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龍角寺古墳群2025年02月07日 00:45

龍角寺古墳群(りゅうかくじこふんぐん)は千葉県成田市および千葉県印旛郡栄町にある6世紀から7世紀に築かれた古墳群である。

概要

印旛沼と利根川に挟まれた台地上に立地する千葉県でも有数の大規模な古墳群である。古墳の総数は114基が確認されている。形状は円墳(71基)、前方後円墳(37基)、方墳(6基)の3種類があり、円墳が最も多い。方墳(105号墳)の78m及び前方後円墳(111号墳)の77.6mが最大であり、次いで57号墳の48mである。 龍角寺101号墳は発掘調査の成果に基づいて埴輪が樹立された直径約25メートルの円墳である。また県内最後の前方後円墳とされる浅間山古墳など93基が史跡に指定されている。

龍角寺101号墳

直径約25メートルの円墳である。張り出し部に円筒埴輪や朝顔形埴輪、人物埴輪、動物埴輪、家形埴輪を並べる。墳頂部の木棺から鉄刀や鉄鏃、馬具などが出土した。築造時期は6世紀前半と推定されている。築造後、周溝内や墳丘中段、墳丘裾部に箱式石棺などが埋納され、6世紀末頃には周溝内側の一部を埋め、全長約30.5mの帆立貝形の前方後円墳に改変されている。埋葬施設は第1号が木棺直葬、第3が箱式石棺・第4が箱式石棺である。

龍角寺105号墳(岩屋古墳)

1辺78m・高さ12.4m、3段築成の方墳で、周濠と堤がある。方墳としては全国第2位の規模となる。古墳の南面に凝灰質砂岩の切石を積んだ横穴式石室が東西に開口する。東側石室は奥行約7m・幅約2m・高さ約3.5m、西側石室は奥行約5m・幅約1.7m・高さ約2.5mである。古くから開口していたため盗掘され、副葬品等は確認されていない。

築造時期

  • 7世紀前半から中頃の築造

遺構

  • 横穴式石室 2
    • 東石室(全長6.45m)
    • 西石室(全長4.8m) 

指定

  • 昭和16年1月27日 - 国指定史跡

遺構

  • 第1主体部 木棺直葬 
  • 第2主体部 箱形石棺(長さ2.1m 幅1.8m 深さ0.75~1m)
  • 第3主体部 箱形石棺(長さ3.1m 幅2.2m 高さ0.6~1m)
  • 第4主体部 箱形石棺(長さ約3m 幅約2.5m 高さ0.6~1.5m)

遺物

  • 埴輪(円筒、朝顔、人物、馬3、鹿1、犬2、水鳥2、猪1)、
  • 直刀10、
  • 刀子4、
  • 鉄鏃22、
  • 轡1、
  • 兵庫鎖3、
  • 辻金具1、
  • 金銅製耳環4、
  • 管玉3、
  • 須恵器

展示保管

  • 風土記の丘資料館

アクセス等

  • 名称:龍角寺古墳群
  • 所在地:千葉県印旛郡栄町龍角寺1601
  • 交通:JR成田線安食駅から千葉交通バス「竜角寺台車庫行き」約10分 「房総のむら」下車、徒歩3分

参考文献

  1. 千葉県教育委員会(1981)「龍角寺古墳群確認調査報告書」

台渡里遺跡2025年02月07日 00:50

台渡里遺跡(だいわたりいせき)は、茨城県水戸市渡里町にある飛鳥時代、奈良時代から平安時代に渡る遺跡である。「台渡里官衙遺跡」ともいう、

概要

台渡里遺跡は国指定史跡「台渡里廃寺跡」の観音堂山地区,南方地区の東西に広がる遺跡であり、那珂川右岸の標高31mから34mの台地縁から中央平坦面にかけて広がる遺跡である。 7世紀後半以前に営まれた豪族居館もしくは評段階に遡る初期官衙が検出された。7世紀末から8世紀初頭頃に位置付けられる竪穴建物跡1棟が確認された。長方形のプランの可能性が高い。台渡里の台地上ではこれまでに7世紀末頃の竪穴建物跡が多数確認されているが、平面プランが長方形を呈するものはアラヤ遺跡(第1地点)の工房に続き、2例目となる。床面および床面直上より出土した砥石3点は、金属器等の刃部の仕上げや維持・補修に係るものと見られる。鍛冶工房かどうかはは定かではないが、砥石が出土したことから金属器の等の刃部の仕上げや維持・補修が行われていた可能性が高い。本遺跡が立地する台地上に7世紀第4四半期から8世紀前葉にかけて那賀郡周辺寺院や那賀郡衙正倉院が造営されており、郡衙周辺寺院や郡衙正倉院の造営に必要な金属器の生産・維持・補修を行っていた造営集落が郡衙周辺寺院や郡衙正倉院の近隣に展開していた。「厨口」銘の墨書土器が出土した。

調査

1939年の第一次調査では7 世紀後半から8 世紀初頭の竪穴住居跡4 軒,溝6 条,建物跡2 棟が検出された。1943年の第三次調査では「之十二」銘文字瓦、瓦塔片 「徳輪寺」銘文字瓦 文字瓦が多数出土した。1971年の第五次調査では「往生料」銘の墨書土器が出土した。第24次調査では「備所」銘墨書土器が出土した。「備所」は租税を備蓄しておくための施設名が想定されている。64次調査では工房として機能していたとみられる長方形の竪穴建物跡が1 棟確認され,金属器の研磨に用いられたとみられる砥石などが出土した。第1号竪穴建物跡は大半が調査区外に延びており、全容は解明できなかった。廃絶年代は8世紀第 2四半期から第3半期の間とみられる。砥石は鉄製品の維持・補修のために使用していたとみられる。

遺構

  • 溝1
  • 竪穴建物7
  • 掘立柱建物3
  • 礎石建物1
  • 土坑

遺物

  • 土師器
  • 須恵器
  • 炭化米
  • 砥石

アクセス等

  • 名称:台渡里遺跡
  • 所在地:茨城県水戸市渡里町2909-1、2973-1
  • 交通:

参考文献

  1. 水戸市教育委員会(2008)「台渡里遺跡」水戸市埋蔵文化財調査報告第15集