Bing
PVアクセスランキング にほんブログ村

武田幸男2025年04月24日 00:40

武田幸男(たけだゆきお、1934年8月18日- 2021年8月4日)は日本の歴史学者、東アジア史学者である。文学博士。東京大学名誉教授。

概要

専攻は朝鮮史である。金石文と文献史料双方に精通し、朝鮮古代史の先達として活躍した。 末松保和の研究を継承する。広開土王碑の研究で知られ、数多くの拓本を収集した。広開土王碑に関する「好太王碑改竄説」や解釈が成り立たないことを論証した。中国正史に見られる「倭の五王」遣使記事を検討し、当時の倭国の大王が中国王朝に対して「倭」という姓を名乗っていたことを指摘した。『新羅中古期の史的研究』では朝鮮半島の古代史で主導的役割を担った新羅について、とくに飛躍的な発展を見せた新羅中古期(514~654年)を中心に考究した。陸続と発見された各種の新羅碑文を諸史料とともに精緻に読み込むことにより、当時の激動する東アジアの国際関係における、新羅の史的実態とその展開過程を明らかにした。 武田幸男は高句麗王家を分類し、「伝説王系」と「大王王系」に分類した。

経歴

  • 1934年、山形県出身
  • 1959年 東京大学文学部東洋史学科卒業
  • 1961年 東京大学大学院人文科学研究科 修士課程修了
  • 1968年 北海道大学文学部助教授
  • 1971年 東京大学文学部助教授
  • 1981年 東京大学文学部教授
  • 1992年 「高句麗史と東アジア -「広開土王碑」研究序説」で東京大学文学博士
  • 1995年 定年退官、東京大学名誉教授
  • 1995年 名古屋市立大学教授
  • 2000年 岐阜聖徳学園大学経済情報学部教授
  • 2006年 岐阜聖徳学園大学退職

学会

  • 東方学会評議員
  • 東洋文庫研究員
  • 朝鮮学会幹事
  • 史学会会員

著書

  • 単著
  1. 武田幸男(1988)『広開土王碑原石拓本集成』東京大学出版会
  2. 武田幸男(1989)『高句麗史と東アジア―「広開土王碑」研究序説』岩波書店
  3. 武田幸男(1996)『朝鮮の歴史と文化』放送大学教育振興会
  4. 武田幸男(1997)『朝鮮社会の史的展開と東アジア』山川出版社
  5. 武田幸男(2007)『広開土王碑との対話』白帝社<白帝社アジア史選書>
  6. 武田幸男(2009)『広開土王碑墨本の研究』吉川弘文館
  7. 武田幸男(2020)『新羅中古期の史的研究』勉誠出版
  8. 武田幸男(2022)『新羅政治社会史研究』勉誠出版
  • 共著
  1. 武田幸男(1989)「朝鮮半島とその歴史的展開」『東北アジアの民族と歴史』山川出版社
  2. 武田幸男(1993)『広開土王碑と古代日本』学生社
  3. 武田幸男(2000)『朝鮮史』山川出版社
  4. 武田幸男(2000)「新羅の二人派遣官と外司正 」『東アジア史の展開と日本』山川出版社
  5. 武田幸男編(2005)『日本と朝鮮 : 古代を考える』吉川弘文館
  6. 武田幸男編(2009)『広開土王碑』天来書院

参考文献

  1. 武田幸男(1993)『広開土王碑と古代日本』学生社
  2. 武田幸男(2000)『新羅の二人派遣官と外司正』東アジア史の展開と日本(共著)
  3. 奥田尚(2005)「古代東アジアの歴史叙述に関する序説(二) : 高句麗の初期の王の名を手がかりに」アジア文化学科年報No 8,pp.32-48

南摺ヶ浜遺跡2025年04月24日 00:40

南摺ヶ浜遺跡(みなみすりがはまいせき)は鹿児島県指宿市にある縄文時代晩期から古墳時代にかけての複合遺跡である。

概要

層位は17層まである。9層a、9層bが、古墳時代の文化層である。 縄文時代晩期では上加世田式土器・入佐式土器などの土器、打製石鏃、打製石斧などの石器が出土している。弥生時代後期から古墳時代にかけて、壺棺墓16基,甕棺墓1基,円形周溝墓12基,土坑墓72基,立石(板石)25基が検出された、弥生時代の後半から古墳時代にかけての大規模な墓地である。甕棺は一般の土器より丁寧な作りであることから、葬送用に特別に作られたものと見られる。死者への意識がみえる。宇宿上層式土器と呼ばれる土器片が出土する。奄美大島の宇宿貝塚で初めて見つかった土器である。縄文時代の後期の土器である。北はトカラ列島の中之島付近、南は沖縄本島まで分布する南方系土器である。指宿と南西諸島とのつながりを証明する。

人骨

2007年度の発掘調査で南摺ヶ浜遺跡の壺棺墓から3体、円形周溝墓から1体、土坑墓から1体の合計5体の人骨が出土した。出土人骨の所見から、1号壺棺墓に埋葬されたのは新生 児期から幼児期の間の年齢の子供と考えられている。1号壺棺墓の壺は、脚部が折れた高坏形土器を蓋とする。43号土坑墓には、出土人骨の所見から、壮年から熟年期の人物が埋葬されていた。壺棺墓には幼児期までの人物が、円形周溝墓や土坑墓には成人期の人物が埋葬されていた(竹中正巳・下野真理子(2014))。

調査

遺構

  • 壺棺墓
  • 甕棺墓
  • 立石(板石)
  • 円形周溝墓
  • 土坑墓

遺物

  • 上加世田式土器
  • 入佐式土器
  • 刻目突帯文土器
  • 打製石鏃
  • 楔形石器
  • 石錐
  • 石匙
  • 削器
  • 磨製石斧
  • 打製石斧
  • 石皿
  • 磨石
  • 敲石
  • 石錘
  • 異形石器
  • 突帯文土器
  • 入来式土器
  • 磨製石鏃
  • 中津野式土器
  • 東原式土器
  • 笹貫式土器
  • 丹塗研磨土器
  • 二重口縁壺
  • 須恵器
  • 磨製石鏃
  • 砥石鉄鏃
  • 鉄剣
  • 鉄刀
  • 人骨

考察

展示

指定

所在地等

  • 名称: 南摺ヶ浜遺跡
  • 所在地:鹿児島県指宿市十二町字黒ヶ岡
  • 交通:

参考文献

  1. 鹿児島県埋蔵文化財センター(2009)「南摺ヶ浜遺跡」
  2. 竹中正巳・下野真理子(2014)「鹿児島県指宿市南摺ヶ浜遺跡から出土した古墳時代人骨」南九州地域科学研究所所報第30号、pp.13~16