西川津遺跡 ― 2024年09月06日 00:41
西川津遺跡(にしかわづいせき))は縄文時代から近現代まで続く大規模な複合遺跡である。弥生時代は拠点集落遺跡となる。
概要
松江市の、朝酌川中流域近くの島根大学松江キャンパス北東にある弥生時代を中心とする集落・低湿地遺跡である。 西川津遺跡は松江市北部の朝酌川流域に拡がり、昭和50年代から平成20年代にかけて発掘調査が行われた。遺跡から土笛や貝輪、銅鐸、多数の木製品が出土するなど、山陰地方を代表する弥生時代の大規模拠点集落として知られる。コンテナ数約3,000箱に及ぶ膨大な遺物が出土した。西川津遺跡には前期から中期にかけての多量の上器や木製の農工具、石製品、骨角器などがあり、島根県地域で最も早く水田耕作が始まった地域である。本製農耕具の多量な出土が特徴で、特に鍬類では、広鍬、狭鍬、丸鍬の製品、そして、広鍬、丸鍬では各段階の未製品の出土があり、当地方での鍬類の製作過程が分かるものである。
貝塚
遺構としては弥生前期の貝塚、中期の掘立柱建物跡なども検出されている。 西川津遺跡では弥生時代の前期~中期(2500年~2000年前ころ)の小規模な貝塚が何か所かで発掘調査されている。縄文時代の佐太講武貝塚と同様、貝の主体となるのはヤマトシジミである。
遺構
- 掘立柱建物
- 貝塚
- 土坑
- 貯木場
- 石列
- 溝状遺構
遺物
- 弥生土器
- 高坏
- 石斧
- 石器
- 石剣
- 石鏃
- 柱状石斧
- 石庖丁
- 砥石
- 刀子状小形磨製石
- 木製品
- 鍬
- 丸鍬
- 狭鍬
- 又鍬
- 鋤の柄
- 鋤身
- 膝柄
- 本鎌状木製品
- 糸巻状本製品
- 杭状木製品
- 木弓状本製品
- 棒状本製品
- 荷負棒状本製品
- 玉製品
- 骨角器
- 人骨
- 獣骨
- 魚骨
- 太型蛤刃石斧
- 扁平石斧
- 不定形刃器
- 局部磨製削器
- ゴホウラ製腕輪
- 漆 器
木製壺
宇野隆夫(2011)による報告は以下の通り。従来、大量の土器・木器、玉作り資料、銅鐸、掘立柱建物などが見つかっていた。今回の調査では弥生前期の2条の環濠および弥生後期の1条の環濠が発見された。弥生前期の環濠は貯木場の機能をもち、多くの木製農具に混じって木製壺1点が出土した。壺のように口がすぼまる形のものを一木から作ることは難しいため、高度な木工技術を示している。本例は弥生時代木製壺として最古のものである。また弥生後期の環濠からはJ字形のガラス製玉勾玉が見つかった。ガラスの色はコバルトブルーでありJ字形の勾玉は、初めて発見されたものである。本調査で、西川津遺跡が山陰地方の一大有力拠点集落であったことが明確になった。
大溝
2011年11月10日(木)、島根県埋蔵文化財調査センターは、松江市の西川津遺跡から、弥生時代前期の大溝1本が発見されたと発表した。2010年に同遺跡で見つかった大溝とつながるものと見られており、大溝の長さは少なくとも30メートルと見られる。 同センターは「環濠集落」の可能性があるとする。
人面付土器
額部分が最大幅であり、顎に向かって細くなる尖顎である。顎から頸にかけて写実的に表現されている。眼寓上隆起が強調され、眼寓自体が一段下がった位置に表現される。目はヘラ状工具による刺突、鼻孔は先端の狭い工具による刺突により表現されるが、日は浅く柔らかい表現となる。西日本の人面付土器で弥生時代前期に遡るものとしては、山口県下関市、綾羅木郷遺跡の土偶、岡山県岡山市。田益田中遺跡の人面土製品、同県邑久町・熊山田遺跡の人形土製品、香川県志度町の鴨部川田遺跡の土偶、兵庫県。大歳山遺跡の土偶、大阪府茨木市。東奈良遺跡の土偶などがある。 西日本の人面付土器のルーツの解釈は2説がある。
- 設楽博己説
- 畿内を中心とした西日本から、無鯨面・頭部有突起の人面付土器・土偶が各地に派生し、その伝播過程において縄文的な要素が加わり鯨面が再登場したり、中部地方では頭部に突起を持つ有髯土偶が出現する
- 石川日出志説
- 近畿地方で変容・発生した「無鯨面・頭部有突起の人面付土器」という情報が西川津遺跡にもたらされた
放射性炭素年代測定
ばらつきが大きいが、紀元前3300年から5700年であろうか。
- NK97 No1 BC3370
- NK97 No2 BC4840
- NK97 No3 BC5700
- NK97 No4 BC3665
指定
考察
鍬、丸鍬、狭鍬、又鍬、鋤の柄、鋤身などは米作りの道具である。鶴場地区から大量の炭化米がみつかっている。弥生時代の炭化米は島根県埋蔵文化財調査センターで保存する。 蔵)
アクセス等
- 名称:西川津遺跡
- 所在地:松江市 西川津町
- 交通:
参考文献
- 「西川津遺跡で、弥生前期の大溝を発見」毎日新聞、2011年11月14日
- 宇野隆夫(2011)「考古学」ブリタニカ国際年鑑 、pp.221-224
- 内田律雄(1987)『朝酌川河川改修工事に伴う西川津遺跡発掘調査報告書3』
- 島根県教育委員会(1999)『西川津遺跡』6
- 島根県教育委員会(2000)『西川津遺跡Ⅶ』埋蔵文化財発掘調査報告書第12冊
- 島根県教育委員会(2001)『西川津遺跡Ⅷ』埋蔵文化財発掘調査報告書第13冊
- 石川日出志(1987)「土偶形容器と顔面付土器」『弥生文化の研究8 祭と墓と装い』雄山閣出版
- 設楽博己(1990)「線刻人面土器とその周辺」『国立歴史民俗博物館研究報告』第25集
- 設楽博己(1999)「第Ⅲ章 弥生文化の東へ西へ 第3節祖先の顔」『新弥生紀行』朝日新聞社
- 三浦清・内田律夫(1988)「松江市西川津遺跡から出土した分銅形土製晶に含まれるクローム鉄鉱とその考古学的意義」島根大学教育学部紀要. 人文・社会科学 22 (1),pp.1-6
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