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玦状耳飾2024年11月30日 22:34

玦状耳飾/七社神社前遺跡/飛鳥山博物館

玦状耳飾(けつじょうみみかざり)は扁平な円形または楕円形で中央に円孔があり、一端に切れ目がある耳飾りである。

概要

縄文時代早期末から出土し始め、縄文時代前期に前期末から中期始め頃までに北海道から九州まで広がり、この時期の一般的な装飾品として用いられるようになった。滑石、蛇紋岩など軟質の石製品が多い。 日本の製品は縄文時代早期に環状のC字形のものがあり、前期には扁平化して平面形が縦円状や三角形状となり、孔が小型化し、切り込みが長くなる。中期に入り横長化や縦長化が進行する。

名前の由来

1917年大阪の古府遺跡で埋葬人骨の耳の位置で出土し、耳たぶに装着する耳飾りと推定された。古代中国の玉器の玦と形状が似ていることから、名がついた。その後、墓壙内の頭部推定位置で2個一対で出土する事例が増えている。

材料

材質は磨って薄く成形した板状の石(蛇紋岩・滑石ほか)が多いが、少数ながら土製や 骨角製(鹿の角)もある。滑石など滑沢のある石材で作られる。

使い方

ピアスの一種として、耳たぶに穴をあけ、その穴に飾りの切れ目の部分から通し、全体を半回転させることで切れ目の部分が下にくるようにして装着させていたと考えられる。 一般的な装飾品であるが、誰もが着用していたわけではなく、栃木県の根古屋遺跡では179体の人骨のうち玦状耳飾を伴っていた人骨は、2体だけであった。すなわち玦状耳飾は特定の階層の人しか装着することができなかったと見られる。個人的な趣味による装着ではなく、縄文社会のルールにしたがってつけていたと考えられる。

起源論争

同形の耳飾は、東アジア一帯で出土し、中国から各地へ伝わったと考える説もある。中国の玦を起源とする説もあるが、紀元前5000年以前には遡らないため、日本で独自で生成発展した可能性も推定できる。

研究史

大阪府藤井寺市国府遺跡で出土し、鈴木文太郎は京都帝国大学(1917)で「石製玦状の耳輪を耳辺に存するもの」と説明した。1918年の報告では「玦状耳飾」と説明する。 1933年には樋口清之が「玦状耳飾考」を発表した。

出土例

  • 玦状耳飾 宿戸遺跡、岩手県九戸郡洋野町、縄文時代早期中葉
  • 玦状耳飾 桑野遺跡、福井県あわら市、縄文時代

参考文献

  1. 藤田不二夫(1995)「玦状耳飾」(加藤晋平編『縄文文化の研究 7 道具と技術』第2版)雄山閣出版
  2. 京都帝国大学(1917)「河内国府石器時代遺跡発掘報告」京都帝国大学文科大学考古学研究報告
  3. 京都帝国大学(1918)「河内国府石器時代遺跡第二回発掘報告」京都帝国大学文科大学考古学研究報告
  4. 樋口清之(1933)「玦状耳飾考」考古学雑誌 23(1)

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