えること、さらに畿内・尾張の大型盟主墳と共通の規格を共有する点は、継体王朝期に形成された広域的な政治秩序の中で、上野地域が重要な位置を占めていた可能性を示唆している。
また、埼玉県の二子山古墳をはじめとする武蔵地域の大型前方後円墳との間にも、築造時期や規模、造出や埴輪構成において一定の共通性が指摘されており、6世紀前半を中心とする時期に、畿内―尾張―上野―武蔵を結ぶ首長層ネットワークが存在した可能性が考えられる。
しかしながら、七輿山古墳の築造以後、同地域において同規模の前方後円墳が継続的に築造されない点は注目すべきである。このことは、七輿山古墳の被葬者が一代限りの特異な政治的地位を占めていた可能性、あるいは当該地域における首長権力の共立基盤が世襲的・持続的な形で定着しなかったことを示唆する。
その背景要因としては、6世紀前半に発生した武蔵国造の乱に代表される東国社会の政治的不安定化が、広域首長連合の再編や解体を招いた可能性を想定することもできる。ただし、七輿山古墳と武蔵国造の乱との直接的な因果関係を示す史料は現時点では確認されておらず、あくまで状況証拠に基づく仮説として慎重に扱う必要がある。
以上のように、七輿山古墳は、6世紀代における継体王朝期の王権構造と東国首長層の政治的位置づけを考える上で、極めて重要な鍵を握る古墳であり、その被葬者像と成立背景については、今後も畿内・尾張・武蔵地域との比較研究を通じて、より精緻な検討が求められる。
規模
- 形状 前方後円墳
- 墳長 150m
- 後円部径 径85m 高18.6m
- 前方部 幅102m 長69m 高16.8m
主体部
外表施設
- 円筒埴輪 円筒・朝顔形Ⅴ式
- 葺石 あり
遺物
- 鳥形埴輪
- 女子半身埴輪
- 器財埴輪
- 土師器
- 須恵器
築造時期
- 4世紀中葉(古墳時代前期)頃
被葬者
- 藤岡地域を治めた実力者
展示
- 藤岡歴史館
指定
- 昭和2年6月14 日 国史跡指定、
- 平成8年9月26 日 追加指定
アクセス等
- 名称 :七輿山古墳
- 所在地 :〒375-0057 群馬県藤岡市上落合831-1
- 交 通 :JR八高線 群馬藤岡駅 バス 30分 『七輿山古墳入口』下車 徒歩1分
参考文献
- 赤塚次郎(1989)「断夫山古墳をめぐる諸問題」『断夫山古墳とその時代』東海埋蔵文化財研究会
- 群馬県教育委員会(2010)「七輿山古墳」
- 「七輿⼭古墳は6世紀代で全国3位の規模と判明」産経新聞、2020年11月10日
- 若狭徹(2018)「東国における 古墳時代地域経営の諸段階」国立歴史民俗博物館
- 早稲田大学東アジア都城・シルクロード考古学研究所(2020)「七輿山古墳の測量・GPR 調査」
最近のコメント