生目1号墳 ― 2025年05月04日 00:32
生目1号墳(いきめいちごうふん)は宮崎県宮崎市にある古墳時代の前方後円墳である。推定される築造年代は4世紀前後であるが、土器が出土しないため、流動的である。
概要
生目古墳群が位置する跡江丘陵は東西1.2 ㎞、南北1.3 ㎞ほどで、その丘陵の中心部付近の平坦な地形の部分にほとんどの古墳が分布する。1号墳は古墳群の北の端の標高20mに位置する。
生目古墳群は100m級の前方後円墳を3基有するが、それらはいずれも古墳時代前期に造られている。1号墳、3号墳、22 号墳はそれぞれ4世紀前半の築造と見られている。1号墳は前方部前面および南側面裾部が削平を受けている。墳丘規模の数値は削平前の墳丘測量図によるものである。
後円部の各段平坦面、斜面、墳頂が石で覆われていたことは、平成25 年度の調査で確認された。後円部と前方部が接続する場所の墳頂部分を調査したところ、前方部の墳頂面には石がないことが明らかになった。前方部の墳頂面だけ石がないことが明らかになった。後円部は3段に造られていたが、前方部も3段築成になる可能性が高いことが明らかになった。後円部3段目では波状葺石が確認された。古墳の斜面と平坦面の外側の角が確認された。古墳の角の葺き石が確認されることは珍しい。前方部が3段では時期が少し新しくなり、4世紀の中頃や後半に下る可能性があるとされる。
1号墳の時期はやや新しいとの問題提起がされているが、白石太一郎は前方後円墳の形態は非常に古い形をしていると指摘した。箸墓古墳では、非常に丁寧に葺石を施してあり、後円部の最上段まで見事な葺石が施されているらしい。また墳頂部やあるいは墳丘の各段のテラスの上にも石敷きなどが施されている。
柳沢一男は生目古墳群における最古の前方後円墳は、確認調査によって前方後円墳と判明した21号墳と、9・33 号墳ではないかと主張した。21 号墳は墳長約35m、後円部直径約24mの規模が復元され、墳丘表面に葺石がなく、周堀も前方部隅角で収束する特徴をもち、4世紀を前後する頃の二重口縁の壺が出土した。しかし1号墳、3号墳、それに9号墳は、直接の築造年代をしめす土器が出土していないので、年代は流動的であるとする。
西谷正は生目古墳群の100mを超える前方後円墳は、4世紀にしかも3代にわたって築かれたが、そのような古墳が何もないところから突然生まれるはずはないと指摘する。つまりそこに至る前段階の遺跡があるのではないか、と指摘した。
調査
規模
- 形状 前方後円墳
- 墳長 130m
- 後円部径 径86×70m 高17m
- 前方部 幅推定65m 長65m 高12m
- 葺石 あり
遺物
指定
- 1943年9月8日 国指定史跡
被葬者
築造時期
- 4世紀前半から4世紀の中頃や後半の可能性
展示
アクセス等
- 名称:生目1号墳
- 所在地:宮崎県宮崎市大字跡江字井尻
- 交通: JR日豊本線「宮崎駅」よりバス利用20分
参考文献
- 宮崎市教育委員会(2015)「生目古墳群シンポジウム2014 生目古墳群の実像」
- 宮崎市教育委員会(2018)「生目古墳群Ⅶ」宮崎市文化財調査報告書 第122集
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