浅鉢形土器 ― 2025年04月17日 23:48
浅鉢形土器(あさばちがたどき)は縄文時代の土器で、底部に比べ口縁部が大きく開いた形状の土器である。
概要
鉢形土器のうち器高が低いものを浅鉢形土器という。縄文土器は上と下とで器の径には大きな差がない。口縁部が大きく開いた鉢形が主流となる。長谷部言人は高さが口径の3分の2以上を深鉢形土器、3分の1以上、2分の1未満を浅鉢形土器として提案した。 最古の縄文土器は深鉢形土器で始まり、深鉢形土器から浅鉢形土器が分かれた。縄文時代中期では東関東地方を中心に東北にも広く分布する。口縁部が装飾された土器もある。 田端遺跡の浅鉢形土器は口縁に1カ所であるが突起状の装飾がつく。口縁の下3cmほどのところに張り出しがあり、径は最大となる。
浅鉢と深鉢
深鉢に対して、浅鉢は出土数が少ない。坪井清足は熊本の御陵貝塚、滋賀の滋賀里遺跡から、深鉢と浅鉢の個体比率は7対3であることを明らかにした。
用途
縄文土器の形状で、出土量の多い深鉢型土器は主として煮炊き用であり、出土量の少ない浅鉢形土器は煮炊き以外の用途で使用されていたようである。浅鉢形土器はおもに豆や木の実などの固形物を盛るための容器とされている。弥生時代以降の同じ形のものは鉢形土器という名称で呼んでいる。多くは口縁部に文様をもち、その文様はベンガラ(酸化鉄)や水銀朱で赤く塗られる。 縄文時代後期では、中期以降の煮炊用の深鉢に加え、祭祀用や貯蔵用の鉢、浅鉢、台付浅鉢、注口土器、壺などの多彩な器種で構成された土器群が、列島全域に展開する。台付浅鉢土器は丁寧に作られる器であり、神や精霊への捧げものなど、大事なものが盛り付けられたと想定できる。縄文時代後期の東北北部から北海道南西部にかけて出土する土器である。
事例
- 浅鉢形土器 - 姥山貝塚出土、千葉県市川市、東京国立博物館
- 浅鉢形土器 - 片野町糠塚遺跡第一号住居跡出土、岐阜県高山市、縄文時代、重要文化財
- 浅鉢形土器 - 青森県むつ市田名部品ノ木、縄文時代、九州国立博物館
- 浅鉢形土器 - 田端遺跡、東京都町田市、縄文時代晩期
参考文献
- 甲野勇(1953)『縄文土器の話』学生社
- 坪井清足(1962)「縄文文化論」『岩波講座日本歴史 第1 (原始および古代)』岩波書店
- 戸田 哲也(2011)「縄文土器型式と分布域」月刊考古学ジャーナル,考古学ジャーナル編集委員会 編 (610)pp.34~37
コメント
トラックバック
このエントリのトラックバックURL: http://ancient-history.asablo.jp/blog/2025/04/17/9769217/tb
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。