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鉄滓2025年04月17日 00:59

鉄滓(てっさい)は鉱石から鉄を精錬する際に、溶けて分離される不純物である。

概要

鉄滓には製錬滓、精錬滓、鍛錬鍛冶滓の違いがある。弥生時代前期末から中期初頭には、 弥生時代後期には鍛冶が行われ、鉄滓がでる。 上郷深田遺跡は神奈川県内で唯一の製鉄遺跡とされる。7世紀中頃から9世紀前半に造られたと推定されている。製鉄関係と思われる18基の炉(うち14基は製錬炉)や鍛冶炉を有する竪穴状遺構、多量の砂鉄が底面に接して検出された竪穴状遺構がみつかっている。東京工業大学(当時)の川野邊教授(当時)の分析では砂鉄を原料としていたとされた。上郷深田遺跡は主に精錬(製鉄)を行なう遺跡であった。 西祖山方前遺跡出土の鉄滓(岡山市埋蔵文化財センター)は、箱形の炉に廃滓溝や防湿のための周溝が取り付く古い形態で、6世紀後半といわれている。 大久保遺跡(西条市)では、紀元前3,4世紀の大陸から運ばれた鋳造鉄器片が出土した。 新谷赤多遺跡(今治市)では、弥生時代中期末から後期の国内最古の鍛冶遺構が出土した。 松木広田遺跡(今治市)は4世紀の集落から鍛冶炉が検出され、炉の規模、鉄滓の大きさでは類例はないほどである。

参考文献

浅鉢形土器2025年04月17日 23:48

浅鉢形土器(あさばちがたどき)は縄文時代の土器で、底部に比べ口縁部が大きく開いた形状の土器である。

概要

鉢形土器のうち器高が低いものを浅鉢形土器という。縄文土器は上と下とで器の径には大きな差がない。口縁部が大きく開いた鉢形が主流となる。長谷部言人は高さが口径の3分の2以上を深鉢形土器、3分の1以上、2分の1未満を浅鉢形土器として提案した。 最古の縄文土器は深鉢形土器で始まり、深鉢形土器から浅鉢形土器が分かれた。縄文時代中期では東関東地方を中心に東北にも広く分布する。口縁部が装飾された土器もある。 田端遺跡の浅鉢形土器は口縁に1カ所であるが突起状の装飾がつく。口縁の下3cmほどのところに張り出しがあり、径は最大となる。

浅鉢と深鉢

深鉢に対して、浅鉢は出土数が少ない。坪井清足は熊本の御陵貝塚、滋賀の滋賀里遺跡から、深鉢と浅鉢の個体比率は7対3であることを明らかにした。

用途

縄文土器の形状で、出土量の多い深鉢型土器は主として煮炊き用であり、出土量の少ない浅鉢形土器は煮炊き以外の用途で使用されていたようである。浅鉢形土器はおもに豆や木の実などの固形物を盛るための容器とされている。弥生時代以降の同じ形のものは鉢形土器という名称で呼んでいる。多くは口縁部に文様をもち、その文様はベンガラ(酸化鉄)や水銀朱で赤く塗られる。 縄文時代後期では、中期以降の煮炊用の深鉢に加え、祭祀用や貯蔵用の鉢、浅鉢、台付浅鉢、注口土器、壺などの多彩な器種で構成された土器群が、列島全域に展開する。台付浅鉢土器は丁寧に作られる器であり、神や精霊への捧げものなど、大事なものが盛り付けられたと想定できる。縄文時代後期の東北北部から北海道南西部にかけて出土する土器である。

事例

  • 浅鉢形土器 - 姥山貝塚出土、千葉県市川市、東京国立博物館
  • 浅鉢形土器 - 片野町糠塚遺跡第一号住居跡出土、岐阜県高山市、縄文時代、重要文化財
  • 浅鉢形土器 - 青森県むつ市田名部品ノ木、縄文時代、九州国立博物館
  • 浅鉢形土器 - 田端遺跡、東京都町田市、縄文時代晩期

参考文献

  1. 甲野勇(1953)『縄文土器の話』学生社
  2. 坪井清足(1962)「縄文文化論」『岩波講座日本歴史 第1 (原始および古代)』岩波書店
  3. 戸田 哲也(2011)「縄文土器型式と分布域」月刊考古学ジャーナル,考古学ジャーナル編集委員会 編 (610)pp.34~37