大分県立埋蔵文化財センター ― 2024年07月02日 00:20
大分県立埋蔵文化財センター(おおいたけんりつまいぞうぶんかざいせんた)は大分県の埋蔵文化財の発掘調査・研究及び収蔵・公開する博物館である。
概要
埋蔵文化財センターとしては、国内最大規模の面積である。前身となる教育庁文化課文化財資料室は、1972年に開設した。2004年(平成16年)4月に、旧大分県立芸術会館を改修して移転し、大分県教育庁埋蔵文化財センターが設置された。埋蔵文化財の調査、整理、保管、公開などの業務を行う。大分県で出土した遺物、約2,000点を一堂に展示する。業務は大きく三つの柱から構成される。
- (1)発掘調査 専門知識を有する職員が40年間において県内遺跡数百ヵ所以上の調査を行い、発掘する。
- (2)整理・記録報告 発掘調査から出土した土器に付着する土を洗い落とし、土器破片の接合などにより当時の形に復元し、実測により図面化するなどの整理作業を行う。 これらの資料を基本として、考古学的な観点の考察を加えて報告書を刊行する。
- (3)広報・活用 収蔵資料を企画展などにおいて一般公開する。一般県民を対象とした考古学講座を開催。
展示
「豊の国考古学館」と「BVNGO大友資料館」の2つの常設展示室に加え、企画展示室がある。
- 「豊の国考古学館」
旧石器時代から江戸時代までの埋蔵物を展示する。展示室を奥に進むに連れて時代が移り変わるようになっている。段々と色がついたり、模様がついたり、複雑な形になっていく様子を一眼で見ることができる。土器は全部で170点。
- 姫島の黒曜石
- 中世の石塔等の遺跡や出土物
- 「BVNGO大友資料館」 大友宗麟に関連する資料や出土品を展示するコーナー。中世大友府内町跡から出土した、戦国大名・大友氏の南蛮貿易に関係する国内外の遺物などを展示する。
アクセス等
- 名 称:大分県立埋蔵文化財センター-
- 開 設:、2017年4月1日
- 休館日:月曜日(月曜日が休日にあたる場合は、翌平日を休館とする)
- 開館時間:9時00分~17時00分(入館は16時30分まで)
- 観覧料:無料
- 所在地:〒870-0152 大分県大分市牧緑町1-61
- 交通:JR日豊本線 牧駅下車 徒歩6分/大分駅前(6)番乗り場 大分バス「一里塚」行きで14分、「牧」バス停下車、徒歩2分
稚児野遺跡 ― 2024年07月03日 00:58
稚児野遺跡(ちごのいせき)は京都府福知山市にある旧石器時代の遺跡である。
概要
稚児野遺跡は京都府北西部の丹波山地の合流する2つの河川である牧川と畑川に挟まれた台地上の標高104メートルに位置する。約3万6000年前の旧石器時代の石器が約1500点みつかった。約3万年前の姶良火山灰と約5万年前の大山倉吉火山灰に挟まれた地層から出土したこと、石器の形や作り方を同時代の遺跡から出土した資料と比較して約3万6000年前と判断された。
調査
京都府埋蔵文化財調査研究センターは2020年11月26日、福知山市夜久野町井田で発掘していた稚児野遺跡で約700点の石器が出土したと発表した。約3万6千年前の氷河期にあたる後期旧石器時代前半のもので、この時代の石器の出土量としては府内最多である。 3万年前の噴火で積もった火山灰の層より下の地層で、9カ所から出土した。刃の部分を磨いた「刃部磨製石斧」や、槍の先に付けたと見られる「ナイフ形石器」が見つかった。 約700点のうち、原形をとどめているのは10点。刃部磨製石斧やナイフ形石器、動物の皮をなめした器、削る際に使った削器破片(2~10センチ)が大量に出たことから、「人が一定期間とどまり、石器を作ったり、狩りをしたりしていた」と見られている。出土した石器は加工の痕跡があるものと、多量の石屑からなる。前者にはナイフ型石器や剥片石器、刃部磨製石斧などがある。石器類は木の伐採や、狩り、飼った獲物の解体に使用されたと見られる。
石材
石材にはチャートや頁岩、サヌカイトと黒曜石は近隣からは得られない。遠隔地の島根県隠岐諸島産の黒曜石、サヌカイトは奈良県と大阪府の境にある二上山周辺と推定される。サヌカイトの運搬には、氷上回廊と呼ばれる標高100m以内で、瀬戸内海から日本海まで移動できる経路を利用したと考えられる。
環状ブロック
数メートルの範囲に石器が集中する「石器ブロック」が19個所見つかった。後期旧石器時代に出現する居住を伴う石器製作空間である。環状ブロックと言われ、中央付近からは石器は出土せず、
考察
約3万6000年前の人類はホモ・サピエンスと考えられる。ホモ・サピエンスは40万年~25万年前に登場しているので、当時は、現在から80メートル海面が下がっていたため、北海道は大陸につながる半島であったから容易に渡ることができた。縄文人ではないから旧石器人と呼ぶべきであろうか。現代日本人の祖先の50%(残りは弥生人)かもしれません。
遺構
遺物
- ナイフ型石器
- 剥片石器
- 刃部磨製石斧
指定
- なし
展示
アクセス
- 名 称:稚児野遺跡
- 所在地:京都府福知山市夜久野町井田児野
- 交 通:JR「下夜久野駅」より徒歩約20分
参考文献
中尾遺跡(鳥取) ― 2024年07月05日 00:08
中尾遺跡(鳥取)(なかおいせき)は鳥取県倉吉市にある弥生時代中期の遺跡である。
概要
中尾遺跡は鳥取県の日本海沿岸から7km南の低丘陵上にある。立地は標高39m~37mの丘陵頂部平坦部である。周辺には沢ベリ遺跡や西前遺跡、東前遺跡などの弥生時代中期の遺跡がある。東前遺跡では弥生時代中期の玉作工房を確認する。 弥生時代において鉄器の出土は北部九州の有力者の墓から見つかる事が多いが、鳥取県の竪穴建物で鉄戈や鉄斧が見つかることは国内での事例はない。鉄器が出土した竪穴建物は弥生時代中期後葉の集落の西端であった。直径7.5mの円形であり屋根を支える柱穴が6基あった。竪穴建物は火災で焼け落ちたとみられ、炭化した骨組みと屋根材が残っていた。*調査 工業団地の造成に伴い、平成3年度に第一次、平成26年から28年にかけて第二次発掘調査を行った。旧石器時代の石器や縄文時代の落とし穴159基、竪穴建物25棟、掘立柱建物21棟、古墳時代後期の古墳2基が見つかった。第3次調査は令和元年度から3年度にかけて実施された。弥生時代中期から古墳時代前期の竪穴建物11棟、古墳時代中期から後期の古墳25基を発見した。
国内最大の鉄戈
第3次調査で見つかった完全な形の鉄戈は前長54.3cmで、弥生時代のものとしては国内最大の鉄矛である。鉄矛はそれまで国内最大であった東入部遺跡(福岡市)の長さ43センチを上回っている。室内の柱穴の土に突き立てられていたとみられる。 朝鮮半島から持ち込まれたとみられる。韓国・茶土里遺跡の鉄戈59.0cmと類似である。 長大であるが身が薄いため、実用品ではない。 弥生時代の鉄器の流通や祭祀を考えるうえで重要な資料である。
板状鉄斧
板状鉄斧は国内最大級の全長27.5cmである。鋳造鉄斧は中国製と見られ、全長は11.0cmである。韓国・茶土里遺跡や勒島遺跡の出土に類似する。鋳造鉄斧は柱穴から50cm離れた位置でみつかった。出土状況から火災当時に鉄器3点(鉄戈、鋳造鉄斧、板状鉄斧)は室内にあったと見られる。鉄器3点は梁、垂木、屋根材の下にあった。
遺構
- 竪穴建物
- 落とし穴
- 掘立柱建物
- 柵列4
- 貯蔵穴6
- 土坑8
- 木棺墓1
- 竪穴建物状遺構2
遺物
- 鉄戈、
- 鋳造鉄斧、
- 板状鉄斧
- 弥生土器
- 分銅形土製品
- 鉄製品
- 碧玉製管玉未製品
- 石器
- 人骨
- 炭化種子
指定
展示
考察
当時において鉄戈、鋳造鉄斧、板状鉄斧は貴重品であるから、失火なら確かに室外に持ち出したと考えられる。しかし、祭祀のために家ごと焼くことは納得しがたい。とすれば弥生時代の戦乱がここまで及び、敵に襲われて火を付けられ、持ち出す余裕もなかったということではなかろうか。
アクセス
- 名 称:中尾遺跡
- 所在地:鳥取県倉吉市大谷字中尾
- 交 通:JR倉吉駅から徒歩1時間31分、6.5km。
参考文献
- 「倉吉市の中尾遺跡 鉄器出土 弥生時代で国内最大の鉄矛」朝日新聞、2020年11月13日
- 安来市教育委員(2011)「中尾遺跡」
- 倉吉市教育委員会(2020)「令和2年度中尾遺跡第3次発掘調査現地説明会資料」
鹿島沢古墳 ― 2024年07月06日 00:05
鹿島沢古墳(かしまさわこふん)は青森県八戸市にある飛鳥時代の円墳である。
概要
太平洋に流れる馬淵川を見下ろす高台の標高70mから90mの舌状台地に立地する末期古墳である。飛鳥時代に直径4mから10mの小型円墳が10基以上作られた。
発掘調査
1958年(昭和33年)の農作業中に須恵器や埋葬施設(2号墳)がみつかり、青森県初の古墳と話題になった。1958年8月には慶応義塾大学考古学研究室の江坂輝彌らによる発掘調査が行われ、7号墳では太刀や鉄鏃(鉄製矢じり)、金環、ガラス玉などなどが出土した。1950~60年代に須恵器が検出されている。昭和43年には宅地造成に伴い、金銅製杏葉や石製の玉が発見された。保存処理を伴う調査により7号墳から、東北地方では例のない二円孔鍔付太刀、刀、鉄鏃、環状錫製品(腕輪、耳輪)、錫製丸玉、ガラス小玉、土師器が見つかった。太刀、刀、鉄鏃は南東北や関東地方からの移入品とみられる。土師器は製作手法、使われた土、器の形が同時代の八戸周辺の集落遺跡や古墳から出土したものと共通点が多いので、地元で作られたものと見られる。 墳丘規模は、開畑によって削平されていたため明確ではない。平成30年、慶応義塾大学から7号墳出土遺物が寄贈された。
規模
- 形状 円墳
主体部
外表施設
- 葺石 なし
遺物
- ガラス球12個、
- 鉄鏃7本、
- 金環2個 - 青銅製と思われる
- 水晶玉
- 金銅製金具
- 杏葉
- 勾玉
- 管玉
築造時期
- 飛鳥時代
被葬者
- 蝦夷と呼ばれた地域の首長とみられる。
展示
- 八戸市博物館
指定
- 2002年(平成14年)4月17日 -鹿島沢古墳群出土品(一括)
- 2024年3月26日 - 鹿島沢古墳群の出土品36点を追加指定
アクセス等
- 名称 :鹿島沢古墳
- 所在地 :〒039-1167 青森県八戸市沢里
- 交 通 :JR八戸駅から徒歩1時間4分(4.4km)/バス停根城エレンシア前/八戸市交通部から徒歩6分
参考文献
- 大塚初重(1982)『古墳辞典』東京堂
- 文化庁()『発掘された日本列島2022』共同通信社
宿戸遺跡 ― 2024年07月07日 23:04
宿戸遺跡(しゅくのへいせき)は、岩手県九戸郡洋野町にある縄文時代の遺跡である。
概要
岩手県沿岸の最北端の洋野町にある遺跡である。宿戸遺跡は海岸から約450m、標高は35~53mの海岸段丘上に立地する。
調査
発掘調査は三陸沿岸道路建設に伴い行われた。平成28年4月から7月、平成29年4月から11月、平成30年4月から7月の延べ16箇月間で17,400㎡を発掘した。 発掘調査竪穴建物21基、石器 425 箱、土器 82 箱が出土した。石斧石材には花崗閃緑岩や砂岩等を使用し、敲石にはチャートを用いる。近隣海岸で砂岩やチャートは容易に入手できる。石斧の製作に適した地域である。 土器は縄文時代、早期、前期、中期、晩期、弥生時代前期、中期、後期が見つかっている。北海道 平取町産「アオトラ石」製の磨製石斧は縄文時代の東北地方において広く流通しているものである。
遺構
- 竪穴住居跡
- 早期~前期前葉及び中期頃の竪穴住居跡が 23棟見つかった。壁際には小さな穴が一周巡っており、柱を立てた跡と考えられる。床面に近いところから、底の尖った尖底土器と呼ばれる早期の土器が見つかった。貝殻沈線文土器と呼ばれ、縄文時代早期中頃を中心に多く使われている。土器や遺構の特徴から、この竪穴住居跡の時期は縄文時代早期前半の可能性が高い。時期が判明している竪穴式住居は縄文早期中葉が7棟、早期中葉から後葉が2棟、前期初頭が8棟である。縄文時代は温暖化が進む時期に当たる。早期中葉の建物に十和田噴火の降灰で「十和田南部テフラ」が堆積している。降灰地域の宿戸遺跡に影響があったと見られる。約8,600年前に噴火したと考えられる十和田火山の噴出物(南部浮石)が確認された。この竪穴住居は少なくとも8,600年以前に使われていたと考えられる。
- 陥し穴状遺構
- 縄文時代の人々は、木の実などを採集する以外に、獣を狩る狩猟で食物を得ていた。宿戸遺跡では、斜面地に陥し穴をたくさん掘り、動物を得ていた。24基を検出した。底に逆茂木を立てた跡が複数みつかった。
- 貯蔵穴
- 口が狭く、底が広い三角フラスコのような形である。このような穴は、他の遺跡で炭化した木の実などが出土した事例があり、堅果類を貯蔵する穴と考えられてる。秋という一時期に収穫した大量の木の実は、長期間貯蔵しておく場所が必要となる。貯蔵穴は底が広いのでたくさんの木の実を保存することができる。ま口は狭いので、温度と湿度を保つことができる。
土器
土器は縄文時代早期・前期・中期・後期・晩期、弥生時代前期・中期・後期が出土している。縄文時代前期では長七谷地Ⅲ群・早稲田6類・大木1式・大木2a 式・大木2b 式/ 白座式が多い。縄文時代中期では円筒上層b式、円筒上層c 式、円筒上層d式、円筒上層e式、大木8a式、大木8b式、榎林式、大木9式などである。
石器
石器は剥片を含め総点数44,633 点に上る。石器の中で最も多いのは石斧とその未製品であり、2098点があった。敲打調整に用いる敲石は781点が出土している。
石製品
人体文表現が施された可能性がある石製品が見つかった。長さ6.3cm・幅4.1cm・厚さ0.9cmで、地元産石材の砂岩を用いている。こうした文様の石製品は類例が少ない。
遺物
- 石斧 2098点
- 双脚状石製品
- 玦状耳飾
- コハク原石 29 点
- 石製品
- 深鉢型土器
- 貝殻沈線文土器
放射線炭素年代測定
住居跡と土坑から出土した木炭の合計5点である。今回の試料はすべて木炭であるため、古木効果を考慮する必要がある。樹木の年輪の放射性炭素年代は、その年輪が成長した年の年代を示す。したがって樹皮直下の最外年輪の年代が、樹木が伐採され死んだ年代を示し、内側の年輪は、最外年輪からの年輪数の分、古い年代値を示すことになる(古木効果)。今回測定された試料にはいずれも樹皮が確認されていないことから、試料となった木が死んだ年代は測定された年代値より新しいという可能性がある。
- 6号住居跡 床面(木炭) 試料1
- BC6846年からBC6746年の範囲である。縄文時代前期初頭に相当する。
- 49 号土坑(木炭) 試料2
- BC7158年から7020年である。
- 22 号住居跡 床面(木炭) 試料3
- BC4830からBC4655年で、縄文時代中期中葉から後期である。
指定
アクセス
- 名称:宿戸遺跡
- 所在地:岩手県九戸郡洋野町種市第6地割地内
- 交 通:JR宿戸駅から徒歩10分
参考文献
- 文化庁(2022)『発掘された日本列島2022』共同通信社
- (公財)岩手県文化振興事業団(2021)「宿戸遺跡発掘調査報告書」
取掛西貝塚 ― 2024年07月08日 00:18
取掛西貝塚(とりかけにしかいづか)は、千葉県船橋市にある縄文時代の貝塚である。
概要
千葉県船橋市飯山満町1丁目から米ケ崎町に渡る東京湾に面した標高約25mの下総台地上に立地する縄文時代の遺跡である。範囲は東西約320m、南北約100m 、面積は約76,000平方メートルである。宮前川と飯山満川に開析された東西に長い舌状台地上にある。 取掛西貝塚は東京湾東岸部で最も古い貝塚を伴う集落跡であり、地域で貝塚が形成されはじめた時期の環境や人々の生活・文化を知ることができる。
調査
平成11年(1999年)から令和2年(2020年)まで、8回の発掘調査を実施した。発掘調査の結果、約1万年前(縄文時代早期前葉)と約6千年前(縄文時代前期前半)の2つの時期の貝塚を伴う集落跡を検出した。50棟を超える縄文時代早期前葉の竪穴建物を検出している。
貝層
遺跡の東部で見つかった竪穴建物には厚さ70cmの貝層が堆積していた。貝類は99%以上が汽水域に生息するヤマトシジミであった。しかし魚類は淡水域から内湾の沿岸部に生息するクロダイ属、スズキが見られることから、広範囲で漁労を行っていた。丸木船で東京湾に進出していたのであろう。動物はイノシシ、シカが中心であるが、タヌキ、キツネ、ノウサギなど小型哺乳類、キジ、カモなどの鳥類も見られる。
- 縄文時代早期前葉…ヤマトシジミ(汽水産)主体
- 縄文時代前期前半…ハマグリ、ハイガイ、マガキ(内湾干潟産)主体
堆積した貝殻に混じり縄文人が食べた動物の骨がたくさん見つかった。貝塚の下から動物の骨(主にイノシシ・シカの頭骨)が集められた状態で見つかり、その場で火を炊いた痕跡が残っていた。
- 哺乳類(イノシシ、シカ、タヌキ、キツネ、ノウサギ、ムササビなど)
- 鳥類(キジ類、カモ類、ハクチョウ類、キジバトなど)
- 魚類(クロダイ属、スズキ、コイ科、フナ、アユなど)
遺構
- 竪穴住居跡(縄文時代早期前葉)…58軒
- 竪穴住居跡(縄文時代前期前半)…18軒
- 竪穴住居跡(弥生時代中期後半)… 6軒
- 遺構内貝層(縄文時代早期前葉)… 6基(竪穴住居跡5軒、土坑1基)
- 遺構内貝層(縄文時代前期前半)… 7基(竪穴住居跡7軒)
遺物
- 縄文土器(井草式、稲荷原式、花輪台式、東山式、平坂式、大浦山式など)
- 石器(石鏃、礫斧、石皿、スタンプ形石器、磨石など)
- 骨角歯牙製品(刺突具、骨鏃、針、錐、装身具など)
- 貝製品(貝刃、装身具など)
- 動物遺体(鳥獣骨角、貝、魚骨など)
- 植物遺体(炭化種実、土器圧痕など)
考察
貝殻の食物をみると、現代人の食卓より豊かな食生活ではないかとも見られる。稲作はまだ無いので、1日の摂取カロリーはどうであったろうか。里浜貝塚の縄文人の例とみると、1日に2390キロカロリーのエネルギーを摂取し、たんぱく質や脂質、ビタミン類やミネラルはしっかりとっていた。それでも人口学者の小林和正は縄文時代前期から晩期にいたる男性133体、女性102体の人骨を調べ、縄文人の平均寿命を推定した。縄文人の平均寿命は男性31.1歳、女性31.3歳とされた。十分に栄養をとれない冬などの時期もあったと想定される。
指定
- 令和3年10月11日 - 国の史跡指定 - 船橋市では初
アクセス
- 名称:取掛西貝塚
- 所在地:千葉県船橋市飯山満町
- 交 通:東葉高速鉄道 飯山満駅 北西800m
参考文献
- 文化庁(2022)『発掘された日本列島2022』共同通信社
- 船橋市教育委員会(2011)『取掛西貝塚総括報告書』
- 小林和正(1967)「「出土人骨による日本縄文時代人の寿命の推定」、『人口問題研究102』国立社会保障・人口問題研究所
百花台遺跡 ― 2024年07月09日 09:10
百花台遺跡(ひやつかだいいせき)は長崎県雲仙市にある旧石器時代の遺跡である。
概要
島原半島北東部の標高200m~300mの緩やかな山麓地で、土黒川と栗谷川に挟まれた扇状地にある旧石器時代の遺跡である。南北約2km、東西約1kmの範囲に拡がる全体が百花台遺跡群とされる。特徴的な台形石器は「百花台型台形石器」として旧石器時代を判別する指標石器となっている。
調査
昭和30年頃に開墾により発見され、1963年8月7日~19日までの第1次調査と1965年3月22日~28日までの第2次調査の2回が行われた。考古学者の和島誠一(資源科学研究所:当時)・麻生優(國學院大學:当時)によって行われ、深さ2mの範囲に8層の土層が確認され、8層に及ぶ土層から4期の分化層が検出され、旧石器時代から縄文時代の遺物が大量に発見されて世に知られた。第6層からナイフ形石器、第4層から台形石器、第3層から細石器、第2層から縄文時代の土器石器が確認された。ナイフ形石器→台形石器→細石器の層位の変遷が初めて確認された。それまで不明確であった台形石器の時期が細石器文化に先行することが把握できた。第4層で確認された台形石器は「百花台型台形石器」と命名され、地域や時代を識別する指標となった。 昭和50年代から60年代にかけて長崎県教育委員会の発掘調査では約1万m2に及ぶ範囲から数万点の旧石器時代の石器が出土した。調査後、資料保管者である麻生優の千葉大学への就任等に伴い、資料は千葉大学へ移管されたが、平成24年に雲仙市へ譲与された、蛍XX線分析による石材産地の推定が行われている。
遺構
- 石製遺物集中
- 礫群2
遺物
- ナイフ形石器 – 旧石器時代、九州のナイフ形石器の中では7cn前後と大型である。
- 百花台型台形石器 - 旧石器時代、数個を組み合わせて使用した。
- 細石刃 - 縄文時代
- 細石刃核 – 縄文時代
- 角錐状石器
- 掻器
- 削器
- 細石器
- ナイフ形石器
- 台形石器
- 剥片尖頭器
- 角錐状石器
- スクレイパー
- 彫器
- 敲石
- 細石刃
- 細石核
- 打面再生剥片
指定
アクセス等
- 名称:百花台遺跡
- 所在地:〒859-1325 長崎県雲仙市国見町多比良/長崎県雲仙市国見町多比良百花台堀囲
- 交通:島原鉄道多比良駅 から4.7km。
参考文献
- 文化庁(2017)『発掘された日本列島 2017』共同通信社
- 和島誠一、麻生優(1963)「島原半島・百花台遺跡の調査」日本考古学協会大会研究発表要旨 昭和38年度,pp.4-5
最近のコメント